夢一夜



 青くまろい月を望む夜。
 限りなく近いけれども果てしなく遠いところから、不意に呼びかけられたような心地を覚え、ひとかけらの期待を胸に犬夜叉は聖なる森へと跳躍した。
 だがそれが単なるぬか喜びに過ぎぬことを悟るまでにさほど時はかからない。
 ひた走りに駆けつけた枯れ井戸の周囲には、待ち人の姿かたちはおろかかすかな残り香さえなく、ただ自然のままの自然が雑然と広がるばかりである。
 なおも少年は未練がましく井戸の底を覗いて声を限りにその名を呼んでみたりするが、二つの世界を隔てる時空のあわいから返ってくる声はない。
 期待のかけらは、彼の願いを叶えることなく消滅した。
 失意の少年は御神木の根元に腰を落とした。
 御神木というのはかごめの住む世での呼び名であり、犬夜叉にとっては名もなき木であるが、五十年もの年月を封じ込められた、苦い思い出の宿り木でもある。
 しかしこの木が五十年など比較にならぬほどはるかな時を越え、今もかごめを身近で見守っているのだと思うと、彼の心中には羨望にも似た感情が湧き上がってくる。
「おまえ、向こうのかごめに会わせろよ。──いいだろ、今夜くらいおれに譲っても?望まなくたって、おまえは毎日会えるんだから……」
 犬夜叉は自棄になって木などに神頼みしている己を自嘲しながら、目を閉じた。
 葉擦れの音がしだいに天高く遠退いていった。

「あっ、満月」
 どうりで眩しいはずだと、かごめは手庇をつくりながら星満天の夜空を見上げる。高台にある日暮神社はこの界隈ではもっとも月に近く、静まり返った境内は青く澄んだ光に満ちていた。
 ──今夜は、どこかいつもとは違うという気がした。
 真っ先に古い祠の戸を開けてみるが、枯れ井戸から気配は感じられない。
 ならば、と御神木の前に立つ。
 よくよく目を凝らしてみるが、やはり、何も見えない。
 かごめはこまったように眉を下げた。何かが起きているという予感があったけれど、ひょっとすると気のせいだったのかもしれない。自分の第六感に自信をなくしかけていた。
「なにも、ないわよね……」
 御神木の幹に触れてみる。かさついた木肌は途方もなく長い年月を感じさせる。
 頭上で物音がして視線を向けた。かくれていた鳥が飛び立ったのか、葉の生い茂る枝がわずかに揺れている。
 誰かに見られているようで、ちがうような気もした。
 限りなく近いけれども、果てしなく遠いところから。
 呼ばれているような、そうでないような──。
「……そこにいるの?」
 彼女の目の前で、空気がかすかに揺れさざめいた。
 けれどもかごめがそれに気づくことはなく、後ろ髪引かれるような心残りをとどめつつも、やがて御神木に背を向けるのだった。



2019.03.13

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