狂犬
──其れ狂犬有らば所在殺すことを聴せ。
道傍に野良犬の亡骸が横たわっていた。石礫を投げつけられたのだろう、頭をかち割られ、口からどす黒い血の混じった泡を吐いて絶命していた。
亡骸からは狂犬の臭いがした。彼はその病をよく知っていた。狂犬に噛まれた人間は気が狂ったようになり、水の一滴さえ口にできずに苦しみ抜いた挙句、死に至るのである。
犬の亡骸に彼は幼き日の自分を見る。彼の頭部から突き出した犬耳を目にするや、鬼のごとき形相で石を投じてきた人間達がいた。
──狂犬めが、死ね。
──犬畜生が人を害するか。
彼自身とあの人間達。化け物とは、果たしてどちらであったのか。
「犬夜叉?」
「……──おれは、狂犬なんかじゃねえっ」
反射的に口を突いて出た訴えに、犬夜叉ははっと瞠目する。
目の前には唇を引き結んだかごめの顔。この世の真理を見透かすかのような巫女の瞳が、ひたむきにじっと見つめてくる。
「今のは──今のは、何でもねえ」
うん、と彼女は静かに頷いた。犬夜叉の頬を両手ではさみ、落ち着かせるように深呼吸を促す。
──心の綻びをさらけ出せるのはおそらく、こうして温かい手が差し伸べられることを知ればこそ。
犬の亡骸に手を合わせるかごめの立ち姿に、木漏れ日が眩しいまだら模様を投げかけた。
2018.12.02