Merry Christmas | ナノ

Merry Christmas


 乱馬はかすみの煎れてくれた緑茶を啜りながら炬燵でひとり温まっている。部屋の隅に飾られたクリスマスツリーのライトが灯されて色彩豊かに輝いているのを見つめ、それから空になった湯呑を机に置く。
 つい先日、天道家の姉妹たちが色めきたってそのツリーに装飾を施していたのを乱馬は思い出した。女というのはつくづくこういう趣向を凝らすのが好きな生き物なんだなと彼はしみじみ思う。父親と男二人、武者修行と言う名の流浪の旅に明け暮れていた頃の彼には知り得なかったことだった。
 ──それにしても暇だった。居間は水を打ったような静けさに包まれている。話し相手がいない。かすみとなびきは台所に立っているし、中年男達は町内のクリスマス会に出掛けているし、あかねは──
 そこで乱馬は口をへの字に曲げる。眉を顰めて、頬杖をつく。
「あかねの奴、なーにやってんだ?」
 彼女は在宅だったが自室に籠っている。ここひと月ばかり、部屋を訪れてもなぜか戸口で締め出されてしまうので彼は不満だった。何か目くじらたてられるようなことを仕出かしただろうかとまごついたりしたが、彼女に怒っている様子は微塵もないので彼は肩透かしを食らった気分を味わい続けている。
 それでもやはりここひと月ほど、許嫁の少女は様子がおかしかった。何よりも、奇行が際立っていたような気がした。

 あれは今からちょうどひと月ほど前、霜月の暮れの放課後のことだった。
 友人達と商店街に道草するため彼等と連れ立って校門に向かっていた乱馬の背後から、あかねが大声で彼の名を呼んだ。
「乱馬ーーっ!!」
 その声があまりに大きかったので乱馬は盛大に震え上がった。怒声にも似た響きだったのだ。
「なっ、なんだよっ!」
 怖々振り返った彼の目の前まで疾走してきた彼女はやにわに腰に手を当てて、ジロジロと彼の上半身を観察し始めた。あまり熱心に見詰めてくるので顔に熱が上ったほどだった。
「なんだよっ!?」
 動揺しながら同じ科白を繰り返した乱馬のことは気にもとめず、あかねは顎に手を当てて小難しい顔をつくり「うーん」だの「足りないかしら」だのと独り呟いていた。彼女が何を考えているのか皆目検討のつかない乱馬が今度は不満顔で詰め寄ろうとしたとき、
「あっ、あかね!?」
 風に乗って甘い花の香りが彼の鼻を掠めた。彼女の髪が纏う香りだった。
 あかねは白昼堂々乱馬に抱き着いていた。今や風林館高校の名物とも言えるこの許嫁たちの遣り取りににやけ顔だった彼の友人達が、口をあんぐり開けている。
 顔を真っ赤にして棒立ちになったカカシのような少年の背に、構わずに腕を回すと彼女は何か納得したような表情でひとり頷いた。それから突然にっこりと花咲くような笑みを浮かべ、
「うん、オッケー!じゃ、また後でねっ」
 晴れやかにそう言い残すと再び颯爽と校舎の方へ駆けていった。あまりにも潔い去り際に、悪友に面白半分に頬をつつかれるまで乱馬はその場でしばし呆然としていた。
 ──何が、『オッケー』だよっ!
 我に返った途端、駄々をこねる子供のように地団駄踏みながら彼は心の裡で叫んだ。

 彼女の奇行はそれだけに留まらなかった。人目も憚らずに背に抱き着いてきたり、腕を絡めるようにしてきたりもした。その都度情けなくも赤面してカカシと化してしまう純情少年とは対極的に、当の本人はなぜかあっけらかんとしていた。
 しばらくそんな日が続き、ある日突然「部屋に当分の間来ないで」と言い渡された。あんなに寄ってきたのにおかしいな、と乱馬は首を捻った。
 もしや誘われているのか、と思った。そこである日、天道家の住人が留守になった時を狙って彼は彼女を襲ってみた。同じ炬燵に身を寄せて居る少女の身体を畳に抑え込むことなど彼にとっては容易いことだった。さてこいつはどう出るだろう、そう思う間もなく右頬にあかねの渾身の一発が入っていた。
 これは相当の痛手を負った、しばらく許してもらえないに違いない、そう思って落ち込んだ乱馬の懸念をよそに、次の日には寝ぼけ眼を擦りながら「おはよう」と告げてくれる彼女がいた。
 その辺りからあかねは、日中も欠伸を噛み殺して眠そうな目をするようになった。理由を聞いてもやはり頑として口を割らず、そして部屋には入れてもらえず。もどかしい日が続いた。

 回想を終えた乱馬はむくれた表情をしていた。湯呑みを爪で弾きながら口を尖らせる。
「せっかくのクリスマスだってのに、何やってんだよ。ったく…」
 文句を垂れながら乱馬は片方の手をポケットに忍ばせた。カサ、と紙のすれる音がする。その存在を確認するように触れてから、肩を落として溜息をつく。
「あーあ…今日ぐらい、デートにでも連れてってやろうって思ってたのにな……」
「それホント?」
 ひっ、と悲鳴ともつかぬ声を上げて乱馬は肩を揺らした。あかねが近付いてくるのが背中越しに感じる気配でわかる。
「お、おめー盗み聞きしてたのか!?」
「別に盗み聞きしてたわけじゃないわよー。たまたま聞こえてきただけ」
 楽しそうに言いながら、あかねはくすくすと鈴を転がすような声で笑った。
「何がおかしいんでいっ!」
「だって意外なんだもん。乱馬でも、クリスマスのこととか一応考えてたんだなあって」
「なっ…お、俺だってなあっ!」
「ごめんごめん、謝る謝る。今のはあたしが言い過ぎたわよ」
 執り成すようにあかねは言った。
「クリスマスなんだから、今日くらい喧嘩はなしにしよう?」
 乱馬は再び口をとがらせた。あれだけ自分を近付けたり遠ざけたりして振り回しておいて、今日はまたすり寄って来るのか。小憎らしい許婚に文句のひとつも言ってやりたくなった。しかし振り向きざま、肩に何か暖かいものが掛けられ、乱馬は言い掛けた言葉を一瞬にして忘れてしまった。
「……?」
 乱馬は視線を落とした。びろんと伸びた衣服の腕部分が肩から垂れている。それを前に引っ張って手繰り寄せると、目線の高さで広げた。それは手編みされた紺色のセーターだった。
「……へ?これ…、俺に?」
「あんたにじゃなかったら、誰にやるのよ」
 頬を薄っすら染めながら、あかねは言った。
「これ、お前が編んだのか?」
「…うん」
「……俺のために?」
 軽くうつむきながら、彼女は頷いた。かわいいな、と乱馬は素直に思った。胸の裡に言い知れぬ幸福感が満ちていく。
 突然抱き着いたりしてきたのは、セーターの大まかな寸法を計るためで、部屋に来るなと言ったのは、編んでいるところを見られたくなかったからだったのか。心の靄が晴れて清々しく思いながら、乱馬は広げたセーターを見つめた。
 よく出来ているなと思った。所々解れのような箇所が見受けられるが乱馬はさほど気にならなかった。元々装いに関してあまり頓着のない彼は着馴れた中華服ばかり好んで着用している。そしてこのセーターもありがたく着回させてもらうことになりそうだと思った。
「お前にしては上出来じゃねえか」
 率直な感想を述べた。途端に、あかねはぱっと顔を輝かせた。
「ほんと?じゃあ、着てみてくれる?」
 乱馬は着ていた上衣を脱ぐと、手編みのセーターに腕を通した。夜を徹して編んでくれただろう彼女の真心が温かかった。
「すげえ。サイズぴったり」
 嬉しそうにそう告げた乱馬に向けたあかねの笑顔が、何よりも眩しかった。乱馬ははにかみ笑いを浮かべながら、あかねの手を握った。
「……あ、ありがとうな」
 自分の手を握り締める乱馬の手に、もう片方の手をのせて、あかねは真珠色の頬を桜色に染めながら頷いた。
「メリークリスマス、乱馬」





end.


(2011. Christmas)
back

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -