縄 張
頭上で何かがぬるり、と動いたような気がした。
見上げてみれば、二本の細い木々の間につながれた、古びた
注連縄がそこにある。
縄の下をくぐり抜けた後も、しきりに後ろを振り返るかごめに、隣を歩く楓が言い添えた。
「あれは、『勧請縄』という」
「カンジョウ縄?」
「ああ。里に悪しきものや邪まなものを寄せつけぬよう、ああして境目に縄を結わえ、結界を張るのだよ」
「ふうん……」
(──だから、あの下を通ったら、不思議な感じがしたのね)
あれは、境界を踏み越えた時の反動だったらしい。
村に帰るなり、かごめは牛飼いの家を訪ね、藁の束を一背負いもらってきた。
妖怪退治から戻ってきた犬夜叉が、囲炉裏のそばで無心に藁を
縒っている彼女を見るなり、不思議そうに首をかしげたのも無理はない。
「──あ。おかえり、犬夜叉」
作業に没頭していたかごめは、彼が隣に腰をおろすと、ようやくその存在に気が付いたようである。
尻を少し動かして、犬夜叉にぴたりとくっついてきた。
「それ、何だ?何か作ってるのか?」
「これはねえ……」
かごめは作りかけの縄を犬夜叉の手に乗せた。死んだ蛇のように、くたりと垂れているそれを犬夜叉はまじまじと見つめる。
「縄?」
「うん。カンジョウ縄を作ってるの」
カンジョウ……?と犬夜叉はしばし考えたのち、
「ああ、勧請縄か。──なんで?」
「悪いものが来ないように、おまじないよ」
かごめはフフ、と笑いながらその縄を、犬夜叉の手首にゆるく巻き付けた。
──どうしたことだろう。
ちらりちらりと上目遣いに寄越す視線が、ひどく挑発的で、なまめかしく、彼の心はにわかに騒めき出す。
「朔の夜にね──」
つややかな唇から、笑うと赤い舌がちろりとのぞいた。
「怖くならないように、こうやって、縛っておくのよ。──そうしたら、私が一晩中そばにいて、あんたを守ってあげるから」
犬夜叉は、吸い込まれるようなかごめの瞳の奥に、魅入られた。
温かい胸に優しく抱き締められた時、──ずっとこのままでいたい、と密かに願ったほどだ。
だから、魔物に魂を奪われたように、彼女のなすがままにされた。
呪縛から解き放たれたのは、翌朝。
手首にくっきりと赤い跡が残っているのを、犬夜叉は仰向けに寝転がったまま、凝視していた。
かごめが作った縄は、蛇の抜け殻のようになって囲炉裏のそばに落ちている。
いつの間に解けていたのか──。
「……朝なの?」
隣を見れば、邪気のない顔をして、とろんと笑うかごめがいる。
まるで、憑物が落ちたようなその表情に、犬夜叉は確かな安堵を覚えながら眼を細くした。
「まだ早いから、もう少し寝てろ」
「うん。──昨夜は、ちょっと疲れてたみたい。帰ってきて、いつの間にか寝ちゃってたのね……」
欠伸まじりにそう呟いたきり、かごめはまた、すぐにまどろみ始めた。
手首の跡を見つめていると、否応なしに昨夜の記憶が呼び覚まされる。それを振り払おうと、犬夜叉はかごめに額を寄せた。
──ぬるり、と。
動く音に目を向ければ、あの縄が瀕死の蛇のように身をくねらせながら、いずこへと消えていった。
18.9.15