八尋知る

(2) 誕生

窓を少し開けると、赤い西日と一緒に、昼間よりもおとなしくなった蝉時雨が病室の中まで差し込んできた。
「ねえ、ハク」
 ベッドの千尋が窓辺に立つ彼を呼ぶ。振り返ると、彼女は締まりのない笑顔で腕に赤ん坊を抱いていた。
「今、ちょっとまぶしかったみたい。──こうやってね、目を細めたの」
 千尋は赤ん坊の真似をして、目をすぼめてみせた。
 ハクの唇が、ゆるく弧を描く。
「すごくかわいいね」
「うん。目に入れても痛くないって気持ち、今ならすごくよく分かるかも」
「そうだね……」
 ハクはベッドの端に腰かけて、息子の顔を愛おしげに見下ろした。半分は竜の血が混ざった子だから、容貌に何かしらの特徴が出るかもしれないと思っていたのだが、見たところごく普通の人間の赤ん坊そのものである。
 ただ、見つめ返してくる瞳の静けさが、どこか常人ならざるもののように感じられるのだった。
「あなたはお父さん似だね。特に、目元がそっくり」
 彼の思考を読んだかのように、千尋が赤ん坊に語りかけた。
「口元は千尋似だと思うよ。──ほら、笑うとそっくりだ」
 二人を見上げてにっこりと笑う息子に、ハクは優しくほほえみ返す。きっとこの子には、もう両親のことが分かっているのだろう。屈託のない笑顔を見ていると、胸が震えてつい涙が出そうになる。昨日でもう泣くのはやめようと決意したはずなのだが、どうも涙もろくなってしまっている。
「……ところで、そろそろいらっしゃる頃かな」
 感情が揺れ動いたことをごまかすように、天井を見上げながらハクはつぶやいた。千尋が、ゆりかごのように赤ん坊を揺らしながら応じる。
「夕方には着くって言ってたよ。道が混んでなければね」
「なら、じきに着くはずだ。下で何か飲み物を買ってくるよ」
「気を遣わなくてもいいのに」
「いや、私ものどが渇いたからね。千尋は何が飲みたい?麦茶?」
「うん。お願いしてもいい?」
 うん、とハクは目を細めて頷き返す。
 去り際、すべらかな息子の額に、それから微笑みを絶やさない千尋の唇に、そっと口づけをした。
「──またあとで、ね」

 一階の売店に向かう途中で、ちょうどエントランスから入ってきた千尋の両親と遭遇した。
「やあ、コハク君!」
 義父の明夫がいち早く気付いて、ちぎれんばかりに手を振ってきた。ハクは丁寧に頭を下げる。
「遠いところから、わざわざお越しいただいてありがとうございます」
「こちらこそ、出産日に間に合わなくてごめんなさいね。予定日はまだもう少し先だって聞いてたから、来るのが遅くなってしまって……。コハクさん、娘と孫は元気かしら?」
 義母の悠子が待ちかねた様子で訊ねてくる。はい、とハクは穏やかな笑顔で頷いた。
「301号室です。ちょうど二人とも病室にいますので、会いに行ってあげてください」
「ありがとう、コハク君!早速、初孫の顔を見に行ってみるよ」
 言うが早いか、義両親は駆け出さんばかりの勢いで階段を昇っていった。二つの背中を見送りながら、ハクは胸のうちから泉のように滾々と湧き出る幸福感を噛み締めている。
「こちらこそ、ありがとうございます。──お義父さん、お義母さん」




<続>

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