さめない



「──わあっ、高い!」
 犬夜叉の耳元で、声がはじけた。
 三年ぶりに聞く声だ。これほどの時が過ぎれば、きっと記憶に残っているよりも大人びた声になっているんだろうと想像していたのに、旅をしていた頃と寸分違わぬその無邪気さが、彼の耳を心地よくくすぐる。
「しっかりつかまってろよ、かごめ」
「うんっ」
 彼は地面を蹴り、一陣の風になって春の野山を駆け抜ける。木々の下を通り過ぎれば、淡く色づいた桜の花びらが、つむじのように巻き上げられて青空を舞った。
 また、かごめのはしゃぐ声がする。
「こっちも、もうすっかり春なのね」
 ああ、と、犬夜叉は感慨深げに返す。
 背中に感じるかごめの重みと、温もりが懐かしい。こうして彼女が身を預けるたび、信頼されているという喜びを心の中で噛み締めたものだった。時が経っても、その喜びは少しも褪めることはなく、むしろいっそう貴重でかけがえのないものに感じられる。
 嬉しくて野山を走り回るなんて、まさに「犬」そのものだと、村の仲間たちに知られればまたいじられそうだが、それでも構わないと思えるほど、犬夜叉の心は天高く舞い上がっていた。
「ねえ。……こんなふうに犬夜叉におんぶされてるなんて、夢みたい」
 かごめが両腕を彼の首に回して、そっと頬擦りしてきた。待ち焦がれた匂いに包まれて、犬夜叉の方こそ、ひょっとするとすべてが夢なのではないかと錯覚してしまいそうになる。
 そうではないと言い切れるのは、かごめの存在を、かつてないほど近くに感じられるがゆえだった。
「かごめ」
 切り立った岩場に立ち、青く広がる景色を見下ろしながら、犬夜叉は背中のかごめに呼びかける。
「夢だと思うなら、目を閉じてみたらいい」
「──こうやって?」
「ああ。目を開けても醒めなければ、夢じゃねえってことだろ?」
 犬夜叉は、小首を傾げて視線を肩越しに流す。ちょうど、かごめの黒い瞳がゆっくりと開かれて、目の前にある真実を見極めるところだった。
 目と目が合えば、少しの不安を隠し切れずにいたその表情が、みるみるうちに屈託のない笑顔に塗り替えられていく。
「犬夜叉。──やっぱり、夢じゃないみたい」
 ああ、と、犬夜叉は胸に熱いものを感じながら頷き返す。
「おまえが戻ってきてくれたことは、──夢なんかじゃない」
 まるで、自分に言い聞かせるような物言いだった。
 かごめが彼の背中からおりて、振り向きざまの胸に飛び込んでくる。
「私、もうどこにも行かないで、ずっと犬夜叉のそばにいるからね」
「かごめ」
「ずっと、会いたかった。会いたかったの。──犬夜叉」
 犬夜叉は衝動的に、かごめを掻き抱く。心地よい温もりが冷めないように、またどこかへ消えてしまわないように。そうして触れていると、三年の間、押さえつけていたものが滔々とあふれ出し、もう二度と、離れ離れになることなどできないことを思い知る。
 帰還を切に望むことが、かごめにとって重荷にならないだろうか──と。思い悩んではひとり井戸に通い詰めた日々が、今となってはそれこそ、はるか昔に見た夢のように遠い。
「ずっと、言いたかったことがある。──かごめ」
 犬夜叉は、抱き締めたかごめの匂いごと、春の生命力に満ちた空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
 そして、心の奥底にしまっていた唯一の望みを──四魂の玉にさえ叶えることのできなかった願い事を、みずからの力で叶えるべく、口にする。
「これからもずっと、おれのそばにいてほしい」







#ふぁぼした人の絵を勝手に小説にする
ツイッターより。
まりーさん(@mncoma_ry)が描かれた、
こちらの素敵イラストに寄せて書かせていただきました。
まりーさん、ありがとうございました。

2018.04.08

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