逢魔が時

*犬夜叉 子供時代

 ──獣じみた臭いがする。
 目を閉じたまま、少年は眉をひそめた。
 どうやら、妖がこの屋敷にまぎれこんでいるようだ。
 大人たちが知ったなら、またひどく彼を責めるだろう。
「童よ、よい衣を着ていること……」
 聞き慣れぬ女の声と、衣擦れの音がした。
 扉に鍵をかけられた塗籠の中で、大の字になって寝そべっている少年の周りを、そのただならぬ気配はゆっくりと歩き回っている。
 不快なことこのうえない。
「わたしに、一枚くれぬかえ?」
「……これは父上の形見だ。誰にもやるもんか」
 憮然と答える犬夜叉を、クク、と声があざ笑う。
「わたしがほしいのは、火鼠の衣じゃない」
「じゃあ、何だよ」
「──おまえの生皮だよ」
 少年は、かっと目を開いて跳ね起きた。
 何かが頬をかすめた感触がして、手の甲で拭えばわずかに血がついている。見れば化け物の鋭い爪が、彼の頭があったところに深々と突き立てられていた。
「何すんだよっ」
「おまえのその人臭い肉から皮を剥ぎ、わたしの坊やの衣を作ってやるのだよ」
 キィキィキィ、と耳障りな声で女が笑った。美しく装った女の白面がみるみるうちに崩れ、醜悪な化け鼠のそれに変じていく。
「わが君を殺め、その生皮からむしり取った毛より織りし反物が、おまえの纏うその火鼠の衣なのだ」
 塗籠の格子窓から夕日が赤々と差し込んでいる。じきに母を乗せた牛車がこの屋敷に戻ってくるだろう。
 ただでさえ、息子が底意地の悪い大人たちによってこの塗籠に十日近くも閉じ込められていることを知れば嘆き悲しむだろうに、密室で気味の悪い化け物に寝込みを襲われたなどと知れば、心痛のあまり病が悪化しかねない。
 犬夜叉は苛立ちまぎれに歯ぎしりした。
「母上は鼠がおきらいだ。臭いが残らないうちに、さっさと消えろ」
 鼠の化け物は激昂し、醜い声をあげた。爪を振りかざして、勢いよく襲いかかってくる。
 ボキボキッと、指を鳴らして相手を見上げる少年の金の瞳に、赤い光が禍々しくよぎる──。

「母上、おかえりなさい」
 手を借りながら牛車を降りる姫君のもとに、赤い衣の少年が風のように駆けていった。
 姫は笠の日除け布の奥で柔らかく微笑み、愛おしそうにわが子を胸へと抱き締める。
 しばらくそうしていたが、ふと柳眉を曇らせた。
「──犬夜叉。顔をどうしたのです?」
 白い手が息子の頬にそっと触れた。何か鋭利なものがかすめたような細い傷痕がある。
 少年は、屈託なく笑う。
「ちょっと、鼠に引っ掻かれただけです」
「鼠に……?」
「でも大丈夫。おれが退治したから、もう、二度とこない」
 犬夜叉は待ちきれないというように、だが決して急がせることのないように配慮しながら、母の手を引いた。
 別邸で静養していた時の話を、早く聞かせてもらいたかった。



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(2017.08.12)
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