語部かたりべ



「こいつはただの玉発見器」
 出会ったばかりの頃の犬夜叉は、実につむじ曲がりな男だった。
 特に最初の旅仲間であるかごめに対しては、その天邪鬼ぶりを惜しみなく見せつけていた。口先ではまるで彼女のことを顧みないかのような調子を装いながら、その態度はまったく言動にともなっていないのである。
「……おい。死にてえか、この生臭坊主」
 美人の巫女に興をそそられないはずがない。弥勒がかごめにちょっかいを出そうとすれば、犬夜叉は眠りを妨げられた獣のように神経質に反応し、何としてでもその魔手を防ごうとした。
 数日も経てばかごめに対する弥勒の出来心はなりをひそめたが、犬夜叉の警戒はしばらく揺らぐことはなかった。
 弥勒が前を歩くかごめに近寄ろうとすれば、首根っこをつかんで引きずり戻される。どさくさに紛れてまた尻を撫でるとでも思ったのだろう。
 夜はかごめの近くに番犬のように居座り、決して見張りを怠ることはない。
「『ただの玉発見器』のはずでは?──なぜそんなに神経をとがらせている?」
 口角をもちあげて意地悪く問う弥勒に、犬夜叉はややうろたえてお決まりの悪態をついた。自分でも、なぜいらだっているのか解っていなかったらしい。
「自分の女でもないのに近寄らせもしないとは、独占欲の強い男ですなあ」
「なっ、誰があんな女に独占欲なんか……」
「そうか──」
 弥勒は含み笑いを浮かべながら、策士のずるがしこさで、決定的な一押しをした。
「では、私がかごめさまをものにしても?」
 冗談を冗談と受け流せるほど、人慣れしていない半妖の瞳に殺意がやどった。ようやく彼の本心が透けて見えたような気がした。
 妖刀の錆になることを望まず、賢明な法師はそれ以降、興味本位でかごめの名を引き合いに出すのをやめることにした。

 彼が仲間の一人として見守り役に徹するうちに、犬夜叉のかごめに向ける眼差しは変わっていった。
 ある時は、何か得体の知れないものを観察するように、飽きることなく見つめていた。
 あるいは彼女の顔に、誰かの面影を見出していた。
 またある時は、心に反して無理やり視界から遠ざけようとした。
 それが不可能だと悟った時から、彼はもはやかごめへの本心を隠すことをしなくなった。
 その目は彼女の姿を追い、彼女のために涙を落とし、枯れ井戸の向こうに忽然とその姿が消えたのちも、惜しみない愛情をそそぎつづけた。

 妻の珊瑚が双子を産んだ夜、弥勒は枯れ井戸のそばに見慣れた後ろ姿を見つけ出していた。
 祝いの席のにぎやかさよりも、彼にとっては、思い出の眠るその場所の静けさのほうがよほど居心地がいいようだ。
 もの言わぬその背中に、弥勒はつい問わずにはいられなかった。
「おまえのことだから、何があってもかごめさまを離さないのだろうと思っていた。──かごめさまを愛しているのに、ここへ連れて帰ろうとは思わなかったのか?」
 振り向いた犬夜叉が、逆に問い返してきた。
「弥勒。おまえは、琥珀と張り合おうと思ったことがあるか?」
「なぜそんなことを聞く?」
「琥珀から珊瑚をぶんどってやろうだなんて、思わねえだろ。……そういうことだよ」
 犬夜叉は、枯れ井戸の縁をなでながら打ち明けた。かごめを愛し、必要とするのは、自分だけではないのだということを。井戸の底に静かな視線を投げかけながら。
「成長したな、犬夜叉」
「──なんでい。いきなり」
 素直に感心してこぼした言葉にもかかわらず、相手は茶化されたとでも思ったのか、へそを曲げる。
 弥勒の口元に、気遣わしげな微笑みが浮かんだ。
「褒めているんだ。できることなら、初対面のころのおまえと私に、今の言い分を聞かせてやりたい」

 太陽が昇り、月が傾き、花の蕾がふくらみ、妊婦の腹がしぼむ。
 時は恋人たちの味方だった。離ればなれになっていた手と手が、再びつながれる時がやってきたのである。
 ──婚礼の日の朝。
 簡素ながら品のある花嫁衣裳に身をつつみ、はにかみながら楓の家から出てきたかごめを目にした犬夜叉は、しばし瞬きを忘れてその姿に見入っていた。
「……行っておあげなさい、犬夜叉」
 弥勒はそっとその背を押してやる。無防備に後ろ姿をさらしていた犬夜叉は、一瞬よろけた。が、かごめがそれを見て花のほころぶような笑みをこぼすと、すぐに体勢を立てなおした。
 その足取りは、あたかも、この世で最初の一歩を踏み出す赤子のときめきをうつしているかのようだった。
 差し伸べるその手は、待ち焦がれた人を得ることのできる喜びに、かすかに震えていた。
「──もう、待たせたりしないから」
 紅を差した唇が優しくささやいた。
「これからは、ずっと一緒よ」
 犬夜叉は、きっと天にも昇る思いだっただろう。
 婚礼を終え、一月、半年、一年がすぎても、彼らの幸福が薄れることはなかった。
 そして、村一番のおしどり夫婦の称号は、弥勒とその妻だけのものではなくなったのだった。

「法師さま、雉つかまえてきたよ」
 にっこりと笑いながら、少年が逆さにつるした雉をかかげてみせる。大岩に腰かけて錫杖を手入れしていた弥勒は、少年のために隣を空けた。
「いつもかたじけない。今夜は雉鍋に決まりですな」
「うちもそうするって、さっき母上が言ってた」
 少年は、弓と矢筒をおろして弥勒の隣に腰を落ち着ける。物心ついた頃から弓矢を扱いはじめたという彼の腕前は、折り紙つきだった。腕力がついてきた近頃は、一度に三本の矢をつがえて放つという。優秀な狩人として、村の若人衆から一目置かれているのもうなずけた。
「ねえ、法師さま」
 少年が弥勒の脇腹をひじで小突いてきた。
「父上と母上の話、聞かせてほしいな。まだ話してないこと、たくさんあるんでしょう?」
 これみよがしに獲物をぶら下げてみせながら、あざとくねだる少年。弥勒の口元に共犯者めいた微笑みが浮かぶ。
「物々交換というわけですか。……まったく、おまえは誰に似てそんなに賢く育ったのでしょうね?」
 親譲りの美貌の少年は、小賢しい笑みをたたえてかわいらしく小首を傾げてみせた。
「──なんのこと?弥勒おじさん」
 かくして法師は、夕餉の雉鍋の引き換えとなる感動的な思い出話を、心をこめて少年に語ることとなる。──おかげで翌日、半妖の父親からひどくどつかれることになるのだが、きっとその大人げない応酬さえも、いつかは懐かしい昔話として誰かの口から語られることになるのだろう。





リクエスト:弥勒目線の犬かご

2017.04.10



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