花嫁御寮  21: 誤解



「お前がこの手を振り切って、俺から逃げてくれないか」
 決定的な選択を丸投げするなんて、この人はずるい。
 桜が複雑な想いを抱えながら口を開きかけた時、彼女を見つめていたりんねの目が、はっと見開かれた。
「──危ない、真宮桜!」
 離しかけた手をぐっと引っ張られ、肩を抱き込まれる。車がすぐそばを猛スピードで通り過ぎていくところだった。会話に気を取られて車道ぎりぎりのところに立っていたことに気が付かなかったらしい。
 至近距離で、目と目が合う。
「こういうこと……前にもあったよね」
 桜がそうであるように、りんねも瞬きを忘れて相手に見入っている。
「覚えているのか、あの時のことを」
「そう簡単に忘れられないよ。だって──」
 思い出は時に人を素直にしてくれる。懐かしさと愛おしさに、桜の目元が和らいだ。
「初めてだったから」
 俺も初めてだった、とりんねが同調する。
「あれが最初で最後だと思っていたんだ」
 その言葉で桜はようやく、つい先程、彼に唇を奪われたことを思い出した。六年前に思いがけずもたらされた、ファーストキスを塗り替えるかのようなその感触を、思わず指先で確かめてしまう。
「……結婚してるのに」
 彼女がみずから唇に触れてきたことに、りんねは目を見開いた。そんな些細な表情の変化さえ、桜にとっては恋しくて、かけがえのないもので、目が離せなくて、少し恨めしい。
「奥さんも、子どももいるのに」
「──子ども?」
「隠さなくてもいいよ。お子さんがいるんでしょう?」
 淡々と告げる桜。りんねは二度瞬きをした。
「……お子さん、とは?」
 桜は真っ直ぐに相手を見上げる。
「とぼける気?」
「とぼけるもなにも、何のことだかさっぱり……」
 彼は目に見えて困惑していた。桜の心に疑問が浮かぶ。
「六道くん、結婚してるんだよね?」
「不本意だが、周囲はそう解釈するだろうな」
「それで、堕魔死神の奥さんがいるんだよね?」
 りんねがわずかに眉をひそめる。
「奥さんと言っても、年端のいかない猫の子どもだがな」
 桜は合点がいかないという顔をした。
 何か誤解が生じていることを察したのだろう。彼がその肩をつかんで、言い募る。
「本当だ。六年前、無理やり式を挙げさせられはしたが、籍が入っているわけでも、情があるわけでもない。──それに、誓って言うが、俺は彼女に指一本触れたことがないんだ」
 



To be continued
 
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