*油屋 千尋+リン+ハク
年季明けの従業員を送り出す内輪の宴会では、千尋たちのような若い下働きが労を尽くさなければならない。
配膳所と宴会場とを行ったり来たり忙しくしている千尋に目を留めて、先輩湯女のかいが上座から呼び止めた。
「千、ちょっとこっちにおいで」
すっかり酔いの回ったかいは、ふくよかな頬を赤らめて上機嫌ににこにこしている。彼女は本日の宴会の主役のうちのひとりだ。
「なんでしょうか、おねえさん」
額に浮かぶ汗を手の甲で拭いながら、千尋は湯女のもとへ馳せ参じる。
かいは水仕事であかぎれのできた千尋の手をとり、労わるように撫でさすった。
「あんたが来たばかりの頃、意地悪したことを謝っておこうと思って。すまなかったねえ……」
「は、はあ」
その後もなかなか解放してもらえず、千尋が反応に困っていると、そばで空き瓶を片づけていたリンが呆れたように笑った。
「ねえさんったら、ほんっとに千ばっかりかわいがるのな」
「そういうお前こそこの子を独り占めしてるじゃないか、リン」
「当然でしょ。こいつはあたいの手下なんですから」
リンは千尋の首根っこをつかんで、かいから引き離した。「あん」と名残惜しそうに眉をひそめる湯女。
「リンのけちぃ」
「シナ作ったってだめですよ、ねえさん」
千尋はずるずると引きずられるようにして宴会場を出た。
「ったく、油断も隙もありゃしねえ……」
リンがぶつぶつと文句を言っているが、千尋には何のことかさっぱりわからない。
角を曲がったところでちょうど、帳場役と鉢合わせた。千尋に気づいてわずかに目を細める。
「宴会は盛り上がっているか?」
リンは千尋を前に突き出した。
「そんなことより、やっぱり引き抜かれそうになってたぜ。かいねえさんに」
「……そうか」
表情を引き締め、ハクは合点のいった様子で頷く。千尋だけが蚊帳の外で、二人の目配せを傍らで小首を傾げながら見ているばかり。
「千尋はもう、宴会の手伝いはしなくていいよ」
二人きりになると、ハクがそう言って千尋の手を引いた。
「でも、手が足りなくならない?」
「大丈夫。どのみち、じきお開きになる」
ハクは振り返って、表情を和らげた。
「手があかぎれで痛むだろう?釜爺のところに行って、いい薬をもらってこようか」
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(2017.02.02)
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