花嫁御寮  20: 逃れられない



 一度出会ってしまえばきっと、理由をこじつけてでもまた会いたくなる。
 そうなることを想定していたからこそ、この六年間心を押し殺して彼女との接触を絶ってきた。
 数日前、宿敵グリムの標的となったかつての同級生・リカの恋人。事前に情報を入手していたりんねが出向いたことで一命を取り留めた彼が、奇しくもりんねと桜を引き合わせた。長年に渡り堅固にかためられてきたはずのりんねの忍耐は、あの夜から絶え間なく揺さぶりをかけられている。
 被害者のその後の様子を聞き取るという名目で、あの晩、すべてを見守っていた唯一の立会人に会いに行くことを勧めたのは、秘書の翔真だ。
「行ってこいよ。これも死神の務め、だろ?」
 りんねはその動機づけに縋った。そうだ、これはアフターケアの一環なのだと自分に言い聞かせた。自分は死神として、事務的な用事で彼女に会いに行くのだ。決して私的な理由から、安易に決意を翻したわけではない──。


「もう二度と、私の前に現れないで」
 この六年間、りんねの挫けそうな心をかろうじて支えていたものが、その一言で脆く崩れ始めた。
 ──これは天罰なのか。
 桜の肩に触れようとして振り払われた彼の手は、氷漬けになったように感覚を失っている。唯一の心の拠り所であった彼女に拒絶されたという事実に、りんねの心身が悲鳴を上げ、自由が利かなくなるほど麻痺していた。
「六道くんと私では、もう住む世界が違うんだよ」
 桜はもうりんねとは目を合わせようとさえしない。りんねはそうしていることが恐ろしくて堪らないものの、抗いがたい磁気に引き付けられるかのように、彼女から目を逸らすことができずにいる。
「私達、これ以上関わらないほうがいいと思うの。周りから誤解を招くようなことはしちゃいけないと思う。二人とももうあの頃とは違うから。私には結婚を約束した人がいるの。──六道くんだって、既婚者なんでしょう?」
 りんねは思わず息を飲む。吸い込まれそうな桜の双眸に非難がましく見つめられて、呼吸をすることさえままならない。
「私はもう、六道くんの厄介事に巻き込まれたくない。これ以上六道くんのことで悩んだり、苦しんだり、傷ついたりしたくないの」
 気丈に彼を見上げていた桜の両目に涙があふれ、白い頬をか細く伝い落ちていった。
「お願い六道くん。もう二度と、私の心を掻き乱さないで」
 りんねは思い知る。彼にとっての桜がそういう存在であるように、彼女にとっての彼もまた、どうしようもなく心を揺さぶる存在なのだということを。
 感極まったりんねは、震える桜の手を取った。婚約者への後ろめたさからか、彼女はその手を振り解こうとするが、りんねはより一層強く握り締めて逃れられないようにする。
「離さないでくれ」
 哀願する彼の赤い瞳に、身を切るような思いが滲んでいた。
「今この手を離したら、もう二度と繋げない気がする。そんなことになったら、もう──生きている意味がなくなってしまう」
 桜は目を見張る。瞬きを忘れたりんねの瞳からも、一滴の涙が零れ落ちていた。赤い瞳から滲み出たかのような血の涙。
「六道くんが先に私から離れていったんだよ。なのに私には、手を離さないでって言うの?」
「すまない」
 彼が何に対して謝ったのかは、すぐに明らかとなった。──桜が口を開きかけたその瞬間、りんねの顔がぐっと近づき、彼女の唇に忘れかけていた懐かしい感触を蘇らせたのである。
 途方に暮れる桜の顔を、りんねは傷心の面持ちで覗き込む。その言葉が癖になってしまったように、もう一度、
「すまない──」
 と、呟いた。
「俺とお前では住む世界が違うと言ったな。その通りだ。だから俺は自分にそう言い聞かせて、何度もお前のことを諦めようとしたんだ。この六年間、お前の幸せを一心に願い続けてきた。十文字と二人で人並みの幸せをつかんでくれることを祈っていた。──でも駄目だった」
 もう一度、桜の顔に彼の影がくっきりと落ちる。思わず目を閉じて身構える彼女に、りんねは長い睫毛を伏せて逡巡した。
 彼女こそが、彼の生きる意味といっても過言ではない。
 だが、だからといって、このやりきれない思いを強引に彼女に押しつけることは、間違っているのではないか──。
 感情の濁流に飲まれかけていたりんねの理性が、心に悲しい事実を訴えかけていた。どれほど恋い焦がれ、その手を離したくないと駄々をこねたところで、結局彼女を得ることなど叶わないのだということを。
「──六道くん?」
 目の前にいながら、こんなにも得がたい。りんねはやりきれぬ思いで、その手を一層強く握り締める。自分を押し付けるのはこれを限りにしようという、悲壮な決意を固めながら。
「自分の心に嘘はつけない。六年ぶりにお前の顔を見て、確信したんだ。俺はもう、二度とお前からは逃れられないと。自分から手を離すことなどできないと。──だから、真宮桜」
 深く息を吸い込み、彼は言葉を繋いだ。
「お前がこの手を振り切って、俺から逃げてくれないか」




To be continued
 
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