花嫁御寮  19: 拒絶



 死神界において最も栄えある「名誉死神」の殊勲をたてただけあって、彼女はやはり一筋縄ではいかなかった。
 呪い手以外には決して解けぬはずの「死神封じ」の呪いを、死神魂子はいともたやすく撃ち破ったようだ。
 屋敷の扉をあけた彼の首筋に、間髪入れず死神の鎌をあてがう彼女。
 刃先の冷たい感触にも、男は動じない。魂を地獄に売ったその瞬間から、己の命など惜しくはなくなった。
「これはこれは。とんだお出迎えだ」
 燃えるように赤い瞳が、激しい怒りをたたえてグリムを見上げる。
 ──もっと怒れ。
 彼は氷のように冷ややかな目で、あえて彼女を挑発する。
 憎むがいい。恨むがいい。
 私のこと以外、考えられなくなるほど強く。
「──私の息子を無断で連れ出すなんて、いい度胸ね」
 普段穏和な相手ほど、逆鱗に触れれば後が恐ろしいという。
 彼女の気性は、彼もよく知っていた。
 どういう態度をとれば、そのささくれだった神経をいっそう逆撫でできるのかも。
「僕があなたの息子をどうにかすると、思ったのですか?」
 魂子の眼光が鋭くなる。
「鯖人はどこにいるの?」
「──」
「答えなさい。ヨミ」
 その名を呼ぶものは、もはや彼女のみ。
 グリムは陶然と、その余韻に浸る。
「地獄のすぐ近くの、賽の河原に捨ててきましたよ。今頃鬼達に囲まれて、石積みでもしながら、みっともなく泣きべそをかいているのでは?」
 みなまで聞かずに飛び出していこうとする魂子の手首を、彼は強く掴んで引きとめた。
「──いや。あるいはもう、指一本も残さず、鬼に喰われているかもしれませんね」
 憎しみに燃える彼女の瞳に、彼は目を細めて笑いかける。
 彼女の不幸こそが、彼の幸福だ。
「お前と刺し違えてでも、私の家族を、お前から解放したいわ」
 くく、とかつての死神は暗い笑みをこぼす。
「そうできないことが、残念ですね」

 
 部屋に上がった覚えがない。
 だが目が覚めた時、桜は自分のベッドの中にいた。
 下に降りてみると、リビングのコーヒーテーブルに置手紙がある。それは東京にはまだ帰っていないはずの彼女の婚約者が書いたもので、
 ──また依頼が入ったので、出かけてきます。今日の夜には帰ります。冷蔵庫におみやげの笹かまぼこあります。
 と、記されていた。
 どうやら昨夜は、彼が部屋まで運んでくれたらしい。
 傷心して眠った彼女には、そのことに気づく心のゆとりさえなかった。
 桜はシャワーを浴びた。小ざっぱりとした後は、あまり食欲はないが、トーストと目玉焼きを焼いて食べた。翼が旅先から持ち帰った洗濯物を干し、掃除をすませると、家の電話が鳴った。依頼人からだった。依頼の内容を書きとめて、携帯から翼にメッセージを送った。しばらくしてから、わかったよ、と一言返信があった。
 気分転換に買い物に出かけようと思い立った。昨夜は翼が帰ってきていたことも知らず、夕食の支度もしていないという体たらくだった。今夜こそ、彼の好きな料理を作って帰りを待っていよう。おみやげの笹かまぼこをつまみに、晩酌もいいかもしれない。
 近所のスーパーからの帰り道、いつものように至るところで浮遊霊を見かけた。見るからに訳ありなら放っておくことはできないが、どれも善良な霊ばかりなので、軽く会釈するにとどめて通り過ぎる。
 不意に、近くの電柱に霊道がひらいた。
 なんとはなしに立ち止まった桜は、そこから姿を現した人物を見て、目を見開く。
 赤い髪、赤い目。
 あの幼い子どもと生き写しの顔から、目が離せない。
 今、彼女が最も出会いたくなかった相手が──何の因果かそこにいた。
 彼にしてみてもこの再会は意外だったようで、しばらく惚けたような顔をしていたが、ふと、我に返ってぎこちなく片手を上げる。
「奇遇だな。この辺りに用事があって来たんだが──」
 りんねは桜の手提げ袋をちらりと見やる。
 今夜の夕食に作る、ハンバーグの具材と、晩酌用のビールが入った手提げ袋。
「真宮桜は、買い物の帰りか?」
 爪先から徐々に氷漬けにされていくような感覚を覚えながら、桜はうつむく。
 ──彼の家では、今夜、食卓にどんな料理が並ぶんだろう。
 ひゅうひゅうと、心に隙間風が吹く。
 できることならもう二度と、同じ空の下で出会いたくない相手だった。
「真宮桜?」
 そっけない態度を、体調が悪いとでもはき違えたのか。
 りんねが近づいてきて、気づかわしげに彼女の肩に触れようとした。
「触らないで」
 言葉で拒絶するより先に、その手を振り払っていた。
 触れないでほしい。
 話しかけないでほしい。
 ──もう二度と、私をその目で見つめないで。
 この状況で平静を装えるほど、彼女は器用な人間ではなかった。
「六道くん」
 彼女に拒まれたことを悟った彼は、目を見開き、まるで石像にされたようにその場に硬直している。
「お願い」
 ここからはもう、何も始まりはしないのだということを彼女は思い知る。
 二人の縁は、彼が去っていった六年前のあの日、終わりを迎えたのだ。
 その顔から目を逸らして、桜は、決定的な一言を告げた。
「もう二度と、私の前に現れないで」




To be continued
 
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