病は気から
体が弱っている時には、得てして人恋しくなるものである。
いつになく心もとない目をする彼に、桜は、精一杯の優しさで応じてあげようと思った。
「……すまない、面倒をかけてしまって」
畳の上で仰向けになっているりんね。
高熱のためか、息遣いが少し荒い。
廃屋同然のクラブ棟は隙間風が吹き込んで身震いするほどの寒さだが、体温の上がっている彼はそれでも寝苦しいらしく、ジャージのファスナーを開けっ放しにしている。
ズボンも、ふくらはぎまでたくし上げてしまっている。
「六道くん。熱くても、体はあまり冷やさない方がいいよ」
「ああ──そうだな」
「風邪薬、うちにあったの持ってきてみた。あの世の風邪には効かないかもしれないけど、一応飲んでみる?」
「いや、六文が薬を買ってきてくれるから……」
ピピ、と体温計の音が鳴った。
りんねは大儀そうに、一度首元まできっちりと閉めたファスナーをもう一度引き下げて、脇にはさんだ体温計を取り出す。
計ってみるとよほどの高熱だったようで、驚いたように目を丸めて、手のひらを額にあてた。
「……熱い」
焼け石に触れたように手を離す。
桜はすかさず、水で冷やしてしぼったタオルを彼の額にのせてやった。
「気持ちいい?」
目を閉じて、小さく頷くりんね。
気が滅入ってしまったのか、とてもしおらしい。
顔に浮かぶ汗を桜がハンカチでそっとぬぐってやると、うっすらと目を開けて、彼女の方を見た。
「六道くん?」
「……」
「もしかして、なにか欲しいもの、ある?」
りんねは何も答えない。子どものようにつぶらな瞳で、縋るようにじっと彼女を見つめている。
桜は手を伸ばして、彼の頭を撫でてやった。
子供の頃、風邪をひくとよく心細くなったものだった。そんな時には、無性に誰かに甘えたくなって、こうして母親に頭を撫でてもらったりしたものだ。
「いい子、いい子」
熱が上がっているせいだろう。りんねは潤んだ目をして、桜のなすがままにされている。子ども扱いされていることに不満をもらすこともない。
ふと、桜は思った。
もし、彼女に小さな弟がいたら、こんな風に看病してあげたかもしれない──と。
一人っ子の桜は、弟や妹の面倒を見たことがない。けれど、もし年下のきょうだいがいたら、と思うことはよくあった。
今のりんねは、桜にとって念願の、かわいい弟のようだった。
「六道くん。今日は、六道くんのどんな我儘も聞いてあげるよ」
りんねはミネラルウォーターを飲むために、のろのろと上半身をおこした。
「……どんな我儘も?」
「うん」
桜は紙袋からブランケットを取り出して、りんねの肩に掛けてやる。
自然と距離がせばまり、彼の肩を抱くような格好になった。
伏し目がちに桜を見つめるりんね。男子にしては長い睫毛が、赤みがかった瞳にくっきりと影を落としている。
「──真宮桜は、優しいな」
間近で聞こえる、低く掠れた声に、桜の心臓が驚いている。
小さくてかわいい弟、と呼ぶには、彼はあまりにも育ちすぎていた。
「いつも、こんな俺にかいがいしく世話を焼いてくれるのは──真宮桜、お前くらいだ」
熱が高くなると、視線まで熱を帯びるものだろうか。
りんねの熱い眼差しに、桜はちりちりと心を焦がされたような気分になる。
生まれて初めてだった──。
こんなふうに、焦がれるように切実な眼差しで、誰かに見つめられるのは。
その眼差しに、胸の動悸がこんなにもはげしくなるのは。
「真宮桜」
いつもより少し低い声で、名前を呼ばれると、耳がくすぐったくて、背中がぞくぞくしてしまう。
「お前に優しくされると、俺はつい、高望みしてしまいそうになる……」
──高望み、の意味をきき返す勇気はない。
桜はつい今しがたまで姉気取りでいたことが嘘のように、腰が引けてしまっている。
彼は、六道りんねは、同い年の男子だった。
どんなに気弱になっているように見えたとしても、彼女の小さくてかわいい弟などには、決してなりようがなかった。
「──今日はどんな我儘も、きいてくれると言ったな」
桜は、まるでりんねから熱が伝わったかのように、体がにわかに熱くなるのを感じた。
りんねに耳元で囁かれると、寒くもないのに身震いしてしまう。
熱くて、熱くて、逃げ出してしまいたくなる。
「ひとつだけ、きいてほしい我儘があるんだ」
熱で頭がふらつくのか、彼は桜の肩口に額を押し当てた。制服越しに、焼けるような熱さを感じながら、彼女はどうにか返す言葉を探り当てる。
「私にできることなら……」
「──真宮桜にしか、できないことを」
りんねはフ、と吐息をこぼして笑う。
体力は落ちていても、彼の両腕から逃れることはできない。
彼の言う我儘というものを、知りたいような、知りたくないような──。
大風呂敷を広げたことを半ば後悔しながら、けれどささやかな期待も抱きつつ、じりじりと火に焦がされるような気分で、彼女は続く言葉を待った。
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2016.10.15