つむぐ
昼時、ちょうど太陽が中天にさしかかったころ「沼の底」にたたずむ魔女の居所からは、なにかを窯で焼いた香ばしい匂いが漂っていた。
「おばあちゃんの料理、大好き!」
銭婆手製の焼きたての香草チキンパイをほおばりながら、千尋が目を輝かせる。
「おやおや、嬉しいねえ。孫にほめてもらっているようだよ」
ティーカップを傾ける銭婆はこのうえなく満ち足りた顔をしている。
「お前の隣でもじもじしてるその子のことも、ほめてやっておくれな。千尋においしいものを食べさせたくて、かいがいしく手伝ってくれたからねえ」
「カオナシもお手伝いしたの?」
くるりと自分の方を向いた千尋に優しく訊かれ、仮面は「ア……」と聞き逃してしまいそうなほど小さな声を発した。いたたまれなくなったように両手で顔を覆い、千尋と反対側に座るハクにすり寄る。彼はなぜかハクと千尋のあいだにすっぽりとおさまっているのだ。
「照れているのさ。久しぶりに千尋に会えたのに、どうしたらいいかわからないんだろうねえ」
ハクは異形の仮面にくっつかれても動じることもなく、静かにフォークを置いてそのかりそめの顔をのぞきこんだ。
「千尋に伝えたいことがあるなら、私が言づてしようか」
「ア……」
「千尋から聞いたよ。カオナシ、そなたは言葉をつむげないのだろう?」
カオナシは素直に頷く。ハクとは初対面の彼だが、その穏やかな声の調子に親しみを覚えたようだ。自分のチキンパイを分け与えようとすすめてくるので、ハクは笑いながら「ありがとう」と言った。
「ハク龍、その子にすっかり懐かれてるねえ」
「ハクは優しい人だもん。きっとカオナシにもわかるのね」
「はっはっは、孫ののろけを聞く日が来ようとはねえ。あたしも年をとったわけだよ」
千尋が銭婆の方を向いていると、カオナシがつんつんと肩をつついてきた。
「どうしたの?」
「ア……ア……」
「千尋、そなたに何か渡したいものがあるようだよ」
カオナシは両側から視線をあびてしばらくもじもじしていたが、意を決して席を立った。
糸つむぎ機のある作業台に向かい、何かを手にして戻ってくる。
「ア……」
彼がおずおずと差し出したものは、光輝く二つのミサンガだった。青と赤の対になっている。
「お前たちのために、夜なべしてつむいだ糸で作ったんだよ。その子ひとりで」
二人の手首に通されたミサンガを眺め、銭婆がにっこりと笑う。
「それはお守りになるだろう。心をこめてつむいだものだから、きっと長持ちするよ」
「本当に?ありがとう。ずっと大事にするね!」
感極まった千尋はカオナシに抱きつく。驚いたカオナシはぽろりとフォークを取り落として石のように固まってしまう。ハクははじめてもらった千尋と対の贈り物に感動している。
「『沼の底』も、随分明るくなったものだよ」
愉しそうな魔女の独り言に気づくものは、誰一人いなかった。
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