1. 隣同士がいちばん自然


 席替えは避けられないものだが、新しい席に慣れるまでは時間がかかりそうだった。
 くじ引きで決まった彼の定位置は窓際の後方。入学以来隣に座っていた桜は、廊下に近い列の一番前になった。天がりんねを見放したのか、運否天賦のくじ引きによって、うまいこと引き離されてしまったようだ。
 金曜日の六校時。数学の授業はひどく億劫なものである。が、遅刻早退欠席の常習犯であるりんねにとっては、居眠りなどもってのほか。ノートがわりの廃紙の束に、小さくなった鉛筆で小難しい公式を懸命に書き写している。
「ここ、試験に出すからなー。しっかり覚えておくんだぞ」
 先生のちょっとした脅し文句で、うつらうつらと居眠りしていた同級生達がみな、これみよがしに背筋を正しはじめた。
 りんねの席からは、黒板を見ようとすれば、桜の小さな横顔が視界の端にうつる。
 桜はまじめな生徒で、彼女が居眠りしているところを、りんねは一度も見たことがない。今も先生の板書を、真剣に目で追っている。
 隣同士だった時は、目の合う瞬間が多くあった。
 たとえばりんねが視線で助けを求める時。教科書を見せてもらいたい時。わからない問題のヒントを教わりたい時。──桜はいつも、嫌な顔一つせずりんねの視線に応じてくれた。
 今はりんねが一方的に見ているだけ。彼女がこちらを振り返ることは、ない。
 ──彼女に甘えすぎだろうか。
 黒板を見るたびに、彼女の横顔が気にかかってしょうがない。
 いつも隣にいてくれることを当たり前のように思っていた。離れてみてようやく、どれほどすばらしい恩恵を受けていたかに気づかされる。
 長い一日が終わり、憂鬱な溜息をつくりんねの隣に思いがけない幸運が訪れた。
「六道くん、お疲れさま」
 箒を手にした桜が座っている。彼女の班は、今週、教室掃除の当番なのだ。
「今日、初めて話したね」
「ああ。そうだな」
「あれ?……もしかして、ちょっと元気ない?」
 席替えのせいだ、と言えるならどんなにいいか。りんねは両手で、顔を叩いた。
「少し寝不足なんだ」
「死神の仕事?」
「ああ」
 同じ班の女子に呼ばれて、桜は席を立った。──今日はクラブ棟に来てくれるか、そう聞くこともできず、りんねは落胆をひた隠してその背を見送る。
 ──隣同士だったあの頃にもどりたい。
 当たり前のように隣にあったはずの笑顔に、胸が強く締め付けられた。


2. 好き、かもしれない


「真宮さんって、本当に六道くんとは何もないの?」
 掃除をさぼっていたことをとがめられるのかと思えば、好奇心に満ちた顔で問い詰められた。
 新しく同じ班になった女子二人は詮索好きのようだった。机や椅子を動かすふりをして、男子達までもが聞き耳を立てているのがわかる。
「みんなが想像するようなことは何もないよ。私達、ただのクラスメートだし」
 桜は使い古した答えを口にするが、誰一人としてその言葉を信用していないようだった。りんねが去っていった教室の入口と、桜とを交互に見比べて、疑わしそうに首を傾げる。
「本当に、ただのクラスメート?」
「ただのクラスメートだよ」
「あんなに親密なのに?」
 桜はちりとりにごみを掃き集めながら、聞き返す。
「そんなに親密に見える?」
「見える、見える」
 男子の一人が、雑巾を絞りながらつぶやいた。
「真宮と六道って、時々、二人だけの世界にいる感じがするよな」
 その切り返しは、桜の手を止めさせるのに十分な力をもっていた。
 ──二人だけの世界?
 それはひょっとすると、単に霊が見える同士だから、なのかもしれないけれど。
「何て言うんだろ。妙な連帯感っていうかさ。誰も寄せ付けない空気?──お前らもわかるだろ?」
「あー、わかるわかる。なかなか割り込めない感じだよね」
 知らなかった。周囲がそんなふうに自分達のことを見ていたなんて。
 よく、色眼鏡で見られることはあるものの、その具体的な理由を知ることはなかった。
 ただ、いつも彼の隣にいるから、そういう目で見られても仕方がないのだとばかり思っていた。
「六道くんはどう思ってるんだろうね。真宮さんのこと」
「どうって……。どうも思ってないよ、多分」
「そんなこと、本人じゃなきゃわからないよ?向こうは結構、真宮さんのこと、意識してるんじゃないかな」
 それはないよ、と桜はきっぱり言い切った。
 ──そういうことに、興味がない。
 以前彼に、面と向かってそう告げられた。
 だからこそ、彼女は。
 自分達の関係は、これ以上、どうにもなりようがないと思っている。
「誤解されるような感じに見えてるなら、気を付けなくちゃね」
 たとえどんなに、彼と過ごす一時に充足感を感じていたとしても。
 彼の隣にいる瞬間が、好きかもしれない──そう思えたとしても。
 それを彼に知られてはいけない。
 知られた瞬間から、もう、今までの二人ではいられなくなるから。


3. 平行線をたどる日々


 クラブ棟では閑古鳥が鳴いている。
 相変わらず、怪異にまつわる依頼は舞い込んでくるので、決して客足が遠退いたわけではないのだが。
 りんねが最も訪ねてきてほしいただ一人が、ここ最近、なかなか顔を見せてくれないのである。
「……りんね様、桜さまと学校で何かありましたか?」
 彼女の訪問がぱたりと途絶えたことで、りんねは近頃今一つ調子が出ずにいるが、それは彼の契約黒猫とて同じことのようだった。
 六文は造花の内職を手伝いながら、そわそわと、扉の方ばかりうかがっている。物音が聞こえるたびに、今にもあのクラスメートが階段を上がってくるのではないかと、ぬか喜びしてしまうのだ。
 かれこれ一週間、りんねも六文と同じ心境でいた。
 薔薇の仕上がりは、どこから見ても完璧なのだが。
 手作業に集中して気を紛らわそうにも、花びらを一枚とるごとに、彼女のことを思わずにはいられない。
「この前、席替えをしたんだ。真宮桜とは、少し離れた席になったんだが……」
「それだけですか?」
 席替え以降、ろくに会話もしていない。気に障るようなことをした覚えはないのだが、一体どうしたことだろう。
 相変わらず手軸のない六文は、くたびれた造花を手に溜息をついている。
「──席替えをして、離れ離れになって、桜さまはとうとうりんね様に愛想を尽かしてしまったんでしょうか?」
 うっ、とりんねは息苦しさを覚えて胸を押さえる。
 この黒猫、幼気【いたいけ】なふりをして、時にぐさりと心に刺さることを言う。
「前までは、毎日のようにここにいらしていたのに。席替えした途端、急に疎遠になるなんて、やっぱりそうとしか……」
 言い返す言葉もないことが、なんとも切ない。
 絶望のあまりさめざめと血の涙を流したくなる彼だったが、血を吸ったような赤い薔薇を凝視することで、どうにか思いとどまった。
「真宮桜もきっと、色々と忙しいんだ。毎日ここへ来るわけにもいかんだろう」
「……忙しい?」
 六文が当惑している。
「でも、桜さま、昨日は十文字やご学友と寄り道していらっしゃったみたいでしたけど……。商店街のファミレスで。皆さんでおいしいものを召し上がって、和気あいあいと楽しそうでしたよ」
 よりによって、十文字と──。
 今度こそ、りんねの目からはとめどなく血の涙が溢れだした。
「それはきっと、貧乏な俺に気を遣って、声をかけなかっただけに違いない……」
「……りんね様、必死にご自分にそう言い聞かせてますね?」
 自分だけが疎外された、という悲しみはない。桜が放課後を誰とどのように過ごそうと、それは彼女の自由であり、りんねには口出しする権限などないのだから。
 ただ、自分が首を長くして彼女を待っていた間、彼女が他の誰かと楽しく時間を過ごしていたのかと思うと──その充実した時間に自分の存在は不要だったのだと思うと、胸にぽっかりと風穴が開いたような、寂寥感に見舞われた。


4. 慌てて離した手


 季節限定のパフェがおいしいみたいだからと、今日も放課後のお誘いがあった。
「駅前のカフェなんだけどね。金曜日は学生証を見せると、割引になるんだって!」
 甘党のリカは「季節限定」という謳い文句にめっぽう弱いらしい。
「さっき聞いてみたら、十文字くんも来るって。桜ちゃん、六道くんは誘わなくてもいいかな?」
 ミホに聞かれて、桜はきれいに巻かれた卵焼きを箸の先でつついた。
「六道くん、百葉箱の依頼で忙しいんじゃないかな?」
「そっか。まあ六道くん、ああいうお店に行くようなタイプじゃないよね」
 いつもと違う、ごくありふれた放課後。
 彼のいない時間にも、少しずつ慣れてきたような気がする。
 なのに心がすっきりとしないのは──どうしてだろう。
 もくもくと弁当を食べていると、ふと、どこかから視線を感じた。
 ──教室の戸口に、見慣れた羽織姿の彼が立っている。
 翼も、れんげも、教室にいない今、黄泉の羽織を着たりんねは、桜以外の誰にも見えない。
 誰も二人が見つめ合っていることに、気づいていない。
 桜は、随分と長いこと、こうしてまともに彼と目を合わせていなかったような気がした。
「桜ちゃん、どうしたの?ぼうっとしてる」
 リカがきょとんと桜の横顔を見ている。傍目から見れば、何もないところをじっと眺めているように映るのだろう。
 りんねは、何か言いたそうな目をしていた。
 桜はそんな彼から、目を離せずにいた。
 視線だけで対話できたなら、どんなにいいだろう。
 目を合わせただけで、相手の心を読めるのなら。──こんなにもどかしく思うこともないのに。
「……桜ちゃん?」
 箸をおいて立ち上がる。ミホとリカは、不思議そうに彼女を見上げるが、一点を見つめる桜は気が付くこともない。
 廊下に出て、後ろ手に扉を閉める。
 りんねは桜に背を向けていた。
 呼ばれもしないのに、出てきたのは桜の方だ。
 いざ彼を前にして、どう話しかければいいのかわからない。
 ついこの間まで、当たり前のように隣にいて、気兼ねなく会話していたはずなのに。
「……今日も、」
 長い沈黙をやぶって口火を切ったのは、りんねの方だった。
「──何?」
 おそるおそる、といった様子で振り返る彼。捨てられた子犬のような、心もとない目で桜の目を見る。
「今日も、──クラブ棟に来ないのか?」
 聞いたあとで、それでは押し付けがましいと思ったのか、
「……来てくれないのか?」
 わずかに言い直す。
 桜はいつになく落ち込んでいる様子の彼に、面食らって言葉も出ない。
 うぬぼれでないのなら。 
 彼は、彼女のことを、あのクラブ棟で、ずっと待っていてくれたのかもしれない──。
「……十文字といたほうが、楽しいのか?」
 ううん、と桜は首を振る。
「翼くんと二人きりじゃない。ミホちゃんやリカちゃんも、いたよ」
「わかっている」
 りんねは拳を握り締め、何らかの覚悟を決めたかのように、一歩前に踏み出した。
「真宮桜が行くなら、──俺も行きたかった」
 それは、どういう意味だろう。
 どうしてそんなに、顔を赤らめているんだろう。
 思わず淡い期待を抱いてしまいそうになる。
 彼は、そういうことに、興味がないはずなのに。
「真宮桜?」
 うつむく彼女を心配したのだろう。彼に手を取られそうになって、桜は思わずその手を引っ込めてしまった。
 誰も見てなどいないのに。
 誤解されることも、ないのに──。
 桜は自分の頬が、にわかに熱を帯び始めるのを感じた。
 彼に振り向いてもらえたことが。面と向かって告げられたその言葉が。
 嬉しくて、こそばゆくて。
「六道くん、あのね」
 今なら勇気を出して、言えそうな気がした。
 席替えをしてからずっと、放課後を迎えるたびに、心の奥底で思っていたことを。
「──今日、クラブ棟に行っても、いいかな?」

 

5. 一歩を踏み出す勇気


 金曜六校時の数学は、いつものことながら退屈でたまらない。
 りんねはさっぱり理解できていない図式を、廃紙に書きとめている。
 黒板に目を向けるたび、彼女の真剣な横顔が視界の片隅に見える。
 どうしてもわからないところは、彼女に聞いてみよう、と思う。
「六道くん」
 終礼をすませ、椅子の背もたれにかけていた黄泉の羽織を手に立ち上がったところで、彼女に呼ばれた。
「掃除が終わったら、百葉箱、見に行くよね?」
「ああ」
 目配せするだけで、彼女がその先に言おうとしていることがわかる。
 ──私も、あとで行くね。
「真宮桜」
「何?六道くん」
「もし、仕事が早く終わったら──」
 たまには、いつもとは少し違った放課後を過ごしてみたい。
 ジャージのズボンのポケットには、千円札が入っている。
 彼が寝る間も惜しんで、こつこつと貯めた金だ。
 駅前のカフェが売り出している、季節限定のパフェとやらは、これで事足りるだろうか。
 ──こんな贅沢が、本当に許されるのだろうか。
 想像するだけで、思わず顔がにやけてしまいそうになる。
「いや、あとで話す」
「そう?」
 楽しみは取っておくにかぎる。
 彼の天使が、花咲くような笑顔で、手を振った。
「それじゃ、またあとでね、六道くん」



◆お題配布元【確かに恋だった
「微妙な距離のふたりに5題」

◆てんぷら様にこの小説をシナリオとしたノベルゲームを作っていただきました。
心より感謝申し上げます。(2019.01.27)


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2016.09.24

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