恋愛




 死神と令嬢


 火鉢をはさんで向かい側に、死神が座っている。
 寝起きの赤い髪には寝癖がついている。まだ鏡を見ていないのかもしれない。
 桜がじっと見ていると、焼き魚に箸をつけたままりんねは動きを止めた。
「お嬢さん、何か?」
「いいえ、何でも」
 桜の母が空になった御櫃をかかえて台所に消える。りんねはもう一度、今度は「真宮桜?」と彼女を呼んだ。「六道くん」と、桜もくだけた口調で返す。
「髪に寝癖ついてるよ」
「寝癖?」
 りんねは箸を置いて手櫛で髪を整えた。なかなか頑固で跳ねたところが直らない。桜は手で口元をおさえてくすくすと笑った。時々、無性にこの下宿生がかわいく思えてならない。
「帽子をかぶれば、わからないだろう」
 笑われたことが恥ずかしかったのか。ほんのりと頬を染めて、りんねはぼやいた。


 自由恋愛


 近頃は自転車で通学する女学生もいるらしい。
 桜も父に自転車がほしいかと聞かれたが、ねだることはしなかったようだ。
 女学校とりんねの通う学校はそう遠くない。歩きでいけば途中まで一緒に通学できる。りんねは桜が自転車を買ってもらわなくてよかったと、内心思っている。
「今日は裁縫の試験があるの。苦手だから、いやだなあ」
 歩きながら、桜は刺繍の手真似をしている。矢絣の着物に海老茶の袴。おさげの結び目にはリボンをつけている。どの女学生も似たり寄ったりの出で立ちだが、桜ほど清楚で可憐な娘は他にいないとりんねは思う。下宿先のお嬢さんだからといって、贔屓目に見過ぎだろうか。
「真宮桜にも苦手な科目があったのか。意外だな」
「それはあるよ。六道くんは?」
「俺は外国語が苦手だ。さっぱりわからん」
「外国語ね。嫌いじゃないけど、私も得意ではないかな」
 大きな赤煉瓦の西洋建築を横切っていく。ここは桜の父が勤めている銀行だ。真宮氏は有能な銀行家としてその名を知られている。人柄がよく、下宿生のりんねにいつもよくしてくれる。真宮夫人も、実の息子のように世話を焼いてくれる。
 りんねも真宮家を、実の家族のように慕っている。
「夕暮れ時を過ぎてから、この辺りを通ったことはあるか?」
「おかあさまが心配するから、暗くなってからはあまり出歩いたことがないの」
「そうか。瓦斯灯がともる頃に来ると、なかなか眺めがいいぞ。死神の仕事帰りに通りかかると、よく人をみかける」
 桜は目を輝かせた。
「いいね。見てみたいなあ」
「母上が心配するなら、誰かに連れて行ってもらうほかないな」
 向かいから馬車がやってくる。りんねは車道側に移り、桜を歩道へ寄せた。
「真宮桜には、いい人はいないのか」
「いい人?」
「年頃の令嬢には、許婚がいるものなんだろう?」
「私はいないよ。そういう人は」
 今までそういう話がなかったわけじゃないけど、と桜は続ける。
「おとうさまもおかあさまも、その気じゃないなら急ぐことはないって」
「理解のあるご両親だな」
「うん。二人とも、自由恋愛で結婚したみたいだから」
 自由恋愛。学校で聞いたことがある。
 本当にそんなことがあり得るんだな、と他人事のように死神は思った。


 少年紳士


「あら。お迎えの方がいらしてよ、桜さん」
 友人の声に振り返ると、校門を出たところで死神が待っていた。
 桜に気づいて、学生服の上に羽織った黒の二重外套【インバネス】をひるがえして近づいてくる。学生帽では隠しきれない赤い髪が女学生たちの目を引く。まるで他には誰も存在しないとでもいうように、赤い瞳はまっすぐに桜だけを見ている。端整な顔立ち、人を寄せつけない雰囲気。女学生たちから「少年紳士」と呼ばれていることを、おそらく本人は知らないだろう。
「お嬢さん、今日はご学友とお帰りですか」
 他人行儀なのは、人前だからだ。
 今日は寄り道の予定があることを話し忘れていた。
 先に帰っていてもらいたい旨、伝えようとすると、友人がやにわに袖から懐中時計をとりだして、「あらいけない」と声をあげた。
「先約がありますので、これにて失礼させていただきますわ」
「え?」
 桜はきょとんと目を丸める。今日は一緒に甘味処で道草するつもりだったのだが。なにか急用を思い出したのだろうか。
「ごきげんよう、桜さん」
「え、ええ、ごきげんよう」
 友人は足早に行ってしまった。ひそかに楽しみにしていた寄り道はなしになった。
 かくしていつものように、下宿生と二人で帰路につく。
「──邪魔をしてしまったようだな」
 通りに人がまばらになってくると、ふいにりんねが言った。
「あの学友、本当は真宮桜と帰りたかったのでは?」
「でも、先約があるって言ってた」
 気を病んでほしくなくて、桜は言いつくろった。
「きっと、許婚の方との予定があったんだよ。仲が良くて、よく一緒に出掛けるみたいだから」
「そうなのか」
「うん。今頃、観劇でもしてるんじゃないかな?新しいお芝居が観たいって言ってたから」
 三界公園に立ち寄った。この公園には大きな池がある。りんねはこの池の鯉に、ときどき餌をやりにくるという。以前死神の仕事で関わったことのある霊が、この中の一匹に転生したそうだ。
「そういえば、今朝聞きそびれたことがあるんだけど」
 桜も麩をちぎり、池に落としてみた。金や銀や錦の鯉が水面に顔を出し、ぱくぱくと口を動かしている。
「六道くんには、いないの?」
「何の話だ?」
「許婚とか、誰かいい人が」
 いや、とりんねは首を振る。
「いないんだ?」
「いない」
「ふうん。意外だね」
 池の水面に映るりんねが、一瞬笑ったような気がした。
「うちは裕福なわけでも、名家なわけでもない。そういう話はそうそう来ないさ」
「でも、人の価値はお金や名前で決まるわけじゃないよ」
 桜は最後のひとかけらを池に投げ入れる。
 見合いの話がもちあがるたび、両親が丁重に断ってきた。すると相手方はきまって捨て台詞を言うのだった。──銀行家など所詮は成り上がり。由緒正しき家柄ではない。成金の娘など、こちらから願い下げだ。
「俺も一つ聞き忘れていたことがある」
 りんねが桜を見ていた。
 二人ともしゃがんでいて、いつもより距離が近い。傍目から見れば、あらぬ誤解を生んでしまいかねないが。
「──裁縫の試験はどうだった?」
 大真面目な顔をして、彼はたずねてきた。
 この人は、こういうところがおもしろい。
 桜はつい、吹き出しそうになるのをこらえて、にっこりと笑った。
「まあまあ、かな?」


 第二ボタン


 夕食を終え、部屋にあがったりんねは浮かない顔で腰を下ろす。
 今日は浄霊の依頼はない。久しぶりにゆっくりと夜を過ごせるはずなのだが、先程の公園でのやり取りを思い起こすと、なにやら胸騒ぎがするのだった。
 ──俺にも一つ聞き忘れていたことがある。
 あの時。本当に聞いてみたかったことは、裁縫の試験の出来栄えなどではない。
 初めて間近で見た桜の顔に、口が勝手に動き出してしまいそうだった。
 ──俺と一緒に、瓦斯灯を見に行かないか。
「六道さん?」
 りんねは心臓がとまりそうになる。障子の向こうから、桜が呼びかけているのだ。動揺が伝わらないように、一呼吸おいてから、返事をした。
「何でしょうか、お嬢さん」
「あの、開けてもよろしいでしょうか?」
 あわてて座布団に正座しなおして、シャツの衿を正してから、どうぞ、と返した。
 障子がすっと開き、遠慮がちに桜の顔がのぞく。
「お休みのところすみません。──差し出がましいようですけれど、繕い物はありませんか?」
「繕い物ですか?」
 りんねはきょとんとする。
「いえ、とくには」
「学生服のボタンが取れかかっていたような気がして……」
 衣桁にかけてある学生服を確認すると、確かに二番目のボタンの糸がほつれている。うわの空で脱いだため気がつかなかったのだろう。余計な気をもませたことを申し訳なく思い、りんねは小さく溜息をついた。
「これくらい、自分でやりますから大丈夫ですよ」
「そうおっしゃらずに。苦手な裁縫の練習にもなりますし」
 桜がにっこりと笑いながら手を差し出すので、りんねは顔が熱くなった。今日はどうしてか調子が狂う。
「すみません。頼んでもいいですか」
 受け取りざま、桜はりんねをじっと見つめた。
 りんねはたまらずに目をそらす。
「すぐに済ませますから、少しだけ待っていてくださいね」
 桜は静かに障子を閉じて、階段を下りていった。
 障子の影が消えてからも、死神はしばらくぼんやりとその場所を見つめていた。


 祓い屋と令嬢


 近頃、自転車を買ってもらおうか、と桜は考えあぐねている。
 父は一人娘にめっぽう甘い。自転車通いの女学生を見かけたと言って、前に最新型を買ってくれようとしたことがあった。前は要らないと言ったものの、気が変わったと知れば、きっと翌日には真新しい自転車が玄関先にお目見えすることだろう。
 鏡面を閉じて朝餐室に下りる。焼きたての麺麭【パン】の香ばしいにおいがした。テーブルの上には、桜一人分の朝食が用意してある。
「六道さんは、先にお出かけになりましたよ」
 桜のコップにミルクを注ぎながら、女給が告げる。
「いつ?」
「ほんの少し前に。ちょうどお嬢さまと行き違われたようですね」
 朝食もそこそこに、桜は屋敷を出た。人だけでなく、馬車や人力車がせわしなく行き交う道を歩いていく。屋敷から女学校までは近くもなく、遠くもなくといった距離だ。
 少し前までは下宿生と通学していたのだが、最近は時間が合わなくなった。行き違いと女給は言うが、彼が故意に桜を避けているのではないか、と彼女は思っている。
「どうしてだろう?」
 釈然としない。気に障るようなことをした覚えはないのに。
 前よりも長く感じられる道のりを歩いていくと、自転車に乗った学生を見かけた。
 学生服に丈の長いインバネス。りんねとは違う学校に通っているようだ。桜の視線に気が付いて、学生がこちらを向く。
 桜はその顔に覚えはなかったが、相手は知っているようだった。
「真宮さん!」
 器用に自転車の向きを変えて、桜のほうにやってくる。
「きみ、真宮桜さんだろう?」
「失礼ですが、どちらさまで?」
「覚えてない?尋常小学校で一緒だった、十文字翼だよ」
 十文字翼。名前にかすかに覚えがあった。桜はあっと手をたたく。
「お祓い屋の翼くん?」
「そうそう!」
 翼は人懐っこい笑顔で、自転車のハンドルを握っていないほうの手を差し出してきた。桜はこころよく握手に応じた。おぼろげながら、翼のことを思い出し始めていた。口調もつい子ども時代のくだけたものになる。
「確か、おとうさまのお仕事の都合で、よその学校に移ったんだよね。元気だった?」
「元気だったよ。つい先日、大阪から東京に戻ってきたばかりなんだ。また真宮さんに会えて嬉しいなあ」
 積もる話に花咲かせたいところだったが、二人とも学校に遅刻するとよくないので、授業が終わってから会う約束をして別れた。


 寄り道


 待ち合わせ場所は三界公園。翼は池のそばに自転車を停めて、桜のことを待っていた。
「真宮さん、きれいになったね。小学校の頃もかわいかったけど」
 桜の袴姿を、翼はまぶしそうに見ている。
「女学生なんて、みんな同じような格好だと思うよ」
「いや。真宮さんが一番きれいだよ」
 どうやら社交辞令ではないようだった。翼の熱のこもった眼差しに、桜は居づらさを覚える。
「あの──私、そろそろ帰らなくちゃ。寄り道は校則で禁止されてるの」
「そ、そうだったんだね。ごめん」
 翼が申し訳なさそうに肩を落とす。
「女学校は規律に厳しいんだよね。真宮さんの事情も考えずに、うかつに誘ったりしてごめん」
「そんなことないよ。久しぶりに翼くんに会えて、嬉しかった」
 あわてて桜が言いさすと、翼はぱっと顔を赤らめた。
「俺も嬉しいよ。この町を離れた時から、きみにずっと会いたかったんだ。──また会えるかな?」
 うん、と桜は頷いた。古い友達に悲しい顔をさせることは忍びない。
「私、自転車を買おうと思ってるの。今度、乗り方を教えてもらえるかな?」
「もちろん、お安い御用だよ!」
「ありがとう。うちは六十番通りにあるから、もしよかったら遊びにきてね」
 翼は満面の笑みで頷いて、意気揚々と自転車にまたがった。
「近々かならずお邪魔するよ。真宮さん、ごきげんよう!」
「ごきげんよう、翼くん」
 彼が曲がり角に消えるまで、何度も振り返るので、桜はずっと手を振り続けていた。よかった、傷つけることにならなくて、と安堵の溜息をついて振り返る。
 そこには能面のような顔をした下宿生がいた。


 鯉わずらい


 久しぶりに顔を合わせたような気がする。
 一つ屋根の下に暮らしているというのに、ここ一月ほどまともに彼女と口をきいていない。
「ごきげんよう、六道さん」
 桜の声はよそよそしかった。見知らぬ通りすがりにさえ、このような態度はとらないだろう。
「今日もお仕事ですか?」
「──はい。遅くなりそうなので、そのようにお伝えください」
「わかりました」
 用は済んだとばかりに、桜は洋傘をひらき、ブーツの踵を鳴らして遠ざかっていく。
 りんねは公園を出ていくその背をなすすべもなく見送っている。ほんの一月前、この公園で彼女と寄り道したことがはるか遠い過去の出来事のように感じられる。
 池の鯉に餌をやる桜の横顔に、釘付けになった。
 あらぬことを言ってしまいそうになった。
 あの日以来、頭の中を占めるのは桜のことばかりだ。
「お嬢さん」
 呼んでももう届かない場所に彼女はいる。矢絣の袖をひるがえし、新緑を装った桜並木を歩いて花の名を持つその人は行ってしまった。りんねはわだかまりを抱えつつ、黄泉の羽織を身にまとう。
 ──あの男はいったい、誰なんだ。
 今にも問い詰めたい衝動をぐっとこらえて、地面を蹴った。


 カルピス


「十文字さんという方、このところよくお見えになるわねえ」
 硝子窓の向こうを見つめながら、真宮夫人がティーカップに口をつける。
 西洋風の広い庭には涼しげな洋装の桜と、若い男。彼女は尋常小学校時代の古い友人から、買ってもらったばかりの自転車の乗り方を教わっているところだ。
 りんねは巷ではやっているという、カルピスを御馳走になっている。冷たい氷を浮かべた甘酸っぱい飲み物。喉元を通り過ぎても、味がよくわからない。
「近頃、うちの桜とはあまり親しくなさっていないようですね」
 しばらくしてから、夫人が話しかけている相手が自分だと気づいた。りんねは椅子の上で居住まいを正し、かといって返す言葉もなく、そんなことは──、と口ごもる。
「あの子が何か、六道さんのお気に障るようなことでも?」
「とんでもありません」
 自転車の鈴を鳴らす音が軽やかに響いている。桜は自転車を乗りこなしている。特訓の甲斐あって、随分と上達したようだった。
「お嬢さんには、いつもよくしていただいています」
 気に障るようなことをしたのは、彼の方だった。近頃は彼女とまともに顔を合わせることさえできない。少し前までは、まるで本当の家族のように気の置けない相手として接していたはずなのに。
 学生服の第二ボタンに触れる。桜が手ずから直してくれたボタンだ。
 視線を感じてふと庭を見やると、硝子越しに十文字が怪訝な顔をして彼を見ていた。


 三者三様


「六道、といったな。なぜ真宮さんの家でご厄介になっているんだ?」
 桜は友人の横顔をちらりと一瞥する。今にも噛みつきそうな勢いだ。
 席を立つ機会を逃したりんねは、黙って翼の敵意を受け流している。
「六道さんは、前に私を助けてくださったの。そのことがきっかけで、うちに」
「こいつが真宮さんを助けたって?」
 疑わしげにりんねを凝視する翼。
「で、お前はいったい何者なんだ?ただの学生ってわけじゃないだろう」
「死神だ」
 りんねが言葉少なに告げる。
 なるほど同業者のようなものだな、と翼はいまいましそうにつぶやいた。
「死神が人間の学校に通うのか?」
「祖父が人間だった。生まれてからずっと、こちらの世界で暮らしている」
「家はどこだ?こっちで暮らしてきたなら、実家があるはずだろう」
 りんねは口をつぐむ。
 彼のことをあまり詮索してほしくない。同居している桜でさえ、深くは知らないのだ。 桜は、どうにか翼の関心をりんねから逸らすことにした。
「翼くん、もう一度特訓してもらえないかな?」
「えっ、でも疲れてないかい?」
「全然大丈夫。今度は外に出てみない?公園まで行ってみようよ」
「いいのかい!?」
 浮足立つ翼をともなって部屋を出る。振り返ってみると、死神はどこか寂しそうな目をして彼女のことを見ていた。


 花骨牌


「──六道さん?」
 雨音に混じって、遠慮がちに呼びかけてくる声が聞こえた。
 振り返れば、障子に透けて見える彼女の姿。いつまでもそこにいてくれたらいいのに、と思う自分に、りんねはもう戸惑うことはない。
「今、お忙しいですか?」
「いえ、とくには」
「お邪魔しても?」
 沈黙を了承ととったのだろう。彼女は障子を静かに開けて、りんねが使わせてもらっている部屋に入ってきた。
「お嬢さん、何か御用ですか?」
「おとうさまとおかあさまが、この大雨でしばらく出先から戻られないそうです」
「そうですか」
「はい。今日は二人でお留守番ですね」
 久方ぶりに見る桜の笑顔に、りんねの胸は高鳴った。
「花骨牌【はなふだ】遊びがしたくて。──六道さん、お相手願えませんか?」
 勝敗は五分五分といったところだった。桜にあえて花をもたせてやるまでもなく、彼女は強かった。勝負で負け続きではさすがに男がすたる。りんねもいつしか遊びに本気になっていた。
 童心に帰るとはまさにこのこと。気が付けば、今までの他人行儀を忘れて、すっかりもとの打ち解けた二人に戻っていた。
「六道くん、強いね」
「真宮桜もな」
「私、小さい頃は負け知らずだったんだよ?こんなに負けたことって、初めて」
 りんねは骨牌を集めて月暦の順番にならべた。桜に幕、藤に不如帰、菖蒲に八橋、牡丹に蝶──。
「懐かしいな。昔、こうして、おじいちゃんやおばあちゃんと遊んだことがある」
「六道くんのおじいさまとおばあさま、どんな方だった?」
「おじいちゃんは人間で、おばあちゃんは死神なんだ。二人とも優しくて、俺にとっては親代わりだった。だがおばあちゃんは、そう呼ぶと怒るんだ。今でも会うたびに、コメカミをぐりぐりやられる」
 痛みを思い出して顔をしかめるりんね。桜はおかしそうに袖で口元を押さえる。
「仲良しなんだね。おばあさまと」
「ああ。向こうで一緒に暮らさないかと、この間も言われたばかりだ」
 少しの間をあけて、そうなんだ、と桜が言った。
「現世で暮らしたいって、前に言ってたよね」
「それでも、赤の他人のお宅に、いつまでもご厄介になるわけにはいかない」
 りんねは箱に花骨牌をしまった。
「十文字という学生と、懇意にしているんだろう?」
「翼くんは古い友達だよ」
「あの学生はそうは思っていないだろう。一つ屋根の下に見ず知らずの下宿生がいては、あらぬ誤解を生みかねないのでは?」
 桜はうつむく。困らせたいわけではないのに、近頃は彼女の気をわずらわせてばかりだ。
「私に気を遣ってくれるんだね。──やっぱり六道くんは、優しすぎる」
 優しくなどない、とりんねは思う。
 十文字と仲良くしている彼女を見るのがつらい。先に屋敷を出ても、自転車で自分を追い越していく彼女の背を見送るのが心苦しい。手の届かない存在を思い、これ以上傷つきたくない──。
 口先ではもっともらしいことを言うが、結局は自分がかわいいだけだ。
「翼くんは、本当にただの友達だよ。それ以上でも、それ以下でもないから」
 花骨牌の箱をもって、桜は立ち上がった。遊んでいた時はあれほど楽しそうにしていたのに、その顔は今や花曇りの空模様のようだった。


 雨夜


 夜も更けた頃、廊下から何やら物音がした。
 ……する、する、と規則正しい衣擦れの音。次第にりんねの部屋へ近づいてくる。
 硝子窓の向こうの雨脚はまだやむ気配がない。はげしい音をたてて降り続けている。このような闇夜の雨は、いにしえより、この世ならざるものを呼び寄せやすいという。
 りんねは静かに身を起こし、衣桁にかけてある黄泉の羽織を身にまとった。
 死神の鎌をかまえて、その「何か」がやってくるのを待ち受ける。
「──六道くん?」
 小さな声が襖の向こうから囁いた。手を伸ばして、障子を細く開けてみると、夜着姿の桜が不安げな面持ちで廊下の先を見ている。りんねも部屋から顔を出すが、あの物音はすでにやんでいる。怪しいものの姿はどこにもみあたらない。
「何かが、うちの中を歩き回っているような気がして……」
「真宮桜も聞こえたか?」
「うん」
 ひとまず行灯をつけて、桜を部屋の中へ入れた。押し入れから座蒲団を出して、桜にすすめる。桜はその上に腰を落ち着けるが、何かに気づいたようにはっと天井を見上げた。
「上の階に行ったみたいだね」
「ああ。確かに気配を感じる」
 りんねは確認しに行こうと障子を開けるが、びくともしない。ついには桜と二人がかりで開けようとするものの、まるで鍵でもかけられたように襖は梃子でも動こうとしない。
「ひょっとして、閉じ込められちゃった?」
「そのようだな」
「どうしよう。ほうっておいて、大丈夫かな」
 上階の気配をうかがう。あちこちを気ままに歩き回っているようだが、邪気は感じられない。ものを少し動かしてみたり、隠してみたり。どうやらささいな悪戯をしかけたいだけのようだ。
「悪質な霊ではないな。おそらく、座敷童子のたぐいだろう」
「座敷童子って、本当にいるんだね」
「ああ。座敷童子は福の神ともいわれるからな。むやみに追い出したりしないほうがいい」
 害のない霊とわかって安心したのか、桜はほっと一息ついた。
「ごめんね、六道くん。こんな夜更けにお邪魔しちゃって」
「いや。真宮桜が無事で、安心した」
 行灯の明かりをはさんで見つめ合う。
 雨はまだ降り止まない。雨だれの音が二人の耳を打つ。
 桜は正座をくずして、膝を抱えた。
「六道くん、私のことは気にしないで眠って」
「いや、そういうわけには」
「私なら大丈夫。このまま一眠りさせてもらうから」
 屋敷のお嬢さまをそんな格好で寝かせるわけにはいかない。かといって、自分の寝ていた蒲団を譲るわけにもいかないだろう。りんねはまよった末、掛け蒲団を貸すことにした。
「いいよ。六道くんが寒いでしょう」
「大丈夫だ。気にするな」
「気にするよ。ほら、やっぱり返すね」
 桜はわざわざりんねの蒲団までやってきて、返してよこそうとする。
 雨夜は冷える。桜にかぜをひかせるわけにはいかない。互いに譲ろうとしてひかないのであれば、仕方があるまいとりんねは覚悟をきめた。
 隣り合わせに座り、温かい掛け蒲団を二人の肩にかける。
 桜がきょとんと目を丸める。
 こほん、とりんねは空咳をする。今更気恥ずかしくなってきた。
「どうしてもというなら、半分にするしかないだろう」
「……そっか」
「いやなら、おとなしく譲られてくれ」
 ううん、と桜は首を振った。
「いやじゃないから、このままでいい」
 沈黙。雨音は止むことはないものの、少しだけ弱まっているように思える。りんねも膝を抱えてみる。膝小僧にあごをのせて、隣をちらりと見た。
 桜の長い睫毛が目の下に影をおとしている。息づかいは穏やかで、ほとんど聞こえてこない。眠っているのか起きているのかわからない。
 目を閉じているのをいいことに、りんねはその横顔を見つめ続ける。
 行灯の蝋が尽きて、風に吹かれたように明かりがかき消える。
 硝子の肘掛窓から差し込むかすかな月光が、彼女の長い髪を艶やかに照らす。
 つい、指に通してみたくなった。
 ふれてみれば、いったいどんな手触りがするのか。
 ──伸ばしかけた手を、どうにか引っ込める。
 花のように可愛い人。
 ただ目を閉じているだけで、この心を掻き乱す人。
 今夜は到底、眠れそうにない。



柊六花さんリクエスト「大正浪漫りんさく」 2016.06.23
挿絵を描いていただきました。




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