愛玩金魚


「お宅のぼうやは不思議な子ねえ」
 豆腐屋で順番待ちしていると、前に並ぶ主婦が暇を持て余して話しかけてきた。
 つぶらな瞳で赤の他人を見上げる彼の息子。
「髪も目もこんなに赤くて、まるで外人さんみたいだねえ。ぼうやは、いくつなの?」
 鯖人は小さな指を三本立ててみせる。
 そうした好奇の眼差しには息子はとうに馴れていた。とりわけ愛想を振りまくこともしない。妻の魂子が玩具屋で買ってやったブリキの金魚を、おとなしくかじっている。
 彼はやんわりとなだめた。
「鯖人、それは噛んではいけないよ。金魚さんが痛がってしまうからね、可哀想だろう?」
 よほど気に入ったらしく、鯖人はその玩具をなかなか手放そうとしない。どこに行くにも必ず、後生大事に持ち歩こうとするのだ。
 またかじって歯を傷つけてはよくないと思い、彼はブリキの金魚をそっと取り上げる。ぼんやりしていた鯖人が目の色を変えた。子供らしからぬ力で、父親の手から宝物を奪い返す。
 こういう時、彼にはなぜか、たったひとりの息子が自分を「目の敵」にしているように思えるのだった。
 赤の他人には、その敵意は感じ取れないだろうが。
「そんなに大事そうにして、大好きな玩具なのねえ。かわいいこと。今が一番かわいい時期なのよね、お父さん」
 主婦に同意を求められ、彼は頷いた。その通りだ。一人きりの息子は目に入れても痛くない。夫婦そろって日々、湯水のごとく愛情を注いでいるつもりだ。機嫌を直してほしくて小さな頭を撫でると、ブリキの金魚を胸に抱いて、子供は屈託のない笑顔を見せた。
「この金魚はね、おかあさまにもらったの。つぎの夏祭りは、いっしょに金魚すくいするって約束したの」
「あら。去年は夏祭り、行けなかったの?」
「行けなかった。おかあさまは、お仕事がとってもいそがしいの」
「それは大変ね。ぼうや、おかあさまはどんなお仕事をなさっているの?」
「ぼくのおかあさまは、……」
 母譲りの赤い目がこぼれんばかりに見開かれた。息子の視線の先には、彼が振り返ってみると、見慣れた愛しい振袖姿がある。こちらに向かって歩いてきながら、手を振っている。
 今日は夜遅くになると、今朝言っていた。「あちら」での用事が思いの外早く済んだようだ。
 ちょうど主婦の番が回ってきて、鯖人から注意が逸れた。鯖人は列から外れ、母親のもとに一目散に駆けていく。魂子がかがんで小さな身体を抱きとめた。母親に頬をすり寄せてはしゃぐ鯖人の声は、無邪気そのものだ。
「ねえ、おかあさまは、お豆腐が好き?」
「大好きよ。おぼろも、揚げ出しも、冷や奴も」
「じゃあ、ぼくも大好き!」
 買い物を終えた主婦が、微笑ましそうに親子の姿を見ていた。
「男の子の一番最初の恋人は、母親だっていうからね」
「なるほど。ではぼくは、あの子の恋敵でもあるのですね」
 主婦に笑われた。
 つめたい豆腐をもらって振り返ると、世にもかわいい恋敵が、今日一番の笑顔で手を振っていた。





2016.05.01
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