After Twenty Years



【 6 】
「やあ。お嬢ちゃん、かわいいね」
 ランドセルを背負った少女が通り過ぎようとした時、電柱のかげから声がかかった。
 赤い髪の男がひょっこりと顔をのぞかせ、人懐っこい笑顔を浮かべる。
「こっちにおいで。飴をあげる」
 少女はーー苺はこみあげる笑いを隠そうともしない。子供特有の舌っ足らずな声で、男の誘いに応える。
「やだ。『知らないおじさん』についていっちゃダメだって、ママが言うもん」
「そうかい。でも、『知ってるおじさん』ならいいだろう?」
 彼がにこにこ笑いながらしゃがんで目線の高さをあわせてくる。苺はきょろきょろと辺りを見回して、誰もいないことを確認してから、かつて夫だった男に「パパ」と呼びかけた。
「どうしたの。現世に何か用事?」
「別に。ただママの顔が見たくなっちゃって」
「ふうん。でも、今度からああいう声のかけ方はやめたほうがいいわよ。誰かが聞いたらきっと、不審者だと思われて通報されちゃうわ」
 くすくすと笑う苺。鯖人は心外だと言わんばかりに目を見開く。
「奥さんに会いに来るのはいけないことかい?」
「『元』奥さんよ」
 苺がやんわりと訂正する。
「そうねえ。何よりもまず、その泥棒みたいなほっかむりがいけないと思うの。『自分は不審者です』っておおやけに言ってるようなものじゃない?」
 小学生の至極まともな指摘にも、耳を貸しているのかいないのか、鯖人はただただ楽しそうに笑っている。
「こんなに小さくなっちゃったのに、ママは相変わらずだなあ」
「中身は同じだもの。当然よ」
 胸をそびやかす姿はまだいとけない。鯖人の目が愛おしげに細まる。
「ママ、ちょっと手を出してみて」
「なあに?」
 差し出された手は紅葉のように小さい。その手のひらの上で、鯖人が握りしめていた拳を開くと、赤い包み紙のキャンディがころんと落ちた。
「イチゴミルク味だって。今のママにぴったりだ」
 そう言って彼に頭をなでられた少女は、その時になって初めて、白い頬をほんのりと染めた。



【 16 】
 小学校の時からかわいがっている黒猫がいる。
 近頃あまり見かけなくなったと思ったら、今日は先回りして苺のことを待っていたらしい。
「懐かしい制服だなあ」
 校門の前でしゃがんで黒猫をなでていると、誰かがのんびりとした口調で話しかけてきた。
 苺の頭上に重なる人影。
 あざやかな赤い髪の男。端整な顔だちをしている。
 苺は立ち上がって、じっとその顔を見上げる。
「おじさん。ーー誰?」
 男は袖に手を差し入れたまま、にこりと笑いかけてくる。笑うだけで、素性をなかなか明かさない。
「制服が懐かしいって、どういう意味?もしかして、おじさんはこの学校の卒業生なの?」
「いや、ぼくは違うよ。『ぼくら』の息子とそのお嫁さんが、ここの生徒だったのさ」
 苺は、はっと目を見開く。
 男が微笑みながら、小首を傾げた。
「思い出したかい?『ママ』」
 胸に抱いた黒猫がニャアと鳴く。
 苺はその猫が、自分の息子の契約黒猫だったことを思い出す。
「ごめんなさい、私ったら、また……」
「仕方がないさ。しばらく会わずにいたから」
 娘の成長を喜ぶ父親のように、鯖人はしみじみと頷いた。
「すっかり大きくなったなあ。ほんの十年前は、あんなに小さな女の子だったのに。今はもう高校生なのか」
「パパ」
 こわいわ、とつい弱音を吐いてしまう。
「いつか忘れてしまうのかしら。パパのことも、りんねのこともーーあなた達が家族だったということも、全部」
「ママ」
 ーー大丈夫だよ。
 大きな手のひらが彼女の頬を優しく包み込む。
「ぼくがこうして会いに来るかぎり、きっと何度でもきみは思い出してくれる。だから、こわがることなんて、何一つないんだよ」



【 26 】
 イチゴミルク味のキャンディをなめる。
 口の中に広がるほのかな甘酸っぱさ。馴れ親しんだその味が高鳴る胸を落ち着かせてくれる。
「ねえ、きみは憶えているかな?」
 ーーなにを?
 とたずねる苺の手を、花婿がそっと握り締めた。
「ぼく達の結婚式は、これが初めてじゃないってこと」
 赤い瞳の花婿が屈託なく笑う。
 目に浮かんだ涙を悟られないように、花嫁は背を向けた。
「ーー今の私はあなたよりもずっと年下。長生きしてくれなきゃ、いやよ?」
「うんと長生きするつもりさ。もちろん、きみと一緒にね」
 同じ相手と挙げる二度目の結婚式。参列者の中には息子夫婦、おまけに孫までいる。
「あの年でもし弟妹ができたら、りんねのやつ驚くだろうなあ」
 年甲斐もなく、本気とも冗談ともとれないことをさらりと言う彼。
 苺は涙も忘れてつい吹き出してしまった。
「それだけ元気なら、きっと玄孫の顔も見れるわね」





2016.03.14
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