She was my butterfly.


「朧月夜って、いい言葉ね。──おまえのことを思い出すわ」

 ひらひらと自由気儘に部屋をただよう揚羽蝶。かつての主人の夢を見たのは、この蝶が彼の夢の中にまでまよいこんできたからなのかもしれない。
 あの人の契約黒猫だった年月は、まばたきの一瞬のように過ぎ去っていった。
 黒猫の一生は長い。長寿の家系なら、時として死神よりも生きながらえることもある。長く生きればそれだけ死神と雇用契約を結ぶ回数も増える。ただ一人の死神と主従関係を貫き通す黒猫の、なんと稀なことか。
 朧自身、もう何度契約書にサインをしたかわからない。黒猫仲間内では、もうすっかりベテランと呼ばれる立場にある。いままで何人の死神に仕えてきただろう。あまり詳しくは憶えていない。名前や顔すらもおぼろげだ。何の未練も感慨もなく去ってきたから、相手もきっとそうだろう。
 黒猫として決して無能ではないと自負しているが、いかんせん心が追いついてくれない。どれほど有能な死神に求められても、どれほど自分に言い聞かせても、彼女以外の死神を決して主と認めようとしない、頑なな自分がまだ心のどこかにいる。
「バカだよなあ。あんな、おっちょこちょいの落ちこぼれ死神、さっさと見限ってやればいいのに」
 差し出した指に、蝶がとまる。美しい羽の模様が彼の目を楽しませ、いつまでも見ていたくなる。けれど蝶はすぐに飽きてしまったのか、羽を広げて行ってしまった。去ってゆく姿が名残惜しくて、懐かしくて。別れの日を思って、つい胸が熱くなる。
 あの人の名だけは、忘れない。
 一番最初に、おれを家来にすると言った死神。
 あげはさま。
 ──鳳さま。
「おれはあんたにだったら、どんなことをされたって、笑っていられたんだぜ」
 心の底から従いていきたいと思った死神は、ただ一人だけだった。憎まれ口ばかり叩きながら、この人と永遠に添い遂げたいと思った。後にも先にも、どれほど素晴らしい死神に出会ったとしても、きっとこの忠誠心が揺らぐことはないだろう。





2016.01.09
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