いまはむかし



 ある冬の夜、囲炉裏のそばでかごめを後ろから抱いて暖をとりながら、珍しいことに彼が自分の昔話をぽつりと語りはじめた。

 犬夜叉は母の実家にて幼少期を過ごした。母は高貴の流れを汲む一族の出で、都の一等地にある一族の屋敷は広大なものだったという。
 末娘として両親に可愛がられた母にはきょうだいが多くあった。犬夜叉の物心がついたころには既に祖父母は鬼籍にはいっていたが、屋敷には伯父や伯母、従兄弟たちが暮らしていた。
 ちょうどいまのように、雪がちらほらと舞う季節のことだった。木の下でひとり蹴鞠をして遊ぶふりをしながら、犬夜叉は寝殿で従兄弟たちが勉強している様子をちらちらと窺っていた。
 従兄弟たちは長じて立派な公達【きんだち】となるために、日々こうして屋敷に招かれる名のある学者から、様々な教えを学んでいる。除け者の犬夜叉は同席することを許されていないが、子どもの好奇心はそう容易に抑えられるものではなかった。
 犬夜叉は耳がいい。少し離れたところにいても学者の講釈がしっかりと聞こえてくる。人外の血がもたらしたものか、物覚えも良かった。一度聞いたことはまず忘れない。
 従兄弟のひとりが書物をふせて内容をそらんじるようにと言われた。わがままで怠惰な子どもはいつも学問をほったらかしにして遊んでばかりいるので、案の定どれほど頭をひねっても難解な書物の内容が思い出せず、どもってしまう。
 犬夜叉は鞠をつきながら、従兄弟の途切れさせてしまったその続きを、流れるように口にした。
 できの悪い従兄弟たちの師はその声を聞き逃さなかった。犬夜叉の顔を一目見ようと、従兄弟たちには目もくれずに庭園におりてきた。
 犬夜叉はひそかに期待していた。誉めてもらえるかもしれない、と。認めてもらえたなら彼も従兄弟たちの勉強にまぜてもらえるかもしれない。退屈な一人遊びをしなくてすむ。
 だが、学者の青ざめた顔、おぞましいものを見るような目付きが、望みは決して叶うことはないのだということを物語っていた。
「あなおそろしや、もののけ……!」
 この日以来犬夜叉は、講義を盗み聞きすることをやめた。

 弓の練習を見よう見まねで試してみた時も、従兄弟たちから大不興を買った。武芸の筋のない従兄弟たちの傍らで、犬夜叉はすべての矢を見事的に命中させてみせたのだった。従兄弟たちは屈辱と怒りに顔を赤らめ、幼い犬夜叉をなじった。
「誰がここへ入ってよいと言った?化け物のくせに、大きな顔をするな!」
「あっちへ行け!きさまに持たせる弓はないぞ!」
 弓を目の前で折られ、頬をしたたかに叩かれたが、優しく腫れたところに触れてくれた母以外の誰も、犬夜叉の味方はしてくれなかった。

 何をしても、犬夜叉が屋敷の人間から認められることはなかった。むしろ歩み寄ろうとすればするほど疎んじられ、遠ざけられた。
 妖異はどうあがいても妖異でしかない。踏みにじられ、起き上がってはまた踏みにじられ、それを繰り返すうちに純真無垢な子どももようやく理解した。
 自分が彼らと相容れることはないのだと。

「お前はどんな子に生まれてくるんだろうな?」
 犬夜叉はかごめのおなかにそっと触れる。妻はちょうど臨月にさしかかったところだ。まだみぬ我が子にも、もうじき相見えるだろう。
「できればこんな耳も、こんな爪ももたない、普通の姿で生まれてきてもらいたいんだがな。無理な話か?」
 かごめが唇をほころばせつつ、犬夜叉の手に自分の手を重ねる。胎児のいとおしい脈動が、犬夜叉の手を通して感じられるような気がした。
「こんなに頼もしいお父さんが守ってくれるんだから、どんな姿で生まれてきても大丈夫よ、きっと」
 顔を見る前から、こんなに可愛くてしかたがない私達の赤ちゃん。
 いじめられたりしたら、私だって黙ってないんだから。
 犬夜叉は「母親の方が頼もしいな」といって、よく通る声で笑った。
 振り返って見上げる彼は今日も美しくて、かごめは眩しくて目を細める。こんな人の血を受け継いで生まれてくる子は果報者だ。
「ねえ、犬夜叉」
 背中越しに犬夜叉の体温が伝わってくる。
 誰よりも暖かい人だ。
 彼のことを虐げた従兄弟たちよりも、この人はずっと血の通った心をもっている。
 そんなあなたの心に今、私がうったえかけたいことは──

「生まれてきてくれて、ありがとうね」



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