花嫁御寮  13:死神の夢



 十文字家に引っ越すことが決まった時点で、桜は勤めていた会社に退職願を出していた。
 翼や義両親は桜の意思を尊重してくれたが、お祓いを生業としている十文字家に入るからには、彼女もなにかしらの形で手伝いをすることが好ましいだろうと思われた。今はまだ電話番や来客の対応などの事務処理を手助けする程度だが、十文字の姓を名乗るようになれば、そのうちお祓いの手ほどきを受けることにもなるかもしれない。
 その日は翼が依頼を受けて朝から出かけていたため、桜はひとり十文字家で留守番していた。とくに依頼の電話もなく、掃除や料理など家事を一通りすませて婚約者の帰りを待っていると、夕方になって急な来客があった。
 相談者は、高校時代の同級生リカだった。彼女とは大学で離ればなれになってしまったが、今も時々同じく仲良しだったミホをまじえて、ごはんを食べに行く間柄だ。結婚式の招待状ももちろん出したし、出席の返事ももらっている。同窓生を集めて婚約祝いのサプライズパーティーをひらいてくれたことは、まだ記憶に新しい。
 そんな親友のリカが、幽霊でも見たように青い顔をして桜にすがりついてきた。全身に震えが走っている。ただならぬ事情があって駆け込んできただろうことはすぐに察せられた。
「助けてもらいたいことがあるんだけど、聞いてもらえる?こんなこと、桜ちゃんにしか相談できなくて──」
 桜は動転しているリカをひとまずソファに座らせ、落ち着かせるために紅茶と甘いものでもてなした。桜にうながされてあたたかいミルクティーを何口かすすり、クッキーをかじったリカは、少しだけ人心地がついたらしい。身体の震えをおさえようと深呼吸してから、桜の手を握りしめてこう切り出した。
「私の彼がね、最近、おかしなことを言うの」
「おかしなこと?」
「うん。夜な夜な、すっかり怯えちゃってて、まともに眠れないみたいなの。なんでも、『死神が夢枕に立つ』んだって……」


 女子大時代に合コンで知り合ったというリカの彼氏は、有名大の医学部を出たのち大学病院勤務で経験を積んでいる、将来有望な青年だ。
 桜も翼を連れて一度四人で食事したことがあり、優しそうな人という印象を抱いている。
 まだ結婚の話は出ていないそうだが、桜の婚約を機にリカがそれとなく揺さぶりをかけているらしい。彼も満更でもないらしく、高校時代からリカが夢見ていたいわゆる「玉の輿」に乗る日は、そう遠くはなさそうだった。
 リカの彼氏が所有しており、現在二人が同居しているという高層マンションまで、桜はリカを送っていった。どうしてもとせがまれて中にお邪魔すると、リカの彼氏がソファで青ざめた顔をして縮こまっていた。桜がいるにもかかわらず、隣に座ったリカに、うさぎのようにぶるぶる震えながら抱きついている。
「こんなに暗くなるまでどこに行ってた、リカ?俺、独りじゃ怖くて──」
 彼の口から直接桜が聞かされたのは、十文字邸でリカから聞いた話の繰り返しだった。毎晩死神が夢の中に現れて、大きな鎌で魂を狩られそうになる。
「死ぬ!と思った瞬間に、はっと目が覚めるんだ。部屋のどこかに死神がいるんじゃないかと思うと気が気じゃなくて。かといって、目を閉じたらまたあの夢を見るかもしれない。毎晩こんなことじゃ肝が冷えるよ。もう、何日まともに眠れてないか……」
 寝不足の顔には気の毒なことに、死相さえ表れ始めている。この状態では仕事にも支障をきたしてしまうため、ここ数日は病院を休みがちだという。
「桜ちゃん、ひょっとすると彼、呪われてるのかな?──本当に、死神に取り憑かれちゃってるの?」
 リカが泣きそうな顔をする。打算ばかりの付き合いかと思ったら、ちゃんと愛はあるらしい。親友をどうにかなだめながら、桜はたったひとつの心当たりに思い当たっていた。
 ──堕魔死神の仕業かもしれない。
 ノルマ水増しのために寿命がまだ残っている人間の魂を狩りとる、悪の死神。
 これも彼らの手口のひとつ、なのかもしれない。
 胸が痛い。一番隠しておきたいところを、針でちくりと突かれたように。
「六道くんがいてくれたら、どうにかしてくれたかな?お賽銭とお供え物、今だったらケチらないでうんと奮発するのに……」
 ぐずぐずと泣き言をいうリカ。突然出てきた名に、身構えていなかった桜はつい過剰に反応してしまう。
 リカが怯える彼氏をなだめるのに精一杯で、桜の表情を見ていなかったことは幸いだった。
 ──リカちゃん、本当はね、私だって泣きたいんだよ。
 唇を噛みながら、桜は窓ガラス越しの夜景を見おろす。何億何千万という額を積み、ここから一望できる見事な景色を手に入れたとしても、それがどんなに美しい光景だとしても、桜にとっては何の価値もない代物だ。彼女にとっての唯一の光は、そのどこにも存在しないのだから。
 お賽銭と、お供え物。
 ほんのいくらかの小銭と、申し訳程度の食べ物。
 それくらい、どうってことなかった。
 何かをあげることで彼を引き留められたなら、きっと私は、なんだって差し出したのに。




To be continued
 
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