Eaten by the flower
Eaten by the flower



 徹夜続きでくたくたに疲れて、とうとう幻聴がきこえるようになってしまったらしい。
 それがたった今、隣の彼女が悩ましげなため息とともにこぼした独り言について、りんねが即座に下した結論だった。
 ──六道くんって、こんなに素敵な人だったんだ。
 つい、頭の中で反芻してしまい、打ち消すようにあわてて頭を振る。
 ありえない。真宮桜がそんなことを言うはずがない。きっと聞き間違えたにちがいない。とりとめもない独り言を、疲れた頭が都合のいいように解釈しただけだ。
 りんねは聞こえなかったふりを装い、授業に集中することにした。広告の裏紙を束ねただけの、ノートと呼ぶにはあまりにもお粗末な代物に、黒板に書き連ねられた歴史年表を写していく。
 だが、そうしている間にも、左隣が気になってしょうがない。
 ──見られている。
 さっきからずっと、横顔に、むずむずするくらい視線を感じている。
 目を合わせるべきなのだろうか?もしかすると、何か用事があるのかもしれない。まじめな桜が授業に集中せず、こうして気を散らしている様子はごく稀だ。すくなくとも彼自身は、一度も見たことがない。むしろりんねが桜の横顔を窺うことは、よくある。その逆は、彼が知る限りではありえなかった。その桜が、こんなに熱心に彼のことを見つめてまで、何か伝えたいことを秘めているのかもしれない。
 意を決して、りんねは左隣を見やった。すると予想だにしない反応が返ってきた。桜は目が合った瞬間、はっと我に返り、はにかむように俯いてしまったのだ。
 驚いたのはりんねも同じだった。毅然とした態度をとる桜がこういう表情を見せたことは、今まで一度たりともなかった。彼に打ち明けようとしているのは、何か気まずい話なのだろうか。
 さっきまではりんねが見られる側だったのに、今度はりんねが見る側だった。うつらうつらと眠気に引きこまれてしまいそうな世界史の授業は、桜のなぜかほんのりと色づいた頬を眺めているうちに、あっという間に終わりを告げた。

「真宮桜」
 呼びとめられた桜は、咄嗟に髪に触れていた。ほつれたところがないか気にしながら、おずおずと向き直る。
「何?六道くん」
 りんねは至って真剣な顔をしている。今日はいつになく、その誠実そうな表情に見とれてしまう。いつまでも素敵な彼を見つめていたいと思う。けれど、きらきらと輝く赤い瞳にますます焦がれてしまいそうで、臆した桜はまた視線を落とした。
「真宮桜、何か話があるんだろう?」
 りんねが声を落として囁いてきた。内緒話をしているようで胸が逸る。彼と話してみたいことなら、それこそ星の数ほどあった。
「ずっと俺を見ていたから、相談事があるのではと思ったのだが」
「──さっきの、聞こえてた?」
 くぐもった声でたずねると、聞こえなかったらしく、聞き返された。かまわずに桜は続けた。
「あれはね、心の声が、勝手に出ちゃったの」
「心の声?」
「『六道くんって、こんなに──』」
 みなまで言わなくても十分だった。彼はぎょっと肩をこわばらせ、不自然なくらい瞬きを繰り返した。たっぷり十秒ほど間を置いて、りんねの頬にじわじわと赤みがさしてきたのを見計らって、もう一度桜は聞いてみた。
「聞こえたんだよね?」
「いや、その……」
 観念したりんねが、こくりと頷く。
「何かの間違いだと思って、聞き流したのだが」
「間違い?どうして?」
「──真宮桜にああ言ってもらえるようなところが、俺にはないから」
 謙虚な人だ。そういうところさえ好ましく感じられて、桜はいまよりももっと、目の前の少年に近づいてみたいと思った。
 そして、彼も同じ気持ちで居てくれたらいいな、と。
「そんなことない。──六道くんのいいところ、私はたくさん知ってるよ」
 いつもの正午、騒がしい教室。
 急にその喧騒が遠のいて、周りの景色も目に映らなくなって、まるでふたりだけの世界にとらわれたような錯覚に陥る。
 りんねの目はまっすぐに桜だけを見ていた。他には何も要らないというように、桜もりんねだけを見ていた。
「もしよかったら。お弁当、作ってきたから」
 少女は花開くような笑顔をみせる。
 その目は、人ならぬ色を放っていたが、花の香にすっかり魅入られてしまった少年は気付かない。
 花のくちびるは歌うように続ける。
「一緒に食べてほしいな。できれば、ふたりきりで」
 食べてしまったが最後──

 この男は、私の糧となるだろう。




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敬愛する柊六花さんから提供していただいた、「憑依された桜に迫られるりんね」というネタ。


2015.11.15
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