守人


<弥祥法師による見聞録>

 これはとある巫女の半生を後世に語り継ぐため、口伝の内容を書き留めたものである。

 武蔵国、某村。鎮守の森に抱かれた名もなき農村に、その巫女は暮らしていた。
 名を───といい、類い稀なる霊力でしばしば悩める人々を救ったという。
 清らかな巫女でありながら、───は物の怪と心をかわし、対立する人と妖との間で仲立ちとなることもあった。
 ───の霊力については、伝承であるため多少の誇張が含まれるだろうが、ここに伝え聞いたままを記しておく。
 ───は破魔の矢の使い手であり、妖怪の発する邪気を瞬時に浄化する力を秘めていた。邪悪な存在は、清浄な───の身体には指一本ふれることまかり叶わなかった。
 また若き頃の───は、時を渡る通力をももちあわせていたという。ゆえに時として型破りなことをし、人々を感心させた。
 いまだ妖の跋扈する時世、常人ならざる力をもった巫女は人々の救いであった。
 多くに慕われ、やがて大往生を遂げたのちは、巫女を祀るための神社が建立された。
 巫女は畏敬の対象となり、その神社は今もなお、悩める人々の心の拠り所となっているという。
 
 なお、巫女の名をあえて伏せたのは、巫女の友人であったという我が祖、弥勒法師たっての願いである。
 どのような事情かは存ぜぬが、祖はその名が後世に残ることを望まなかったという。
 美しい名であるため、その名を伏せねばならぬことは不本意であるが、祖先の遺言とあっては致し方あるまい。

 それにしても、くだんの巫女とやらは、さぞかし美しい女子であったことだろう。
 不思議なことに、どれほど年を重ねようと、巫女の若さが損なわれることはなかったという。比類なき霊力の賜物だろうか。
 是非とも我が祖の目を拝借し、一見に与りたいものである。



<伝・妖狐七宝による、妖怪退治屋琥珀の玄孫・翡翠へ宛てた書簡より抜粋>

 一族への配慮、痛み入る。其方のような退治屋が居てくれることは大変ありがたい。……

 ところであの大馬鹿者はどうしているだろうか。ここ数年ほど姿を見ていない。私も長らく村を空けているため致し方あるまいが、近頃あやつとは行き違いばかりだ。
 子守りを放り出し、年甲斐もなく方々をさすらっているのだろうか。かの巫女との思い出の地を巡っているのやもしれぬ。行く先々で騒ぎを起こしていないことを願うばかりだ。あれを大爺と慕う子らに示しがつかぬであろうからな。
 巫女の命日に神社を訪れたなら、あるいはまた会えるだろうか。今年は是非ともあの阿呆に会いたいものだ。其方の酌で酒でも飲みつつ、昔話に興じたい。
 これから法師の家にも便りを送ろうと思う。蛙の子はなんとやら、あの家はまたも赤子が生まれたそうな。
 なんとも喜ばしいことだ。……



<『破魔矢を射る巫女』>

 巫女の孫娘が描いたと伝えられる絵。
 年を経ても若さを保ち続けたという祖母の後ろ姿が、繊細な風景画のなかに美しく描かれている。





 日暮草太には、最愛の姉がいた。高校を卒業してすぐに嫁に出て、以降実家には一度も戻ってくることのなかった姉が。
 ──姉の嫁ぎ先は、五百年前の世界。
 誰に言おうと、決して信じてもらえないことはわかっていた。
 姉が旅立ったあと、草太の母は後処理にずいぶんと奔走したものだ。高校を卒業したばかりのうら若き少女が突然姿を消したのだから、何らかの事件性を疑われても仕方のないことだった。
 一時は警察沙汰にさえなってしまった。だが、時を渡り去っていった人間の足がかりなど、どうあがいても得られようはずもない。それこそ、霞をつかむような話だ。結局、捜査はごく早い段階で行きづまり、最終的に姉の一件については「行方不明」と処理されるに至った。
 祖父がいよいよ持病を悪化させて寝たきりになると、やがて跡継ぎとなる草太が日暮神社を任されるようになった。母に手伝ってもらいながら、手探りで色々なことをこなしていった。
 やがて祖父を弔い、神職に就き、結婚をして子を育て、しばらく経ってから、年老いた母を見送った。
 二人とも最期の瞬間まで、はるか遠くに行ってしまった姉の幸せを願い続けていた。
 その姿が目に焼き付いたせいだろう。年を経るにつれ、草太は姉の生きた証を探したいという思いに駆られるようになった。すがるような気持ちで、日暮神社や近くの図書館などに残っている古文書を紐解いてみた。
 すると、姉の名こそ見当たらなかったものの、姉とおぼしき人物の記述が、わずかではあるがいくつかの文献にみられた。なかには姉が生きたはずの時代よりも、やや時を経ている記録もあるが、それだけ姉が周囲の人々に印象を残したということだろう、と草太は解釈した。
 かつて姉が現代と過去とを行き来していたとき、家族に語り聞かせた、おとぎ話のような冒険譚。記憶に残るその断片と、文献の記述とをつなぎ合わせると、草太の脳裏で、あの日以来時を止めていた姉の姿が数十年ぶりに息づくようになった。

 ──私、とっても幸せよ。

 いま、改めて境内にそびえるこの御神木の前に立つと、こんなにも近くで、姉の声が聞こえるような気がする。
 その声はあまりにも鮮明で、それが五百年の時を越えて彼の耳に届いたものだとは、とても信じがたいのだった。

 面倒見がよくて頼りがいのある、美人で自慢の姉だった。喧嘩もたくさんしたが、居なくなってしまうとやはりもの寂しかった。
 四季がめぐるたびに、彼方で生きる姉を思った。あちらでは桜が咲いただろうか。蝉が鳴いているだろうか。紅葉はもう色づいただろうか。雪が降っているだろうか──。
 便りがないのは、息災の証拠。
 それは、いつしか日暮家の相言葉になった。

「ねえちゃんがどこにも名前を残さなかった理由、わかる気がするよ」
 もし草太の祖父や母が、その名を目にしていたら。孫や娘の待ち受ける定めを、前もって知ってしまったとしたら。
 それでも祖父は、母は、姉があの枯れ井戸を往来することを、こころよく許しただろうか。
 ──わからない。
 だが、もし草太が同じ境遇にあったならば。姉が未知の危険にさらされると知りながら、そうすることはできなかったかもしれない。
 家族であろうと、確かなことはいえない。人を大事に思う気持ちは、決して誰にも推し量ることはできないのだから。
 きっと姉には、そのことがよくわかっていた。だからこそ、後世に残る記録から、自分の名を消したのだ。
 過去を、そして未来を、わずかばかりも変えてしまわないように──。
 時が来たら、きっとまた、姉は日暮家に生まれる。「かごめ」という名をもらい、何も知らずにすくすくと成長する。そしてまた、十五の誕生日を迎えた日に、あの古井戸を通るのだろう。時の彼方で待っている、運命の恋人に会いに行くために。
「薄情だよ、ねえちゃんは。可愛い弟よりも、オトコをとるんだからさ」
 憎まれ口のひとつくらいは許してほしい、と草太は思う。
 彼はきっと、何度でも置いていかれるのだから。
 別れの挨拶もそこそこに、血を分けた姉は行ってしまうだろう。草太はなすすべもなく、見送るしかないだろう。気の遠くなるような時のうねりのなか、姉をつなぎとめておけるのは、ただ一人だけだから。
 ──けれど、たとえそうだとしても。
 御神木の守人は、乾ききった手の甲で、眦にあふれる涙を拭う。
 もしも、時間がめぐるのなら。車輪のように、輪廻のように、この御神木を軸にして、おなじことを繰り返すというのなら。
 願うことは、ただ一つ。

「僕は何度でも、ねえちゃんの弟に生まれたいな」
 




2015.09.20
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