【 その一輪 】


 秋に咲く桜を見に行こう。休みの日にクラブ棟を訪ねてきた彼女はそう言って、造花作りに勤しんでいたりんねを外へ連れ出した。
 大好きな彼女とのデートにはいつも胸が躍る。彼は決して出不精なわけではないのだ。だがいかんせん財布の紐が固いので、外ではなるべくお金をかけずに楽しみたいと思っている。桜はそういう心境をよく理解してくれていて、お互いに背伸びしなくてすむ程度に、けれど十分に満喫できる出掛け先を提案してくれる。
「六道くんは乗り物が苦手でしょ?そんなに遠くないから、歩いていこうね」
 並んで街路樹の下を歩いた。前は霊道を通って手っ取り早く目的地まで移動していたが、近頃はむしろ時間をかけたくてこうして歩くことが多くなった。とりとめもない話をしていると、今日も到着まではあっという間だった。
 コスモスが時期を迎えたとあって、自然公園はそれなりに賑わっていた。歩いたらりんねのお腹が鳴ったので、噴水の近くのベンチに座って、二人で桜が作ってきてくれたサンドイッチを食べた。
「六道くんは卵サンドが一番のお気に入りなんだよね。二番目にツナサンドで、三番目はポテトサラダサンドかな?」
 りんねは手を伸ばして、桜の唇の端にちょっとだけついているイチゴジャムをすくいとってやった。
「そういう真宮桜は、ジャムサンドが一番好きなんだろう?」
「ううん。私も六道くんと同じで、卵サンドが一番好き」
「でも、いつも一番最初にジャムサンドを食べてる」
 桜はすこし肩を竦めて、ふふ、と笑った。
「よく見てるね、六道くん」
「それはお互い様だな」
「サンドイッチの好みも、お揃いにしてみたかっただけ」
「俺は真宮桜が作ってくれるサンドイッチなら、なんだって好きだ」
 隣のベンチでオレンジジュースを飲んでいる子供が物珍しそうに二人を見ていた。さすがにのろけているのが気まずくなって、二人とも黙ってサンドイッチを完食した。
 日が傾いてくると、遊んでいた人達がぽつぽつと荷物をまとめ始めた。コスモス畑に足を踏み入れてみると、昼間はあちこち花を摘んだり写真を撮ったりする人で賑わっていたが、今はもう人影はまばらになっていた。
 淡い青空にうっすらと茜が差し、見ている間にも境目がどんどん曖昧になっていく。あたり一面に咲くコスモスは、静かな風に吹かれてそっと、小さな頭を揺らしている。
「六道くん、こっち向いて?」
 声に振り向きざま、カシャ、とシャッターの音が聴こえた。携帯の陰から桜の顔がのぞいて、にっこりと笑いかけてきた。
「かっこよく撮れてるよ」
 どれどれ、と画面を覗き込もうとして顔を近づけると、またも軽快なシャッター音。インカメラに切り替わっており、画面に二人分の顔が映っていた。
「思い出のツーショットだね。今度プリントしてみよう?」
 桜はおかしそうに目を細めている。彼女が意外といたずら好きでお茶目な人なのだということを、こういう関係になってからりんねは初めて知った。不意打ちをけしかけられても、かわいいことをするなあ、の一言だけですんでしまう。きっと惚れた弱みだろう。
「少し先まで歩いてみないか」
 手を差し出してみる。うん、と桜が頷いてその手に自分の手を重ねてきた。
 花を踏まないようにゆっくりと歩く。向かいからのそよ風が頬に心地いい。このまま時間を忘れてしまう前にと、りんねは口を開いた。
「暗くなる前に、帰ろう」
「うん」
「家まで送っていく」
「──うん」
「でも、あともう少しだけ、歩いてもいいか?」
 繋いだ手を握り締めた。桜が返事をするように、その手をそっと握り返してきた。
「今日も、あっという間だったね」
「ああ。本当に、あっという間だった」
「もう少し、一緒にいたかったね」
 りんねは静かに頷くにとどめた。口にすると本当に帰したくなくなるから、言わない。
 摘み取ったコスモスに鼻を近づけて、香りを楽しんだあと、桜はその花びらに唇を寄せた。それをりんねは横目に見ていたが、彼女の視線が自分の横顔に向けられた時には、夕暮れの空をあおいで見なかったふりをした。
「──そろそろ、帰るか」
 ああ、けれど、やはりどうしても名残惜しいから。
 彼女を家まで送ったあとには、その一輪をもらって帰れたらいいな、と思った。


 


2015.09.15

素敵な挿絵を描いていただきました。

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