最後の狼 妖狼族の若頭鋼牙には惚れた女がいた。ほんのちっぽけな人間の小娘でありながら、途方もない宿命を負う女だった。 彼女、かごめには、前世で契りを結んだ相手がいた。ゆえに鋼牙の求めには応じず、やがて運命に導かれるままに彼女はその男のものになった。 そのあとも鋼牙はかごめのことが忘がたくて、何度もはるばる彼女のもとへ逢いに行った。かごめは気の置けない友人の気軽さで、いつもこころよく彼を迎え入れてくれた。 時に野で薬草を摘みながら、川辺で洗濯物を干しながら、丘でやんちゃな乳飲み子をあやしながら、かごめは鋼牙に色々な話を語り聞かせてくれた。中でも鋼牙がとくに興味を持ったのは、かごめの故郷についての話だった。 かごめは、とても遠い国からやってきたのだという。 それは、未来、という国だ。 かごめには、もう二度と帰ることのできない故郷だった。 「もし鋼牙くんがあと五百年生きられるのなら、ひょっとしたら私達、また会えるかもしれないね」 そう言って楽しそうに笑うかごめの面影を、鋼牙は深く心に刻んだ。 時が流れ、世界の均衡が徐々に崩れ始めてきた。 ある時、流行病が広まり鋼牙の眷族たちを蝕んだ。狼のみならず四足の生き物はばたばたと死んでいった。かつては恐れられていたはずの獣が、しだいにその勢いを失っていった。人々はその存在を疎ましく思い、彼らの生活に害をなすものとみなして、手当り次第駆除するようになった。こうしてあふれかえるほどだった狼の数はみるみるうちに減っていき、ついにはほんのひとにぎりを残すのみとなった。 時を経て押しも押されぬ妖狼族の頭領となった鋼牙は、一族の存亡を賭けて勇猛果敢に闘った。人間に縄張りを侵略され理不尽に奪われようとも、諦めることなく何度でも取り戻そうとした。だが人間はどんどん強くなっていった。妖怪の強靭な爪と牙をもってしてももはや太刀打ちできないような武器を次々に造り出した。文明という光の陰で四足の獣たちはさらに弱体化していった。 かつては栄華を誇った眷族の滅亡を次々と目の当たりにし、しだいに鋼牙は不信を抱くようになった。遠い日にかごめが語り聞かせてくれた彼女の故郷、──未来、という国に。 その国には、俺のような妖怪もいるのか? 一番肝心なことを、聞きそびれてしまった。 五百年後の再会を楽しみにするばかりで。 だが、会って聞きたくとも、かごめはもういない。 そして。 人と物の怪の闘いが収束に近づき、とうとう人間たちが不要となった刀を捨てた、明治の時代──。 この国で最後の狼が人の手によって捕らえられ、まもなく息絶えた。 待ち人がこの世に生まれるまで、あとたった百年を残したところだった。 |