破魔の巫女


「破魔の巫女様に会えば、あらゆる災厄が祓われるそうだ」
 近隣の村々にそんな噂がはびこっていた。
 時をつなぐ骨喰いの井戸を通ってかごめが三年ぶりに戦国の世に現れ、この地に根をおろすと決めてからひと月。犬夜叉をはじめ、彼女と深く関わった仲間達の喜びようは言うまでもない。
 だがかごめを待ち侘びていたのは彼らだけではなかった。楓の村の人々もまた、この巫女の帰還を心待ちにしていたのだ。
「久しぶりにかごめ様の御顔を見たら、身体の具合が良くなったみたいだよ。ありがたや、ありがたや──」
 と両手を擦り合わせてしきりに拝もうとする老婆もいれば、
「かごめ様がいらしてからは、雨が降るようになった。これで稲も元気に育つなあ」
 とありがたがる百姓の姿もあった。
 そんな大袈裟な村人たちの言葉に尾ひれがついて、近隣の村にまで伝わっていってしまったらしい。清らかな「破魔の巫女」を一目見て霊験にあやかろうと、見物人の数が後を絶えなかった。
 これが面白くないのは犬夜叉である。石の上にも三年というが、まさにその思いで辛抱強くかごめの帰還を待った。そしてようやく訪れた再会。これでやっとかごめを独り占めできるかと思えば、またたく間に野次馬の寵児となってしまった。これでは二人きりになる暇すらないではないか。
「どうしたのよ犬夜叉、そんな膨れっ面して」
 囲炉裏にかけた鍋の中身をかき混ぜながらかごめがのんびりと訊いてきた。鍋の中では具だくさんの雑炊がふつふつと煮えており、辺りにはいい匂いが充満している。今日も野次馬たちから野菜やらたまごやら多くの差し入れがあったので、腐らせないうちにとかごめがありがたく消費しているところだ。
「おなかすいた?すぐにできるから、待っててね」
 犬夜叉は寝そべってじっと彼女の横顔を見つめていたが、まるで聞き分けのない子を宥めるように言われて不満そうに目を細めた。
「俺は半妖だ。飯なんざ食わなくても生きていける」
「またそんなこと言って。食べてみれば、きっと美味しいんだから」
 かごめはくすくす笑いながら、木製のおたまで雑炊をすくった。ふうふう、と息を吹きかけて冷ましてから、犬夜叉の口元にもっていく。
「はい。味見してみて?」
「けっ。そんなごった煮、いらねえ」
「そう?なら、私が食べちゃう」
 あっけなく引き下がられ、なんとなく拍子抜けしてしまう。
 こういうやり取りでかごめがそうやすやすと鳥頭を立てることがなくなったのは、やはり三年という年月のなせる技だろうか。犬夜叉への接し方は、まるで包容力のある姉さん女房のようだ。
 犬夜叉は無いものねだりの子どものように歯がゆく思った。
 かごめの変化を、──少女から成長していく彼女の姿を、誰よりも近くで見ていたかった。そう思う自分は欲深いだろうか。
「──やっぱり、食う」
 がばりと起き上がり、かごめのすぐ隣に肩をくっつけるようにして座った。意地を張っている自分が幼稚に思えてしゃくにさわるのだ。
 横顔をちらりと一瞥する。うつ向いた彼女は嬉しそうな顔をしていた。その顔が可愛くて、つい見とれてしまった。かごめが雑炊を椀によそっていると、白い頬に髪の毛が一筋はらりと落ちた。それを耳にかける仕草のひとつもじっと見つめていた。
「犬夜叉、そんなに私の顔が面白い?」
「──別に」
「じゃあどうして見てるの?」
「どうしてって、今までろくに見られなかったからな。『破魔の巫女様』とやらのせいで」
「もしかして犬夜叉、寂しかった?」
「けっ、馬鹿馬鹿しい」
 頬を緩ませながら、かごめが膝をぽんぽんと叩く。
「寂しかったなら、ここで寝る?」
「……」
「破魔の巫女のお膝下だもの。きっと、いい夢を見られるわよ」
 ほどなくして安らかなまどろみに落ちる半妖の姿が見受けられた。




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