踏切の向こう側に立っている桜の顔は、影になっていて彼からはよく見えなかった。
 太陽に背を向けているせいだろう、桜の後ろから差し込む赤い夕日ばかりが眩しくて、彼女がどんな表情をしているのか分からない。笑っているのか、困っているのか、呆れているのか、それとも──やはり怒っているのか。
 とにかく見えないのだ、彼女の心が。
 焦燥に駆られたりんねは、声を張り上げて桜の名を呼んだ。
 カンカンカン、とちょうど絶好のタイミングで、声を遮るようにして大音量の警報機が鳴った。右側の線路から、電車が近付いてくる音がする。驚いたカラスがバサバサと羽を動かして、頭上を飛び立っていった。
 電車が通り過ぎる時には、彼女はもう彼を置き去りにして、居なくなっているかもしれない。温厚な桜が怒るということは滅多にないので、どんなことになるのか見当もつかない。ただ、普段は手をつないで帰る一本道に、ひとりで置いて行かれるのはどうも寂しい。
「怒っているのなら、謝らせてくれ──!」
 警報機に負けじと声を張り上げた。すると向こう側にいる桜が、彼と同じように手でメガホンをつくるのが見えた。
「私、怒ってないよ──!」
「本当か!?」
「うん!おやつのドーナッツ、勝手に食べちゃったくらいで、怒ったりしないよ!」
 ん?とりんねは首を傾げる。
 今日の桜はいつもとは様子が違っていた。夕飯の買い出し中、ずっと難しそうな顔をして、手も繋いでくれなければ、一言も口をきいてくれなかったのだ。てっきりつまみ食いがバレて、怒っているのかと思っていたのだが。
 電車がしだいに近付いてくる。が、桜は声がかれそうなほど大声を上げて、踏切越しのりんねに何事か伝えようとした。
「今日、ビョウインに行ってきたの──!」
「ビヨウイン!?」
「うん、それでね──」
 残念ながらここで電車が来てしまい、彼女の声がまったく聞こえなくなった。りんねは長い車両が通り過ぎるのをもどかしく待っていたが、ふと、桜が怒っていたように見えたのは、このせいかと思い至った。美容院に行って髪を切ったのに、気付いてもらえなかったと拗ねているのだろう。だとしたら、仲直りの方法はいたって単純だ。
 踏切の遮断機が上がると、りんねは買い物袋を放り出して一目散に桜のもとへ駆け寄った。彼女の手を強く握り締め、その目を覗き込むと、
「あのね、」
「あの、」
 二つの声が重なった。が、どちらも譲らず、言葉を続けた。
「赤ちゃんが、できたの」
「その髪、すごく似合ってる」
 あれ?と二人同時に瞬きする。話がまったく噛み合っていない。けれどりんねは彼女が何か重要なことを言ったような気がして、桜も桜で、何と言われたのか気になった。
「えっと、何が似合ってる、って言った──?」
「──そっちこそ、なにができたって?」
 


(素敵な挿絵を描いていただきました。)


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