Unti-romantist


「素敵なお写真ですね、社長」
 ふわり、と嗅ぎなれた香水の香りが鼻をかすめる。バインダーを胸に抱えた美人秘書が少し屈みこんでいて、彼女の端整な顔がすくそばにあった。彼が手にしている写真を覗き込んでいるらしい。
「実家に顔を出したら、おかあさまがくれたのさ。どうだい、よく写ってるだろう?」
「ええ。──本当に、お似合いの二人ですわ」
 それは少し前にあった結婚式で撮られた一枚だ。はにかんでいるのか、どこかぎこちない顔をして花嫁の腰を抱く花婿と、こぼれ落ちるようなブーケを手に花婿の胸に頭をあずけている、こちらは花咲くような笑顔の花嫁。近くにはすらりとした燕尾服を着た鯖人も、そして上品な黒留袖姿の魂子も写っている。ついでに言うならば、美人秘書の妹・鳳も、花嫁のそばでにっこりと笑ってピースサインを作っている。
「あのりんね様が、ご自分でこつこつお金を貯めて、値の張る結婚指輪を買われたのですね。父親として、感慨もひとしおなのでは?」
「ははは。いや、りんねのやつも水臭いなあと思ったよ。指輪のひとつやふたつ、前もって言っておいてくれれば、ぼくが知り合いから貰ってきてやったのになあ」
「いやだわ社長ったら。これは結婚指輪、一生ものの指輪ですよ?愛する人に贈る約束の証を、他人からの貰い物ですませるだなんて、女性からしてみれば幻滅ですわ」
「そういうものなのかい?」
「そういうものですわ。──ひょっとするとりんね様は、ああ見えて社長よりも、ずっとロマンチストなお方なのかもしれませんね」
「ロマンチスト?あのりんねがかい?」
「ええ。桜さまを見つめるこの熱い眼差しを見れば、おのずと分かりますわ」
 目を細めた美人秘書が、微笑ましそうに写真を見下ろしている。もっとよく見ようとして小首を傾げると、目蓋にのせられたラベンダーのアイシャドウが、まるでダイアモンドを砕いた粉のようにきらめいた。相変わらず事業は右肩下がりで給料などまともに渡せていないはずなのだが、女性という生き物は身銭を削ってでも外面を磨くことに出費をいとわない性分らしい。華々しい女性遍歴をもつ彼はそのことをよく知っている。
 父と娘ほどとはいかないまでも相応に年の離れた恋人の顔を、鯖人は間近でじっと見つめた。美人秘書はその名の通り、美しかった。そばに置いて、蝶や花や芸術品のように、好きな時に好きなだけ鑑賞して愛でていたい美しさだった。
「ぼくだって、今、きみのことを見ているんだけど。──気が付かない?」
 美人秘書は写真から目を逸らさないまま微笑した。かつてのように甘い表情ではなく、それはどこか諦めを知ったような、寂しげなほほえみだった。
「社長が私を?……ご冗談はおやめになって」
「なぜ?こうして飽きるほど、きみを見ていたいと思うのに?」
「知っています。社長がご覧になっているのが、私ではないことは。社長のお心が、ただ一人に向けられていることも」
 言葉をなくした鯖人は押し黙る。息子の結婚式の写真を机の上に無造作に置いて、視線をふと窓の外になげかけた。
 ──社長室のその窓は、いつもかならず開いている。
 窓の向こうには、近いようで遠い死神界の上空に浮かぶ、輪廻の輪が見える。
 あまねく生命の営みを司り、厳かな音を立てて回るその赤い輪を、ふと気付けば飽きもせずに眺めている彼がいた。
 彼に恋をする美人秘書が、気が付かないはずがなかった。
「きっと、思いを馳せておられるのでしょう?」
「……」
「あの輪を見るたびに。そのお方のことを、思い出しておられるのですよね──?」
 彼女の言葉は、果たして彼に届いているのだろうか。赤髪の男は、まるで夢を見るような眼差しで窓の向こうの赤い輪を見つめている。
「あの人は──りんねの母親は。それはそれは、美しい人だった」
「そうだろうと、思っていましたわ」
「ぼくはあの人のためなら、何を捧げてもいいと思った。生まれて初めて、あんなに誰かを愛したよ。独り占めしたいと思った。どこにも行かないでほしい、誰のものにもならないでくれ、と願ったよ。現世の流れ星にも、地獄の魔王にも。──でも、だめだった」
 彼は深呼吸をして、窓から吹き込む風を吸い込んだ。ざわつく心を鎮めるように。
「あの人はね、彼女は、輪廻の輪そのもの。あの輪の化身、輪廻転生の精霊なんだ。生きているものすべてを平等に見守る存在。──形あるものが形をなくした時に、その懐に抱きとってくれる。言ってみれば、世界の『母親』のような存在なのさ」
 だからぼくだけが独り占めすることは、できない。
 彼の声は事務事項を伝えるように淡々としていた。普段の自堕落でお調子者な彼とは、似ても似つかない姿だった。
「りんねもおかあさまも他の知り合いも、死神界のまともな人は誰もがぼくを責めたよ。堕魔死神なんかに落ちぶれたことをね。でもあいにく、ぼくは後悔なんてしないんだ。誰に後ろ指を差されようが、どうってことない」
 社長、あなたは──。
 美人秘書は自分の失恋も忘れて、彼のために胸を痛めた。顔だけで振り返ってみせた鯖人の笑顔が、本当は人一倍傷つきやすい繊細な心をもっているのに、責め立てられても大丈夫なんだと虚勢を張って笑う彼が、あまりにも、痛ましかったから。
「輪廻の輪に、この手でたくさんの魂を送る。そうしてあの人と繋がっていたい。近くても遠くても、ぼくがいつもあの人を見てるってことを、忘れないでいてほしいんだ。はは、完全に片想いだね」
 記念写真に映る、かけがえのない息子とその花嫁。純白をまとって幸せそうな二人を、再び見おろす彼の眼差しには、愛おしさとともにかすかな羨望すら混じった。
「あの人にも、見せてあげたかったなあ」



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うーん、鯖人さんを美化してるようなそうでもないような(^^;)
言わずもがな、りんねママのモデルは「崖の上のポニョ」のグランマンマーレです。
りんねの両親がフジモト&グランマンマーレみたいな関係だったら…?と思ったんですが見事撃沈しました。いつかはいちゃつかせられるかな…?
りんさくに限定せず、RINNEはもっと色々と書いていきたいと思うこの頃でした。



2015.06.01 Twitter log
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