One day under the willow tree


 往来を行き交う人の波をかき分けてまたかき分けて、視界が開けるとようやく待ちわびた人の姿がそこにあった。昼下がりの日が降りそそぐ用水路のそば、水面に垂れた柳が、初夏のすこし乾いた風にさわさわと揺れている。柳の下ではひとりの女性が、木陰で白い日傘をはすに差して、傘陰から顔を少しだけ覗かせて遠くを見つめている。そのまなざしの先にあるのは、空高くそびえる赤と白の塔──昨年立ったばかりの東京タワーだ。
「待たせたね、魂子」
 華奢な肩に手を置くと、白い顔をゆるりとこちらに向けてぼくの妻は「ああ、あなただったのね」と笑った。
「私も今、来たばかりよ。先生は、今日はなんて?」
「順調に回復していて、もう何も心配することはないって。今度からは、薬も要らないだろうと言われたよ」
「それは、よかったわ」
 赤い唇をひいて魂子は頷いた。彼女の後ろからそよ風が吹いて、頬にかかる白髪を揺らしている。木漏れ日できらきらと輝きを放っているそれは、年寄りめいて見えるからあまり好まない、と彼女は言うが、
「魂子」
「なに?あなた」
「今日も、きみは綺麗だよ」
「──言うと思った」
 照れているのだろうか、うつむきがちになる魂子の、降りかかる髪に隠れた頬に触れてみる。人外である彼女の肌は、すこしひやりとして心地いい。人ではない彼女だが、その肌の下にもちゃんと血が通っている。死の国に棲む死神もまた、生きているのだ。
 魂子の赤い目が、何を語るでもなくぼくを見上げている。ぼくはその目を見つめ返す。涼しげな木陰にいるのに、ぼくは顔がしだいにほてりを帯びてくるのを感じる。
「今日は、ひょっとすると少し、暑いのかな?」
「──ええ、きっと」
 しばらく木陰で二人並んだまま、真新しい東京タワーを眺めていた。
「あなた、お夕食はどうしましょうか?」
「そうだねえ。冷たい蕎麦なんて、どうだろう?」
「あら。私もね、同じことを考えていたわ」
 穢れを知らない少女のように、屈託のない妻の笑顔。「あなたとは、以心伝心ね」魂子がぼくの腕にしなだれかかってくる。「ねえ、あなた?」きみとぼくが本当に以心伝心なら、今ぼくが何を思っているのかも、きみには分かるはずだ。
 人目があることも忘れて、その曼珠沙華のように赤い唇に、ぼくはまるで風に吹かれた柳が、いたずらに水面に触れるように、ほんの一瞬だけそっと自分の唇を重ねた。
 ぼくの目に映る妻は、いつだって美しい。
 この世の誰よりも。あの世の何よりも。



----------------


この二人がいなければ、境界のRINNEはなかった。
そう思うと感慨深いものがあります。



2015.05.21 Twitter log
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -