Chocolate-mint flavored


「髪、乾かしてあげようか?」
「あ?黙ってりゃそのうち乾くだろ」
「またそんなこと言って。ほら、ドライヤー持ってきなさい」
 めんどくせえな、とごちると、許婚が可愛い顔を怪訝にしかめた。せっかくの二人きりの一時、険悪なムードになることは避けたい。おとなしく言いつけ通りに洗面所へ戻ることにする。数えるほどしか使ったことのない天道家のドライヤーを片手に戻ってきた彼は、首にかけたタオルでまだしっとりと濡れている髪を無造作に拭きながら、あかねのそばにどっかりと腰を下ろした。おろした黒髪が、首筋にぴったりと張り付いている。水滴がしたたり落ちてきて冷たい。
「あかねー」
 乾かしてくれるなら、早くしてほしい。甘えるように、隣のあかねに頭を傾けてもたれかかった。
「冷たいわよ、ばか」
 クスクスと笑っているあかねの髪からは、彼と同じシャンプーの香りがした。
 風呂上がりの楽しみにとっておいたアイスを食べながら、お気に入りのバラエティ番組を観ていたあかねだったが、ドライヤーの音でどうせ聴こえなくなるので一度テレビは消すことにした。乱馬からドライヤーを受け取って、どうやら彼はそうする気がなさそうなので、仕方なくプラグを差し込むコンセントを探す。
「髪はちゃんと乾かさないとだめよ?キューティクルがぼろぼろになっちゃうんだから」
「キューティクル?なんだそりゃ?」
 なにやら聞き慣れない単語に、座布団の上で胡座をかいた乱馬は小首を傾げる。あかねはまだ四つん這いになったまま、コンセントを探している。一番近くのコンセントがタコ足になっていて使えないのだ。
「髪のツヤのこと。あんた、髪が長いんだから、ちゃんとお手入れしないと」
「けっ。男が髪の手入れなんかしてみろ、気色悪いだろうが」
「まったく、変なところで神経質なんだから!」
 そんな許婚の小言を、乱馬は聞き流した。というのも、意識が彼女のある一点に釘付けになったからだ。
 丈の短い部屋着での、その際どい体勢。日焼けを知らない抜けるように白い太腿と、断じてあかねの下着の色を全て把握しているわけではないが、とにかく、彼女にしては珍しいパステルグリーンのパンツが、うっかり彼のいるところから見えてしまっている。無防備な彼女は、どうやら気付いてすらいないらしい。
 盗み見は悪いことと知りつつも、棚からぼた餅というよこしまな気持ちもあり。目をそらすどころか、横目でさりげなく許婚を観察してしまっている彼がいた。風呂上がりでただでさえほてる身体が、また少し熱を持てあます。だってしょうがないのだ。お前パンツ見えてるぞ、と親切に指摘してやったところで、この許婚は素直に感謝してくれるようなたちではない。きっと「乱馬のスケベ!」だの「変態!」だのとやかましく騒ぎ立てられ、手当り次第モノを投げ付けられ、殴り飛ばされて夜空の星になり、いずれ帰ってくるだろうこの家の住人達には笑い者にされ、挙句の果てには当面あかねの部屋に「出入り禁止」になることは必定。
 乱馬はそっと、あかねから目をそらす。いつまでも見ていては、自殺行為に等しい。名残惜しいが、脳裏にはしかと焼き付けた。例によって、秘密の楽しみのことは胸のうちにしまっておくことにする。ずる賢さは誰にも負けない自信があった。
 ドライヤーの温風が彼の髪を撫でつけた。あかねの指が、ブラシもあまり通さない髪を梳いてくれている。その心地よさに、乱馬は目を閉じた。ついうとうとしかけていると、後ろであかねがぽつりとこぼした。
「あたしも、もう一度伸ばそうかなあ」
 思わず振り向いてしまった。あかねは、手にとった乱馬の髪の束を、どこか羨ましそうに見おろしていた。穏やかに凪いでいた心がざわついた。乱馬はつい、気づけば恥も外聞も忘れて、
「そのままで、もう十分かわいいのに」
 言ってしまった。あかねがきょとんと目を丸めて、それからほんのりと頬を染めて俯いた。
「らしくもないこと言っちゃって。一応、後ろめたいんだ?」
「そ、そういうわけじゃねえよ!俺はただ──」
「──ただ?」
 ドライヤーの音が止むと、辺りは水を打ったような静けさだった。乱馬の髪はまだ半乾きだが、あかねがドライヤーを再開する気配はない。お邪魔虫達、もとい天道家と早乙女家の面々は、きょうは揃いも揃って出かけている。そのうち帰ってくるだろうが、乱馬は今ほど、普段は鬱陶しい彼らの干渉を恋しく思ったことはない。いま、こうしてふたりきりで向き合っていると、あかねの存在でこの家がいっぱいに満たされていて、ただでさえ近頃はいつも彼女のことばかり考えている乱馬は、もう胸が押しつぶされそうだ。
 もどかしくて、頭を乱暴にがしがしと掻いた。
 あかねの、髪を伸ばすという行為。なんでもないことのようなのに、どうしようもなく不安を煽る。それは彼に過去を思い起こさせるからだ。あかねと出会ったばかりの時の。
 あのころのあかねは、まだ乱馬のことを見ていなかった。眼中にないどころか、きっと視界の端っこにさえいなかっただろう。そして、他の「誰か」しか目に入らずにいるあかねの横顔を、その「誰か」よりもずっと近くで乱馬は見ていた。生まれながらの許婚とは名ばかりの、はなから自分のものにはなってくれそうにもなかった、生意気で、けれど花のように可憐な少女のことを──。
「俺はただ。──あかねが誰のために、髪を伸ばすんだろうって」
 ちらりとあかねの様子を窺うと、頭の上に浮かぶ疑問符が見えるようだった。
「誰のために、ってどういうこと?」
 鈍感なあかねは本当に分かっていない。自分が知らないところで、無意識の一挙一動がどれほど相手を翻弄しているかなんて。
 やっぱり、先に惚れたほうが負け、ってことか。
 負けず嫌いの彼が、唯一素直に負けを認めることのできる相手。それがあかねだった。勝つために挑むわけじゃない戦い、負けっぱなしでもいいと思える戦いが、ある。
 乱馬にとって、あかねとの恋は最初から負け戦だ。
 彼女には、永遠に勝てそうにもない。
「あの……。前も言ったけどよ。短いほうが、俺は、好きだよ」
「──そう?」
「そのほうが、絶対似合ってる」
 指と指をくっつけて、もじもじしているあかね。許婚の贔屓目を抜きにしてみても、思わず抱き締めたくなるような可愛さだ。たまには歯の浮くような台詞のひとつも、言ってみるべきかもしれない。
「あたしはただ、少し伸ばして乱馬とおそろいにしてみるのも、いいかもって思ったの」
「おそろい?」
「うん。こうやって、」
 あかねの手によって、まだ半乾きの彼の髪が編みこまれていく。
「あたしも乱馬みたいに、おさげにしてみるの。そうしたら、おそろいになるでしょ。──でも、やっぱり、ちょっと恥ずかしいかしら?」
 えへへ、と肩を竦めて屈託なく笑う彼女は。彼にとっては、生まれながらのフィアンセで。そしていつも心揺さぶられてやまない、永遠の想い人。
 うつむくと、ゴムでとめていないおさげがはらりと解けて、乾きたての少しくせのついた髪が頬に降りかかった。緩んでしまう表情を隠すにはうってつけだ。
「乱馬?」
 あかねが不思議そうに顔を覗き込んでくる。前髪の奥で乱馬の目が自然と細まった。間近で見るあかねの目は吸い込まれそうなほど澄んでいて、無防備なその唇は、いつもは憎まれ口をきいてばかりなのに、こんな時にはぷるぷるとしてとてもおいしそうに見えて、ひと思いに奪ってしまいたくなる。
「なあ、あかね」
「なに?」
「キス、したい」
 今の今までご機嫌だったあかねが、途端にまごついた。子犬みたいにくっついていたのに、急に逃げ腰になる。
「ど、どうして急に?」
「ぶわーか。そういうもんなんだよ。男ってのは」
 答えは待たない。彼女は彼のもの、先延ばしにしなくてはいけない理由はどこにもない。普段はシャイでなかなか手が出ない彼も、やるときはやる。でなきゃ男がすたるというものだ。たとえばこうして二人きりの時、自分だけがあかねを独り占めできる時くらいには。
 覚えたてのキスはまだぎこちない。小鳥がえさを啄むように、とはよく言ったもので、児戯にすぎないようなほんの幼いそれが、今の二人には精一杯だった。まだ数えて何度目かの初々しいキスは、あかねが食べていたチョコミントアイスの味がした。これが、今日のあかねの味。まだ柔らかな感触の残る唇を、乱馬は舌先でそっとなぞる。そういえば、あかねの今日のパンツもそんな色だったっけ。
 今日のあかねは、ひょっとすると、どこもかしこもこんな味がするのかもしれない。
「……ちょっと、何にやついてんのよ?」
 キスの余韻に浸るでもなく、あかねがうろんげに彼を見上げている。乱馬はどうにか顔を引き締めようとするが、おかしなもので、平常心をと言い聞かせれば言い聞かせるほど、頬がだらしなく緩むのをおさえられない。
「あっ!あんた、まさか今、いやらしいこと考えてたんじゃないでしょうね?」
「けっ。考えるか、ばーか」
 普段は鈍感なくせにこういう時にかぎってどうしてこんなに鋭いんだろう。内心ひやひやしつつも、そんな動揺はおくびにも出さず、警戒心をあらわにするあかねに「あっかんべ」と舌を突き出してやる乱馬。
「おめーみてえな色気のねえ女が、俺をその気にさせるなんざ百年早えっつーの!」
「なんですって!?」
「なんでいその目はっ。悔しかったら、色気のひとつも身に付けてから出直してくるんだな!」
「い、言ったわね──!」
「おう、言ってやったさ!」
 とてもじゃないけれど、あかねには言えない。不覚にも、キスのたったひとつで、後ろめたいことを意識してしまったなんて。そういうことで、頭がいっぱいになってしまったなんて。悔しくて、こそばゆくて。まるで自分ばかりのめり込んでいくようで、もどかしくもあり。気付けばまた、こうやって憎まれ口を叩いてしまっている。
 あかねの目の奥で、闘争心がメラメラと燃えていた。どこか食べかけのチョコミントアイスにも似た、甘ったるくて青臭くもあったキスの名残が、机の上の食べかけのアイスと同じように、あっけなく溶け出しはじめる。食べごろになるまで固めるのは時間がかかるのに、溶けてしまうのは、本当にあっという間だ。このじゃじゃ馬娘との恋は。
「見てなさいよ、今にうんと頑張って、あんたのこと見返してやるんだから!もう二度と、色気がないなんて、言わせないんだから──!」
 鼻息も荒く意気込むあかねのそばで、乱馬はひそかに後ろめたさを味わっている。色気なら、もう十分あるんだけどなあ。これ以上は、きっと、身体に毒だ。

 ──俺をその気にさせるつもりなら、色気のひとつも身に付けて出直してこい。

 心にもないことを言ってしまったつけを、いずれ彼はその身でもって払わされることになる。──が、それはとても人様に打ち明けられるような話ではないので、きっと彼の口から語られることは、ないだろう。
 


end.

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拙いながら、「乱あの日」に寄せて書かせていただきました!
近年なかなか更新できずにいますが、らんまは私のるーみっく萌えの原点。
二次創作を知ったのも、乱あがきっかけでした。
ほとぼりが冷めたとしても、ずっとずっと大好きな二人です。
さて、とてもじゃないが乱馬が打ち明けられそうもない、あかねの「反撃」。
それは皆様のご想像に委ねることにしましょう(笑)
元祖ツンデレカップルに、乾杯!



2015/05/27 In memory of R × A Anniversary

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