Just you and me
Just you and me




 来る日も来る日も、同じ椅子に座って同じ景色を見ていた。どこかの誰かが買っていく帽子に、孔雀の羽やすみれの造花、青いリボンやレースをあしらいながら。小さな窓の向こう、ガタンガタンと黒煙をまき散らして走り去ってくいくつもの蒸気機関車を、針仕事の手をとめることもせずに少女はただぼうっと眺めていた。それが年頃の娘にとっては、死ぬほどの退屈とも知らずに。
「ソフィー、何を考えているんだい?」
 紅茶のカップを手にしたハウルがテーブル越しにソフィーを見ていた。北境近くの峠を越えた先、人気のない静かな湖畔での、ふたりきりのアフタヌーンティー。テーブルの上には、焼きたてのスコーンと自家製クランベリージャム。ハウルのみならず、空飛ぶ城の住人みんなのお気に入りだ。
「なんでもないわ。──ハウル、もうひとついかが?」
 ソフィーがあまっているスコーンを勧めようとすると、ハウルは読みかけの魔法書を静かに閉じて立ち上がった。肩にかけた外套がすべり落ちないように片方の手でおさえながら、テーブル越しに身を乗り出してくる。恋人同士が甘く見つめ合う、──わけではなかった。サファイアの瞳は彼女の目ではなく、唇をとらえている。
「ソフィー。僕が今、君に何をしたいか、分かる?」
 穴があくほど見つめる、とはこういうことを言うのだろう。星色の髪をもつ少女は、まだこういうかけひきには不馴れで、まごつくしかない。
「分かるわよ。いえ、でも、分からないかも……」
「どっち?」
「ハウルの意地悪!──つまり、こういうことでしょう?」
 やけになったソフィーは、もうどうにでもなれと目を瞑った。彼がそうしやすいように少し顎を上げて、けれどやっぱり恥ずかしくて、唇をぎゅっと引き結んで身構える。
 ──だが、予想に反して「その感触」は、彼女の唇にはおとずれなかった。ハウルの指先が、唇の端にそっと触れただけで、すぐに離れていった。
 目を開けてみると、すでに椅子に腰をおろして長い脚を組みながら、意味ありげに笑っているハウルの姿がそこにあった。
「口の端にジャムがついてたから、とってあげたかったんだよ。ソフィー、君は一体、何を期待したの?」
 せっかく二人きりなのに、よそ見をしてうわの空。そんなつれない恋人に振り向いてほしくて、魔法使いはささいないたずらをしただけのつもりだったが、少女は思いのほかおかんむりだ。
「ひどいわ、だますなんて」
 だましてなんて、と言い訳するハウル。ソフィーはまるで本当に彼にキスされたかのように、顔を真っ赤に染めている。
「思わせぶりはよしてちょうだい」
「外でキスするなって言ったのはソフィーじゃないか」
「──それとこれとは別よ」
 だって、いまは二人きりだもの。せっかく、誰も見てないんだもの。
 気まずそうに俯くソフィー。
 手で顔を覆ったハウルは、ああ、と天を仰ぐ。
「僕の我慢も知らないで、よくそんなこと言うよ」
「我慢なんてするの?ハウルが?」
「僕がどれだけ辛抱強いか、ソフィーは知らないんだ。でも、そうだね、こうして二人でいる時は、遠慮なんていらないね」
 昼下がりの湖のほとりで、魔法使いは恋人にキスをした。遠慮はいらないと言いながら、一度唇を重ねただけですっかり満足したように、美しい顔を嬉しそうに綻ばせて、あとは彼女をそっと抱擁するだけだった。花屋は定休日、二人とも店番に戻る必要はない。荒地の魔女はまだ昼寝中だろうし、王都に出掛けたマルクルは夜まで帰らない。ソフィーによって暖炉から解き放たれた火の悪魔は、久方ぶりの自由を思うままに楽しんでおり、今もきっとどこかを元気よく飛び回っているだろう。彼もまたディナーまでは帰ってこないはず。もうしばらくは、お互いを独り占めできそうだった。
 湖の水面はどこまでも青く澄んでいる。高地にいるせいだろう、流れていく雲がすぐ近くに感じられる。そよ風に吹かれて、花が心地よさそうに揺れていた。
 今、この瞬間に、魔法はいらない。こうして寄り添っているだけで、世界はじゅうぶんに美しい。
「静かだね、ソフィ」
「──ええ」
「二人きりだ」
「そうね。あなたとあたし、この世界で二人きり」
 ハウルはソフィーの顔を覗き込む。
「さっき、本当は少し不安だったんだ。ひょっとすると、僕といてもつまらないのかな、って」 
「あなたと見る景色は、ひとつとして退屈なんかじゃないわ」
「本当に?」
「ええ、本当」
 ここはまるっきり新しい世界。誰よりも弱虫でいとしい魔法使いが連れ出してくれた、彼女の理想郷。
「こうして、いつまでも見ていたいもの」


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