一言主のいたずら



 一言主は容貌の醜い神なので、他人の似姿をとるという。
 以前油屋でハクと千尋に相まみえた折、その名のとおり千尋のささやかな願いを聞き入れ、言霊に託してくれたこの神。どうやらハクの美貌が気に入ったらしく、それからも時おり油屋へ通ってくるようになった。

「ああ、びっくりした!」
 昇降機の扉があいて千尋は腰を抜かしそうになる。なかにハクが二人乗っていたのだ。
「驚かせてすまないね、千」
 先に降りてきた方のハクが申し訳なさそうに言う。レバーから手を離した方のハクは虚をつかれた表情だ。姿かたちは生き写しのようで、まるで見分けがつかない。だが千尋にははっきりと分かる。
「お気遣いありがとうございます、一言主様」
 手を差し伸べてきたハクが目を見開く。
「また見破られた!千、そなたはよほど良い目を持っていると見える」
 あとから降りてきた本物のハクが、得意気に千尋の肩に手を置いた。
「千は、数多の豚の中から隠された真実を探り当てることのできた娘。この娘ほど清らかな目を持つ人間は、どこを探しても他にはおりますまい」
 大層なことを言っているが、要はこれも「愛の力」だと言いたいのである。ほくほく顔のハクを、千尋は少し恥ずかしそうに見上げている。
「あの、ハク様?お客様の前ですから、あまりくっつかないでください……」
 とはいえ一言主はまったく気にしていない。にやにや笑いながら、ハクと千尋のあいだに無理やり割り入ったかと思うと、馴れ馴れしく二人の肩を抱いてきた。
「ハク、聞きそびれていたが、与えてやった休日はどうであった?」
「お陰様で、充実した一日を過ごせました」
「それはよろしい。して千、この若造におかしなことをされなかったか?」
 きゃあ!と千尋が悲鳴をあげた。一言主の手が、彼女の尻を撫でたのだ。
「何をなさるのですか、一言主様!」
 らしからぬ剣幕で詰め寄るハクに、一言主は恐れをなすどころか、好色な笑みをかくそうともしない。
「近頃はどうも色めき立っていてな。春も終わったというに、おかしなことだ」
「──千の前で妙なことを仰らないでいただきたい」
「それもこれもそなたの顔の所為。この顔でいると女がおのずから寄ってくるのでな。かりそめの姿も、選ぶべきよの」
 満足気に顔を撫でている一言主に、ハクは思わず寒気がした。自分の顔でよそで妙なことをされては困る。
 尻を撫でられてすっかり警戒した千尋は、一言主ともハクとも距離を置いている。
「やだな、もう……。これじゃハクにセクハラされたみたい」
 ぼそりと彼女がつぶやいた言葉を、ハクは聞き逃さない。セクハラ、というものが何かは知らないが、どうもいい響きではないようだ。
 元凶の一言主は、ハクの気苦労も知らず、暢気に鼻歌をうたいながら吹き抜けの下の湯殿を覗いている。
「ほう、あの草湯の湯女はいい躰をしている。どうだハク、千がだめなら、今夜あのナメクジ女を伽に寄越してはくれまいか?」
 にっこり。ハクの顔で笑う一言主。自分の顔をこれほど恨めしく思ったことはない。千尋を背中に隠しつつ、ハクは盛大な溜息をついた。いまだかつてないほど傍迷惑な客だ。
「……困ります、お客様」
「金ならあるぞ?」
「そういうことでは──」
「ハクよ、ただよりも高いものはないと言うであろう?」
 千尋の一言を叶えるかわりに、しばらくはハクの顔を借りる。それが交換条件だとでもいうように、一言主は笑う。
「所詮はかりそめの姿。長くはとどまらぬ。この姿であるうちは、そなたの意を汲み、他の女には妙な真似はせぬよ」
 ──「他の女」には?
 ふふふ、と一言主が笑う。ハクが背中にかくした千尋のことを、首を傾げておもしろそうに見ている。縁起でもない。危機感を覚えたハクはまたも寒気がした。今夜は絶対に千尋をひとりにしてはいけない。女部屋も危険だ。夜が明けるまでそばに置いておこう。部屋にかくまって、寝ずの番をつとめなければ。
「千、今宵はたっぷりと可愛がってやろうぞ。願いを叶えた礼を受け取っても、ばちはあたるまい?」
 一言主は涼やかな顔でとんでもないことを言っている。振り向いて、いますぐに千尋の耳を塞ぎたくなるハクだった。
「願いを叶えたお礼、ですか?」
「千は気にせずともいいんだよ。さ、仕事に戻りなさい」
 ぎこちない笑みのハク。一言主は至極愉快、といった悪人顔だ。
 この神が善神であると、いったい誰が言ったのか──。まごうことなき邪神ではないか。

 

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