めぐる祈りと、記憶
※続 「廻り続ける輪




 風が薫る。今年もまた、桜の花が咲いている。
 はじまりの季節に相応しく、淡い花がけぶるような木の根元で、真新しい制服姿の少女が誇らしげに笑っている。
「私、高校生になったよ」
 おめでとう、と彼は心からの祝辞を贈る。頭の上にぽん、と手を置いてやると、年頃の少女らしくすこし恥ずかしそうな顔で俯く彼女。
「……あなたは、いつまでも子供扱いなんだね」
「俺にとっては、まだまだ子供のままだから」
「子供?こんなに大きくなったのに?」
 子供扱いされることが不服なのだろう。ぴかぴかのローファーでつま先立ちをして、少女は背伸びしてみせた。顔と顔の距離が、ぐっと近付く。少女特有の、きめの細かな白い肌。長い睫毛に縁どられた、澄んだ瞳。まぎれもなくあの人のものだ。再会をどれほどの間、待ち侘びただろう。何度こうして向き合っても、その面影の懐かしさについ、胸が締め付けられそうになる。
「ほら。あなたには背が高いから届かないけど、私だってこんなに伸びたんだよ」
「──ああ」
 まるでどんぐりの背比べだ。つい、可笑しくなる。
 何がおかしいの、と言いたげに少女が目を細めた。
「いや。子供なのは一体どっちだろう、と思って」
「何それ。おじさんって、いくつなの?」
「いくつくらいに見える?」
「うーん、どうかなあ。見た目は私のパパよりもずっと若いけど、時々すごくおじさんっぽいことを言うから──」
 実は俺も憶えていないんだ。こっそりそう打ち明けると、嘘ばっかり、と笑い混じりにからかわれた。
「自分の年を憶えてないなんて、おかしいよ」
 嘘ではなかった。年を数えることはとうの昔にやめたのだ。数が増えていくごとに、彼女との境界線がますますくっきりとあらわになるような気がしたから。これ以上、隔たりを感じたくなかったから。
「でも、あなたは確かに不思議な人だよね。初めて会った時から全然変わらないみたい。『死神』はみんなそうなの?」
「ああ。不死身ではないが、死神はそう簡単には死なないんだ。──怖いか?」
「ううん、全然」
 出会った頃の彼女も同じことを言った。年端のいかぬ小さな子供の、舌っ足らずな声で。
 赤い髪、きれい。
 俺のことが怖くないのか。
 ううん、全然。
 どうして。
 だって、優しそうだから──。
「いつだったか、俺のことを、優しい死神だと言ってくれた人がいた。──俺にとっては、その言葉が何よりの光だった」
「ふうん……」
 好奇心に目を輝かせて、少女が顔を覗き込んでくる。 
「あなたはその人のことが、好きなの?」
「──」
「そうなんでしょう?」
 好きという言葉では、到底伝えきれそうもない。それでももし、一言でこの想いを表すのなら、俺はきっと、きみのことが、好きで好きでたまらないのだろう。
 季節が通り過ぎるたびに、いつも思いを馳せた。きみは憶えていないだろうが、かたちを変えてこの世に生まれ落ちたきみに、何度か会いに行ったことだってある。
 ──ある時、きみは日の当たるテラスでのんびりとまどろむ、真っ白な子猫だった。またある時は、辺り一面の菜の花畑をひらひらと漂う、気ままな紋白蝶だった。透き通った水槽をゆったりと泳ぐ、きれいな熱帯魚の時もあった。いつ会いに行っても、きみは俺を憶えてはいなかった。むやみに近づこうとすれば、そっけなくあしらわれ、逃げられてしまった。
 そしてようやく、数え切れないほどの季節を経て、人として転生したきみとめぐり会ったのだ。
 こうして言葉をかわすことのできる喜びは、計り知れない。
「おじさんの好きな人って、どんな人だった?」
 頭上から、ひらりひらりと降りそそぐ花びらを手のひらに受けとめて、少女が彼に問う。そのまま時が止まってしまえばいい、と思うほど、その光景は美しかった。
「あの人は、春そのものだった」
「春?」
「──きみには」

 真宮桜。
 彼女はもう、あのころの彼女ではないけれど。
 それでも俺は。

「桜の花が、よく映える」

 何度同じことを伝えても、そのたびにきみはこうして笑うのだろう。
 そしてまた、何度でも俺のことを忘れて、輪廻という途方もない生命の営みへと帰っていくのだろう。
 死神と人間。そもそもの出自が違う。二人足並みをそろえて同じ場所へ行くことはできない。一緒に廻り続ける輪に乗ることは、できない。
 それでも。たとえつかの間であっても、同じ時を生きることはできる。
 心を通わせ、ささやかな喜びを分かち合うことも。
 例えばこうして、花の芽吹きをともに見守ることも──

「どうしてかな?あなたとこうしていると、とても懐かしいような気がするの」
 何か大切なものがしまってあるかのように、少女は胸にそっと手を当てる。
 彼はあるかなしかの笑みを見せて、首を振った。
「いいんだ。別に、憶えていなくても」
「どうして?私、ちゃんと憶えてるよ。今日のことも、おじさんのことも、いつまでも憶えてるよ」
「いや。きっと、いずれ忘れるさ」
「忘れないよ。おじさん、私を信じてくれないの?」
「そんな目をするな。信じるか信じないかの問題じゃない。そういうものなんだ、輪廻というのは」
 だからいいんだ。忘れてしまっても、俺が憶えている──。
 むきになる少女がほほえましそうに、彼は目を細める。すべてを悟った、何もかも受けとめるような、深い眼差し。長い年月をかけて見出した、これが彼なりの恋のあり方だ。
「今、きみがここにいる。会いたいと祈り続けて、ずっと想い続けた。そして、こうしてまた会えた。それがどんなに素晴らしいことか。俺にとって、どれほどの奇跡か。──きみにも分かるだろうか?」
「……おじさん?」
 頬を伝い落ちるものに、彼女の指に触れられてようやく気付いた。触れるか触れないかの境界線、彼が長い間思い悩み躊躇してきたその線を、彼女はいともたやすく越えてしまう。彼の心の琴線に触れることのできる、唯一の存在。
「泣いているの?」
「──嬉しくて」
「え?」
「きみがこうして元気に成長していくことが、嬉しくて。歳をとると、些細なことで涙もろくなるらしい」
 高校入学、おめでとう。
 心からの祝辞を、もう一度彼女に贈る。
 これからもずっとそばにいてくれ、とか。いつまでも憶えていてくれ、だとか。そういうおこがましいことは言わない。彼女には、何一つ求めようとは思わない。ただそうして、目まぐるしくめぐる季節のなか、これからも彼女らしくのびのびと人生を謳歌してくれることを、そして、そんな彼女をどこかで見守れるささやかな幸せを、
 この花びら舞う春空に、祈り続けるばかりだ。





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アニメOP「桜花爛漫」に影響を受けて。
めぐる記憶と淡い恋心。
素敵な曲だなあ…と思います。

「行き触れ」のように、混血だからりんねも普通に年を取るという解釈。
今回のように、やはり死神の血が混ざっているから、人間のようには年を取らないという解釈。
どうしても、その二つで揺れてしまいます。



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2015.04.12

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