鍵のかかった部屋 (学校のカイダン/彗ツバ)


 
「おい、まな板」
 聞こえない、聞こえない。ツバメは素知らぬ顔で読書を続ける。
 いつもの放課後。今日も気付けばこの赤い安楽椅子にすっぽりと収まっている。つい先程まで、変態は愛用の鞭をしならせつつも大人しく愛読書(見るからにいかがわしい雑誌)を読んでいたので、彼女もつかの間の平和を楽しんでいたのだが。ついに来るべきものが来たらしい。
「まな板の分際で難聴のふりとは、いい気なものだな!」
 ぴしり、と乗馬鞭をデスクに叩き付ける彗。どうしてこんなに癇癪持ちなのかしら、とツバメは嘆息する。
「いくら呼んでも返事なんてしませんよ。まな板、なんて人はここにはいません」
「ちっ、相変わらず口ばかり達者な洗濯板め」
「ちなみに、洗濯板なんて人もいませんから」
 唇をとがらせつつ、ツバメはそっと自分の胸を撫でてみる。ちょっとばかり平たいかもしれないが、そこまで集中攻撃することもないだろうに。洗濯板って何よ。
「ぬりかべはどう足掻いてもぬりかべだな。定規をあてたように真っ直ぐな、とはまさにお前の胸のような状態を言う」
 ふふんとしたり顔で腕を組む彼。まな板に洗濯板、今度はぬりかべか。次から次へとよく出てくるものだ。
「その減らず口はどうしたら塞がるんでしょうね?」
「さあな。お前が塞いでみるか?」
「握り拳でよければいつでもお貸ししますよ」
 ツバメはしおりを挟んで本を閉じる。おかしな体勢で読書していたせいで肩が凝ったようだ。両腕を天井に向かって伸ばして、猫のように思い切り背伸びをした。
 弓のようにしなる背中。赤みがかったブレザー越しにくっきりと身体の線があらわになる。彗の目がぎらりと光った。
「──ツバメ」
「今度は名前呼びですか?」
 うんざりして振り向くと、なにやらあやしい笑みを浮かべる彼と目が合った。今にも取って食おうとでも言わんばかりの、悪魔の微笑みだ。ぞっとしたツバメは身の危険を感じて自分を抱く。
「な、何ですか?」
「いや、何だろうな。不覚にもこう、ビビッときたというか。ムラッときたというか」
「はい?」
 くくく、と喉の奥で低く笑う彼。またいつもの変態節かと思ったが、どうもあやしい。ツバメは背中に冷や汗をかきながらも素早く考えを巡らせた。こういう時は逃げるが勝ち。そうに決まっている。変態の神経を逆撫でしないように、ぎこちない愛想笑いを浮かべた。
「あの、私、今日はそろそろおいとましようかと……」
「帰さないよ」
「は?」
「だから、帰さないって言ってんの」
 呼吸を止めて0.1秒。ツバメは椅子からおりて開け放たれた扉に一目散に駆け出した。あと一歩で手が届く、はずだった。なのに、扉はひとりでにバタンと閉まってしまった。
 つい腰が抜けてしまう。でもこのまま、変態のお縄につくわけにはいかない。扉を蹴破ってでも開けてやらなくては。自分はまだまだ花盛りの乙女、こんなところで変態ごときに踏みにじられて、花を散らすわけにはいかないのだ。ツバメは自分を奮い立たせてなんとか立ち上がろうとした。が、遅すぎた。触れてもいない扉にちゃりと鍵のかかる音がした。
「僕はからくりが好きでね。この屋敷はこういう仕掛けだらけだよ」
 楽しそうな声。その方がかえって恐怖を煽ることを分かっているのだろうか。
 ツバメはおそるおそるそちらへ顔を向けた。シャンデリアの赤みがかった光を浴びながら、彗が小首を傾げて彼女を見つめていた。満面の笑みだ。まるで面白い玩具を見つけた子供のような。こんなに満ち足りた表情をした彼に、ツバメはまだ一度もお目にかかったことがなかった。状況が状況じゃなかったら、ほんの少し笑い返してやるくらいはしていた。笑うと意外と可愛いんですね、とか。お世辞にもならない冗談の一つや二つも、言っていたかもしれない。
 それもこれも、彼のその手に、なにやら怪しげな拘束具が握られていなければの話だが──。
「僕の秘密の趣味、教えてあげようか?──というか、教えてやるよ」
 舌先でゆっくりと上唇を舐める彗。獲物を前にして舌なめずりする獣の顔だ。とらわれの小鳥はこの世の終わりのような顔をする。
「み、未成年にへんなことをしたら、本当に犯罪者になっちゃいますよ!」
「それは小鳥ちゃんがケーサツに駆け込んだら、の話だろ?」
 そんなこと、させないけどな。
 暖炉の薪がパチパチとはぜる。彼はブラインドを切り替え、外からの光を完全に遮断した。
「まな板なんかに、興味はないんじゃなかったの?」
 なるべく壁際に後退するツバメ。とはいえこの狭い部屋の中、そんな努力はまったく意味をなさない。彗はゆっくりと車椅子を動かして、彼女の目の前で止まる。ツバメはびくびくと怯えながら彼の手に光っているものを見上げる。鎖の付いた拘束具。冗談じゃない。
 最後の抵抗とばかりに拳を振り上げた。あっさりと手首を掴まれて阻止される。もう片方も、同じようにされた。そのままぐいと引き上げられて、身体が持ち上がる。車椅子だからと油断していたけれど、意外と腕力があるらしい。気が付けばツバメは彼の膝にちょこんと乗せられていた。
 にっこりと邪な笑みを貼り付けて、彗はいとも容易く彼女の手を拘束する。ツバメはもう、笑い返す気力すら起きない。
「お前の言う通り。僕は断じてまな板に興味があるわけではない」
 それでも反論しようとするツバメの唇を、彼は人差し指でそっと制する。まだ何か言ってきそうだったので、耳元にぐっと唇を近づけてとどめを刺した。
「──あまりうるさく喋る口は、蓋をしてやるぞ」
 硬直するツバメ。いたって平然とした顔の彗。至近距離でじっと見詰められて、彼女の頬がしだいにうっすらと染まっていく。
「僕が興味津々なのはね。お前だ、春菜ツバメ」
 切り揃えられた髪の毛先を、長い指にからめて遊ぶ。シャンプーの甘い香りがする。風が吹くたびに彼女から香るのは、いつもこの香りだ。
「悔しいな。小鳥に捕まえられるなんて──」
 あるかなしかの小さな呟きに、ツバメは眼差しで問いかけてくる。無論、教えてやる気はない。
 からかってやるつもりがつい本気を出してしまった。そんな自分が大人げなく思えて、ちょっと悔しい。
 複雑な心境を隠すように青年はわざとおどけた声を出す。
「なあ。拘束プレイって、やっぱり興奮するかな?」
「殴り飛ばしますよ?」
「車椅子生活を余儀なくされた哀れな青年に、お前は危害を加えるのか?」
「今更同情を引こうとしたって無駄ですから!」
 結局、おもしろいのでしばらく拘束具は外さずにいた。調子を取り戻したツバメは「変態」だの「暴走オヤジ」だの散々悪態をついたが、にやにや笑いながらハイハイと聞き流してやる彼だった。




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