ジャンヌダルクと、彗星 (学校のカイダン/彗ツバ)


 一口に「革命」を起こすといっても、そう簡単に成し得るものじゃない。思い切って反旗を翻したところで、その旗を共に支えてくれる「駒」が揃わなければそれはなんの意味も持ちはしないのだ。
 ツバメはすっかり定位置となった赤い肘掛椅子に深く沈んでいた。ふかふかのクッションから垂れるタッセルを手持ち無沙汰に指に絡めていじりながら、ふてくされた顔をしている。今日も今日とて学校で、生徒会ぐるみでまたプラチナの一味に一泡吹かされてきたところだ。村八分どころかもはや村十分。反乱軍への風当たりはまだまだ厳しい。
「お前はいつまでそうやってウジウジとウジ虫のようにそこに居座るつもりだ?この部屋はいつから害虫駆除が必要になった?」
 キイ、と車椅子の車輪が回る音がする。視線をやるのも億劫だが、無視をすれば弾丸のように罵倒の言葉を浴びる羽目になることを知っている。「そこになおれ、殺虫剤を頭からぶっかけてやる!」だの「乗馬鞭の洗礼を浴びたくなければしゃきっとしろ!」だの口やかましくがなりたてられたら堪ったものじゃない。仕方なしにツバメはのろのろと顔を上げた。デスク越しに世にも奇妙な変態──もといこの怪しげな屋敷のいかがわしい主人である性悪青年──がにやりと不敵に口角を持ち上げて彼女を見つめていた。
「自分の無様な面をよーく拝むことだな。ほら見ろ、この世の不幸を一心に背負っているかのようだ」
 どこから取り出したのやら突然手鏡を向けられ、その眩しさにツバメは思い切り顔をしかめた。窓のブラインドから差し込む光の角度をちゃんと計算した上でわざとやっているに違いない。案の定してやったりとばかりに、性根の曲がった青年は大口を開けて笑い出す。
「なんだなんだその顔は?え?ウジ虫も仰天して逃げ出すほどの不細工だな!」
「小学生ですか、あなたはっ」
 頭に来たツバメは抱いていたクッションを力任せに投げ付けた。「おっと」と頭を横に倒し、存外に俊敏な動きでそれをかわしつつも片手でキャッチする彼。ツバメに向かって投げ返して寄越しながら、お決まりの無駄口を叩く。
「器物損壊は三年以下の懲役又は三十万円以下の罰金が課せられるぞ」
「……誰よりも犯罪者みたいな危ない人間にそんなこと、言われたくないです」
「おや?その『犯罪者みたいな危ない人間』にこうしてすっかりおんぶにだっこなのは、一体どこの誰かなあ?」
 わざとらしく耳に手をあてながら聞いてくる腹黒青年。今度ばかりは無視して、クッションを取り戻したツバメはふかふかなそれに顔を埋める。
「──上れない階段はないって、あなたは言うけど」
「は?何言ってるのか全然聞こえないぞウジ虫ちゃん?」
「その階段をどのくらい上れば、たどり着けるわけ!?」
 肩で息をしながら睨むツバメを、雫井彗は掴みどころのない、謎めいた微笑を浮かべて見つめ返してくる。炎のように熱く燃え上がったかと思えば、次の瞬間には氷のように冷めた目をする。この青年が何を考えているのかは、相変わらず皆目見当がつかない。次に彼女にぶつける悪態を選んでいるのか。それとも。
 車椅子が向きを変え、彼女の方に向かってきた。思わず身構えてしまうツバメだが、予想に反して彼女のそばを掠めもせずに通り過ぎいく。暖炉の前まで来てようやく車輪が止まった。彼はマントルピースの上に手を伸ばして、金の燭台を掴む。マッチで蝋燭に火をつけると、またもとの位置に戻した。次に火かき棒を取り、暖炉の中に無造作に突っ込んで薪をいじり出す。彼の肩越しに燃え盛る炎をツバメはぼんやりと眺めていた。そういえば急速に部屋が暗くなってきた。いつのまにか、もう日が暮れ始めているらしい。不思議なもので、ここにいるとまるで狐に包まれたように、時間が経つのを忘れてしまう。
 マントルピースの上、二つの燭台に挟まれて置かれた金時計が、かちりと分針を刻む。六時ちょうどだ。それとほぼ同時に、火遊びに飽きたらしい彼が、火かき棒を投げ出してツバメを振り返った。端整な顔が踊る炎に照らし出されて生き生きとして見える。
「ジャンヌ・ダルク。お前はあの腐りきった明蘭学園の、唯一の希望だ」
 希望。そんな言葉を投げかけられたのは初めてだ。そのうえこんなに真摯な眼差しで。どうやらおちょくっている様子ではない。調子が狂ったツバメはなぜか胸が騒いで、彼の背から視線を逸らす。
「それって、もしかして私のことですか?」
「お前以外に誰がいる?」
 青年は肩を竦めてみせる。
「ジャンヌ・ダルク。しがない農民の娘に生まれながら、百年戦争を勝利に導いた革命の女神だ」
「革命の女神?」
 彼はまた神妙な顔をして頷く。ツバメを見つめる眼差しには、縋るような色さえ滲んだ。一体何がそれほどまでに彼を「革命」に固執させるのだろう。
「私はツバメですよ?小鳥のツバメ。そんな大それた名前、似合いません」
 わけもなく気恥しくなって、ツバメはまたクッションに顔を埋めた。何がジャンヌダルクだ。革命の聖女だ。真面目な顔をして、やっぱりからかっているに違いない。信じれば馬鹿を見るのはこっちだ。
 パチパチ、と暖炉の薪がはぜる音がする。この部屋はいつも夕方のように薄暗い。まるでこの世で二人きりになったかと錯覚してしまうほど、静かでもあった。そしてつねに人の手に守られているかのように、あたたかかった。
 決して居心地が悪い場所ではない。だからこそ、約束をする訳でもないのに、こうして自然と足が向いてしまう。
「生まれた時に親がくれた名なんて、あてにはならない」
 ややあって、耳元で彼の囁く声が聞こえた。驚いて顔を上げると、額と額がくっつきそうな距離にうっすらと微笑む彼の顔があった。人差し指で鼻をつん、とつつかれる。無邪気な子供のような目。つい、頬がほてってしまう。
「僕の名前は彗。尾を引いて流れる彗星、人々の願いを叶える星の名さ。でも、僕は星にはなれなかった」
 ツバメ、と呼ぶ声がする。どう答えていいのか分からずに、ツバメは深く俯いた。切り揃えられた髪が顔を隠す。すると彗の手がすっと伸びてきて、頬にかかった髪をひとすじすくい、耳にかけた。
「下を向くな。いつも、顔を上げていろ」 
 穏やかで、存外に優しい声だった。
 励まされているのだということに、ようやく気が付いた。ツバメはこぼれ落ちそうなほど目を見開く。
 からかわれてばかりだと思っていた。けれど本当は、こうして誰よりも正面から向き合ってくれていたのは、彼だったのかもしれない。悩みも悲しみも、悔しさも怒りも。ぶつけたものすべてを、彼は受け止めてくれる。負の感情をばねにして、困難に立ち向かう勇気を掴み取る術を教えてくれる。だからツバメは、何度引き返しそうになったとしても、思いとどまってまた階段を上り続けることができるのだ。
 ツバメは口元をほころばせる。突然の笑みに、彼がきょとんとした。思えば不機嫌な顔ばかり見せていたかもしれない。我ながら可愛げがない。ツバメは手を伸ばして、彼の顔に影を落とすフードを外してやった。これがあるとどうも陰気臭いし、変態っぽい。次に、ふんわりとくせのついた黒髪に触れた。彼は黙ってなすがままにされている。くせ毛を撫で付けるようにしながら、ツバメは言葉を噛み締める。
「あなたは星にはなれなかった、と言いましたよね。でも私は、そうは思いません」
 赤いシャンデリアが天井からあたたかな光を二人の上に落とす。
 珍しくたじろぐ青年の姿がそこにあった。視線を部屋のあちこちにさまよわせ、ツバメを見ようともしない。
 調子を狂わせるのはジャンヌの方か、彗星の方か。はたまたその両方なのか。本人達にも、今はまだ判らなかった。




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