小噺集C



【黒猫朧】

「ああ、そうだ。近々、鳳お嬢様がお見合いをなさるよ。朧、お前も何かと忙しくなるからね」
 廊下ですれ違いざま、カーペットの掃除をしていたばあやが思い出したように朧を振り返って告げた。現世で言うところの半世紀以上この屋敷のメイド長を務めてきた彼女は、何かと小回りの利く人で、まだ先の行事も早々と手配を始めなければ気が済まない。
 今もなお現役のばあや。高齢とはいえまだまだボケてはいない。けれど、彼女の持ち出した話題があまりにも突拍子で現実味を欠いていたので、老人の戯言かと思い、朧はまともに取り合わなかった。
「あの鳳さまが見合い?冗談だろ、ばあやさん。立ったまま白昼夢でも見たんじゃないのか?」
 鼻であしらい、道草を食ってる暇はないとばかりに歩き去ろうとする黒猫の腕を、気分を害したばあやが眉を吊り上げてむんずと掴んだ。
「お待ちったら。まったく、この子はどうしてこうも不躾なんだろうねえ。お嬢様に一瞬たりともそんな態度をとってご覧、その尻を乗馬鞭でひっぱたいてやるからね?」
「ああもう、小言はいいから早く離してくれよ。我侭なお嬢様が、のどが渇いただとよ。さっさと持っていかねえと、お叱りを受けるのはおれなんだぜ?」
「鳳お嬢様のお見合いは──」
 ばあやはまったく聞く耳を持たない。
「旦那様と奥様が現世からお戻りになり次第、相手方と日取りを決められるそうだよ。随分と前から話を進めてこられたそうだから、顔合わせの日もそう遠くはならないだろうさ」
 朧はまじまじとばあやの皺だらけの顔を見つめる。
 ばあやの薄紫色の瞳に、何とも情けない顔をした黒猫の青年が映っている。
「嬉しいねえ。あの小さかった鳳お嬢様が、もうご結婚を考えられるお年になったなんてねえ。私も年をとるわけだよ」
 まるで本当の孫の吉事を喜ぶかのような、ばあやの優しく誇らしげな表情。
 ──何が見合いだ、結婚だ。
 あいつは、まだまだ子どもなのに。
 途方に暮れた黒猫の呟きは、上機嫌に鼻歌を歌う彼女の耳には入らない。




【死神鳳】

 黒猫は成長するほど人の形に近付いていく。
 死神鳳の契約黒猫も、今ではすっかり大人になった。半人前だったころは猫の名残を残していた足も、彼女のものとそう変わらない。猫耳と尻尾さえなければ、死神の集団に混じっても見分けがつかないかもしれない。
「ふうん。猫も化けるものね?」
 高価な燕尾服を着た朧を見て、鳳はつい感心してしまう。鳳の父に仕える彼の父親がワードローブから選り抜いたお仕着せだ。
「バーカ。猫は化けるもんだろうが。ずっと一緒にいたのに忘れたのかよ?」
 呆れたように肩を竦める彼女の黒猫。主を主とも思わない不遜な態度も、晴れの日である今日ばかりは大目に見てやることにする。
「猫にも衣装、っていうやつね」
「馬子にも衣装だろ。鳳さま、これだけ成長しても相変わらずアホなんだな」
「なんですって!」
 大きな鏡越しに小馬鹿にしてくる朧に、たまらず癇癪を起こしかけた鳳を化粧係が慌ててなだめすかした。
「鳳さま、動かれてはお化粧ができません」
「あっ、ごめんごめん」
 鳳は「あっかんべ」と鏡越しの彼に舌を突き出してから、目を閉じる。柔らかなブラシがその目蓋の上に載せられ、しだいに薄く色付いていく。化粧台にずらりと並べられた道具を吟味し、鏡越しの鳳の顔と見比べながら、化粧係が小首を傾げた。
「口紅は何色になさいますか?」
「そうね、赤がいいわ。ひときわ目立つ赤にして」
 その時自分の主が鏡越しに不敵な微笑みを浮かべていたことに、ぼんやりと上の空で彼女の背を見つめていた黒猫は気付かなかった。

「お手をどうぞ、鳳さま」
 化粧とヘアセットを終えた鳳に、しぶしぶといった様子で朧は手を差し出した。
 子猫のように無邪気に笑いながら彼の主はその手を取る。白いレースの手袋に包まれた小さな手。絨毯に落ちるドレスの裾に気を付けながらゆっくり立ち上がった彼女の耳元で、大粒のダイヤモンドがきらきらと輝きながら震えていた。大きく開いた胸元には、揚羽蝶をかたどったネックレス。きっと似合うから、と新郎から贈られたものだ。
「ちょっと、どこ見てるのよ?」
 思わずそのネックレスを食い入るように見つめてしまった朧は、きまりが悪くなり、にやにや笑いながら小突いてくる鳳から顔を背けた。
「あの成金野郎が。趣味悪いんだよ」
「何言ってんの。あの人は由緒正しい家の出よ?成金なんかじゃないもん」
「ふん。だいたい、鳳さまも鳳さまだ。最初の頃は見合いなんか絶対しないって言ってたくせに。ころっと手のひら返しやがって」
「だって、会ってみたら結構タイプだったんだもん」
 鳳はうっとりと夢見心地だ。
「ああ良かった。桜とれんげに先を越されたらどうしよう、って思ってたわ。でも、結局私が一番早く結婚式の招待状を出すことになったわね」
「あの貧乏人も来るのか?」
「うん。桜と一緒に招いたから、御祝儀のやりくりでも話し合ったんじゃない?」
 そう言って可笑しそうに笑う彼女にとって、叶わなかった片恋の思い出はもう過去のものらしかった。
「ねえ、朧」
 主の手を支えたまま、しばらく物思いにふけっていた朧は、完全に不意を打たれた。
 鳳が背伸びをして、彼の頬に真っ赤な唇を押し当てる。
 小さいリップ音と、柔らかな唇の感触。
「私のこと、アホって言った罰なんだから」
 頭の中が真っ白になった。同時に、顔から火が吹きそうになった。
 黒猫は、主の顔をこまったように見つめ返すが、彼女はしてやったりと笑っているばかりでどうしようもない。
 ──そのキスマークがなかなか取れず、花嫁入場の寸前まで彼が鏡の前で躍起になっていたことを知るのは、もちろんただ一人だけ。




【死神沫悟】

 ぼくのあの人との「友情」にかける思いを「異常」だとなじる人もいるが、誰に何と言われようとぼくは一向に構わない。だって、親友は一生ものの財産、と言うじゃないか。あの人はぼくにとって、何にも代えがたい宝物であって、自分が何を大事にするべきなのかを他人にとやかく言われる筋合いは、ない。
 宝物というからには、いつも近くで独り占めしたい、と思うのは当然のことだろう。
 だがそうするには、ひとつやっかいな障害がある。
 いつも当たり前のようにぼくの親友に寄り添っている、あのすまし顔の人間の女子だ。
 ──真宮桜。
 親友はあの子のことをそう呼ぶ。名前ではなく、かといって苗字でもなく。あの子のことだけは、どこか他人行儀にそう呼んでいる。まるでそうすることで、あの子との間に線引きをしているように。
 なのにあの二人は、揃いも揃って「自分達は付き合っている」などと嘘をついて、ぼくを欺こうとした。
 かりそめの愛情で十年来あたためてきた友情を打ち負かそうだなんて、片腹痛い。たとえ本当にあの二人が恋人同士だったとしても、ぼくは絶対に屈しないつもりだった。
 あの子がぼくに嘘を白状した時、──勝ったと思った。
 やはり友情に優るものはない。ぼくが大事にしてきた友情の前には、恋愛感情さえ瑣末なものでしかないのだ。
 ぼくはしばらく有頂天だった。勝利の余韻に酔いしれながら、ふと、敗者の顔を拝みたくなって、はるばる現世に住むあの子の元を訪ねていった。
「りんねくんは、きみのことを名前では呼ばないんだね」
 道端で立ち止まった真宮桜さんは、挨拶もそこそこにぼくが放った言葉に「え?」と首を傾げた。優越感のあまり思わず頬が緩んでしまう。
「きみだけだ。りんねくんがまともに呼ぼうとしないのは」
 真宮桜さんは薄く開いた唇を閉じて、ほんのしばらく思案顔になった。けれど、すぐに目もとを緩めて訊いてくる。
「嬉しい?」
「は?」
「六道くんが私を名前で呼ばないことが、そんなに嬉しい?」
 嬉しいに決まってるだろう、とは言わずに、ぼくは軽く笑い飛ばした。
「いや。きみはりんねくんにとって、恋人でも友達でもない存在なんだな、と思ってね」
 そうだね、と真宮桜さんは素直に頷いた。
「私達はただのクラスメートだから。それ以上でも、それ以下でもないから」
「へえ。認めるんだ?」
「認めるもなにも、それが事実だから」
 こうもあっさりと嫌味を受け流されては、苛め甲斐がない。それからもちくちくとささやかな攻撃を続けるが、何を言ってもこの調子だった。苛虐心を削がれたぼくはしだいに苛立ってくる。
「きみって、何を考えてるのかさっぱり分からないな」
 ぶっきらぼうな捨て台詞に対しても、真宮桜さんは律儀に口を開こうとしたが、ふと何かに気付いてぼくから目線を外した。その視線の先を辿ってみると、道の向こう側からぼくの親友が、彼女を呼びながら一目散に走ってくるところだった。
 ばつが悪くなって、ぼくは咄嗟に霊道に身を隠した。
「真宮桜、もう帰っていたのか!」
 霊道の向こうから、親友の息切れで弾む声が聞こえる。
「六道くん、もしかして追いかけてきたの?」
「ああ。今日もクラブ棟に寄るかと思って待っていたんだが、この時間になっても来なかったから」
 今日「も」ということは、毎日のように入り浸っているということか。油断のならない女子だ。ぼくもなるべく手みやげを持って遊びに来なくては。
 対抗意識に燃えるぼくに構わず、二人の会話は続く。
「今日は放課後に委員会があったの。終わったらもう下校時間だったし、夜ごはんの支度の手伝いもあるから、まっすぐ帰ろうと思って」
「そうだったのか……。真宮桜も忙しいのに、いつも好意で来てもらってすまない」
 申し訳なさそうにぼくの親友は言う。同時に、少しはにかんでいるような声音に聞こえるのが気に食わない。あの感情表現にとぼしい親友にしては珍しいことだ。
「今日は渡したいものがあったんだ。別に大したものじゃないんだが」
 りんねくんからあの子に贈り物だって?
 気になったぼくは、霊道と現世との薄い境目に指で小さな穴を開け、二人のやりとりを覗いた。
 親友が手ずから真宮桜さんに渡しているものは、なんと、缶詰だった。あの世のスーパーでも百円以下で手に入るだろう、なんのことはない、お手頃価格のフルーツミックス缶だった。
 なあんだ、ただの缶詰か。
 どんなにご大層な贈り物かと思えば。何も「特別」なものじゃなかった。拍子抜けしたぼくはつい笑ってしまう。
 けれど、それを受け取る真宮桜さんの顔を見て、そうして余裕をかましてもいられなくなった。
「本当にもらっていいの?これ、大事にとっておいてたんじゃない?」
 たかが缶詰ひとつ受け取ったところで、なんの足しにもならないだろうに。どうせ異性から贈り物をもらうなら、もっとましなものが他にたくさんあるだろうに。
 彼女の顔には、隠しようもない喜びがありありと浮かんでいた。
「大事にとっておいた。だから、真宮桜に渡そうと思ったんだ」
 襟足のあたりをいじりながらそう答える親友の頬が、うっすらと上気している。氷のように冷ややかな普段の彼からはなかなか想像がつかないその顔は、
 どこからどう見ても、恋する少年の表情だった。
「──嘘つき」
 家まで送ってもらうのだろう、親友に伴われて歩き出した彼女の背に、聞こえもしない恨み言をぶつける。
「嘘つき。ただのクラスメートだなんて言ってたくせに。本当は、全然違うじゃないか!」
 地団駄踏みたくなるほど悔しいことだが、あの子にだけだ、ぼくの大事な親友が、あんなに幸せそうな顔を見せるのは──。
 ふと、遠ざかっていく好敵手の背中を睨むように見ていたぼくの脳裏に、まったく新しい考えが過ぎった。
 親友はあの子に恋をしている。不本意だが、それは火を見るよりも明らかだ。
 ならばぼくは、あえてその恋愛感情を利用し、逆手に取ってみる。
 つまりぼくが、あの子と「一番の友達」になればいいのだ。
 あの子を、真宮桜さんを手に入れればいい。そうすれば、おのずと親友も、ぼくを振り向かずにはいられなくなる。
 あまりの妙案に、ぼくは自分に拍手を送りたくなった。そもそも友達作りが大の苦手なぼくにとって、決して理想的な計画ではないが。親友との友情を深めるには、これが一番現実的なやり方のように思える。
「真宮桜さん。ぼくは、きみには負けないよ」
 まだ勝敗の行方は決まったわけじゃない。
 付かず離れずの距離を保って並び歩くあの二人の背に、ひそかに宣戦布告する。その間に、ぼくはきっと、割り入ってみせる。

 

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