恋心と親切心


 
 死神の少年は壁に背中をもたれ、空を見上げた。
 雲と溶け合うように淡い乳白色の空。同級生達が朝教室で話していたとおり、ちょうど正午を過ぎた今、雪がちらほらと降り始めている。放課後に雪だるまを作れる、と純粋にはしゃいでいたのはもう随分前のことで、十六になった今となっては悩ましいことこのうえない。冬を越すには懐の温もりが心もとなさすぎて、まともな暖房器具さえ買えずにいる。あまりの寒さに、こたつに入ったまま冬眠でもしてしまいたいくらいだ。
 そんな哀れな少年にいつも親切にしてくれる同級生・真宮桜。ひもじい思いをしている彼に、よく温かい食べ物などを差し入れてくれる。今朝も母親が作りすぎてしまったというシチューをお裾分けしてもらったばかりだ。冷めちゃってごめんね、と桜はすまなそうに言っていたが、その真心だけでじゅうぶん温かかった。
 昼休みの今、普段の彼女なら教室で友達と弁当を食べているはずだった。だが、今日は例外だ。美化委員会の集まりがあるとのことで、彼女は教室を離れていた。美化委員の桜が花壇に水やりをしているところをたびたび目撃していたりんねは、優しい彼女にはぴったりの仕事だといつも思っていた。
 集まりは早々に終わったらしく、百葉箱から戻ってくる時にりんねは校舎の隅に桜の姿をちらりと見かけた。声をかけようと思ったが、独りではなくそばに誰かがいることに気付いて、咄嗟に物陰に身を潜めてしまった。背の高いその男子生徒には見覚えがある。女子達がよく黄色い声をあげている、バスケ部のエースだ。きっと同じ美化委員なのだろう。
 背丈のある彼を見上げる桜はやはりいつも通りの表情だった。けれど場の空気はぴりぴりとしていた。りんねの方には背を向けているものの、男子生徒の緊張が痛いほど伝わってくる。
 ──もっと緊張して縮み上がってしまえばいい。情けない姿を彼女に晒すがいい。そして何も伝えられないまま、負け犬のようにみじめに去ってしまえ。
 自分でも驚くほど強い罵倒の言葉が、次々と頭の中に浮かんでは消えた。他人がこれほどに疎ましく思える瞬間というのは、なかなか訪れないだろう。りんねは震える拳を強く握った。騒がしい心をなんとか落ち着けようと、頭を壁につけ、もう一度空を見上げて深呼吸した。
 桜ちゃんのことが好きなんだ。前からずっと気になってました。もし良かったら、俺と付き合ってくれませんか──。
 ありきたりの告白。けれどりんねにはまだ到底口にできそうもない言葉を、あの彼はまっすぐに桜にぶつけている。
 桜の唇からこぼれる吐息が白い。厚着とは言えない制服姿のまま外に連れ出されたせいで、とても寒そうだ。一体いつまでこんな冬空の下、彼女を立たせておくつもりなのだろう。
 返事はすぐにくれなくてもいいから、と彼は言うが、桜は首を振った。返事は決まっています。そう言うなり、ごめんなさい、と頭を下げた。
 男子生徒の肩が落胆にがっくりと下がる。それを見て、ほっと安堵のため息をつき、胸を撫で下ろしている自分がずるく思えて、りんねは思わず顔をしかめた。勝負もせずに勝利したと思い込んでいるとは、我ながらめでたい。
 ──ほかに好きな人がいるの、と聞かれ、いいえ、と彼女は答えた。けれど、じゃあ気になる人もいないの、と問われると、今度は口をつぐんで、ただ柔らかく微笑んで見せた。
「……いるんだね?気になる人が」
「さあ、どうでしょう?」
「桜ちゃんって、結構意地悪なんだな」
「そんなことないです。私にも、まだ分からないだけです」
「いや。その顔を見れば、誰にだって分かるよ」
 どこか名残惜しそうな目をして、けれど達成感にあふれた表情で、彼は去っていった。そうして独りになったあとも、桜はしばらくその場にたたずんでいた。一体何を考えているのだろう。たった今振ったばかりの男子生徒のことだろうか。やっぱりオーケーしようかな、などと思っていたらどうしよう。
 やがて彼女が自分の方に歩いてきたことに気付いて、りんねは慌てた。隠れようにも死角がなくて隠れようがない。仕方なく、偶然鉢合わせたふりを装うことにした。桜がこちらに曲がったところで、驚いたような表情を繕ってみせる。
「委員会はもう終わったのか?」
「うん。六道くんはなにしてるの?」
「たった今、百葉箱を見てきたところだ。今日は依頼はなしだったがな」
「そう。この天気だもんね」
 きっと桜の態度に変化はないだろう。そう思っていたりんねは、この時考えを改めた。
 それはおそらく、いつもそばにいる彼だからこそ気付くことができた変化だろう。彼女は目を伏せ、なかなかりんねを見ようとしなかった。いつもならまっすぐに相手の目を見て話す彼女だから、これは明らかに普段とは様子が異なった。先程の出来事をまだ心の中で引きずっているのか。
「どうりで寒いと思った。……雪が降っているんだね」
 静かにつぶやく桜の頭上に、長い睫毛に、華奢な肩に、雪がちらほらと舞い落ちる。いつもは凛としている彼女が、今はとてももろく見えた。心臓が掴まれるような思いがして、りんねは咄嗟に着ていた黄泉の羽織を脱いだ。それをそっと、桜の頭にかぶせてやる。
 問いかけるような彼女の眼差しに、何と返したらいいのか分からない。ただ、彼女が凍えているのを見ているのがつらかった。自分が寒さに震えるよりも。
「中に入ろう、真宮桜」
 ぶっきらぼうに口にしたそれが、精一杯の言葉だった。彼氏でもなんでもないただのクラスメートが、おせっかいだと思われない程度のぎりぎりの親切心。
「うん。──ありがとう、六道くん」
 それを受け止めて、桜は囁き返す。
 辺りはまっさらな白に覆われつつあった。



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