幸せの帽子



 ぷつん、と糸切りばさみで縫い糸を切ると、ソフィーは満足げに表情をほころばせた。
「うん、これでできあがり!」
 仕立て終えたばかりの帽子をマネキンの頭に乗せる。上々の出来だった。サファイアブルーのサテン地に星色のリボンをあしらったカンカン帽。後ろに長く垂らしたリボンのふちには、色とりどりの細かい星の紋章を縫い止めてある。かつてハウルの少年時代を訪れたときに見た流れ星達をモチーフしたものだ。
 ──終戦から数ヶ月。戦禍に苛まれた都市の復興が進みつつあり、隣国に駆り出されていた兵隊達はみな帰国し、国は徐々にもとの姿を取り戻しつつあった。いつ降り懸かるともしれない空襲の不安に怯えていた国民は、市場にあふれる活気に沸き立ち、立法者達の唱える平和宣言に情熱をもって同調し、連日広場で繰り広げられる祭り騒ぎに心躍らせたりしていた。
 そして魔法使いハウルもまた例外ではない。戦争に少なからず関わりを持った彼もまた、終戦を迎えた今、他の人々と同じように何気ない日常を送ることのできる幸せを噛み締めていた。
 動く城のドアノブのスイッチは四色あり、そのうちの黒色はかつて煙火の立ち昇る戦場の上空に通じていた。怪鳥に化けたハウルが様子見に出かけていく時に使った色だった。が、戦争が終わった今、御役御免となったその色は青に塗り潰された。港町のポートヘブンに通じる色だ。引っ越しをした時に一度塗り変えられてしまったが、海の見えるあの町を気に入っていたソフィーの要望で、ハウルがまた魔法を使って繋げてくれたのだった。
 戦争が終わり、他国への攻撃や要塞の守備に従事していた兵隊達と同様、戦場に駆り出されていた魔法使い達もようやく本業に戻ることを許された。ハウルももう何処ともしれない場所へ姿を消すことはなくなり、今はまじないを生業とする魔法使い業と花売りに専念していた。戦争時とは違い、気侭に余暇を楽しむことができるようになったおかげで、自然と私用での外出の機会も増えた。まじない屋と花屋の休業日には、ソフィーと一緒に町まで出かけてデートなどもするようになった。ストリートを手を繋いで歩き、甘い香りの漂うコンフェクショナリーで新作のマドレーヌを試食したり、流行りのブティックでハウルに合いそうな外套をひやかしたり、シアターで近頃話題のオペラを鑑賞したり。普通の恋人達がするようなことを、彼らもまた思う存分楽しんだ。
 ある日二人で王都・キングズベリーの大通りを歩いていた時、蒸気自動車からお洒落な若い紳士が降りてきたのを目にした。その彼が帽子のつばを小粋に傾けて、行きがかりの婦人達とそつなく挨拶を交わしているのを見つめながら、
「僕も余所行きの帽子がほしいな」
 と何気なくハウルがこぼしたのが、ソフィーが彼のために帽子を作ってやることになるきっかけだった。
 だてに帽子屋の娘として生きてきたわけではない。針子の仕事に人生の大半を費やしてきたぶん、手軸にはそれなりに自信がある。ハウル好みの帽子をキングズベリーで探すことは容易だろう。けれど恋人に流行りの既製品を買い与えるよりも、自分の手で丹精こめて作った、この世でたった一つの帽子を贈りたかった。
 ソフィーは出来上がった帽子に両手で触れ、微笑みながら囁きかけた。
「ハウルの余所行き帽子さん。あなたはね、あたしが世界で一番大好きな人のものになるのよ。あなたを頭に載せてる時は、いつでもどこでもハウルが幸せな気分でいられますように」
 自分の言葉に魔力が込められていることを知らないソフィーは、帽子に呪文をかけていることにも気がつかず、持ち上げたそれのてっぺんにそっとキスを落とした。
 ちょうどドアをノックする音が聞こえた。
「おはよう、ソフィー。僕だよ。入ってもいいかい?」
「どうぞ、入って」
 寝起きの魔法使いが黒髪のあちこちに寝癖をつけたまま「おはよう」と言い、同じ言葉を返すソフィーに抱擁を求めてきた。ベッドから出てそのまま彼女の部屋まで降りてきたのだろう、パジャマもボタンが外れたりしわだらけでよれよれだ。大きな子どものような彼を、椅子から立ち上がったソフィーは両手をひろげて招き入れ、愛おしそうに抱きしめた。
「おはようのキスは?」
「今からしてあげるから。でも待って、その前に」
 ソフィーはにっこりと笑い、ハウルの頭に出来上がった帽子を載せた。彼がきょとんとした顔で目線を上げる。
「これを、僕に?」
「ええ。ハウルにあたしからのプレゼントよ」
 ハウルの嬉しがりようといったらない。ピンク色のドアノブのスイッチが繋げてくれる、あの秘密の隠れ場所に咲き誇る花々も霞んでしまいそうなほどに、幸せそうな顔をしていた。恋人の手を取り、魔法使いはその場でくるくると回りながら陽気なダンスのステップを踏む。
「ありがとう、ソフィー!最高のプレゼントだよ!これ、もちろん君の手作りなんだろう?」
「ええ。気に入ってくれるといいんだけど」
「もちろん気に入ったよ!ソフィーのくれるものなら、僕はなんだって喜んで受け取るさ!」
 ハウルは腰を屈め、ソフィーの唇にキスをした。ソフィーの頬がうっすらと染まるのを、いじらしそうに見つめながら、
「この帽子をかぶって、今日はソフィーとデートに行きたいな。だめ?」
「でもまじない屋はどうするの?今日はお休みの日じゃないわよ?」
「今から出かければ、開店までには間に合うさ。ね、たまには海の見えるカフェで、朝食というのもいいだろう?」
 素敵ね、とソフィーは破顔した。彼女が海が好きなことをハウルは誰よりもよく知っている。
「そうと決まれば今すぐ出かけよう!君はそのままでも十分可愛いけど、僕はこんな格好だ。すぐに着替えてこなくっちゃ」
 部屋を出る前にもう一度、ハウルはソフィーにキスをして、茶目っ気たっぷりに手を振った。踊るような足取りで階段を駆け上がっていくのを聞きながら、ソフィーはくすくすと肩を揺らして笑う。
「あたしもお揃いの帽子、作ろうかしら」

 バスルームの鏡で贈られた帽子に見とれている魔法使いを、呆れた恋人が動く城から引っ張り出して港町へ連れていくまでには、まだあと少し時間が掛かった。



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