蓬莱 (千と千尋の神隠し) 一週間の出張から帰ってきたハクは、花も盛りの油屋の庭園で千尋と落ち合った。 まだ始業まではたっぷりと時間があり、太陽も空高く照りつけている。夜通し働きづくめの従業員達が起床するにはまだ早い時間だ。おかげで辺りには人の気配もなく、二人の周囲は穏やかな陽気に包まれていた。 「千尋、変わりはないかい?」 「うん、何も。ハクはどう?」 「この通り、変わらず元気だよ」 「よかった。出張で疲れてないか心配してたの」 「私なら大丈夫。仕事も無事片を付けられたしね。ーーむしろ前より元気かもしれないな」 「え?」 ハクは意味ありげな微笑みを浮かべながら、水干の懐に手を差し入れた。 興味をそそられた千尋が隣で首を伸ばす。 「なあに?」 「いいものを持ってきたんだ。きっと驚くよ」 勿体つけるように辺りをきょろきょろ見渡した後、ハクは唇に人差し指を当てて声を潜めた。 「……いいかい?これはとても貴重で、なかなか手に入らないものなんだ。このことは私達だけの秘密。誰にも話してはいけないよ」 「……う、うん。分かった」 額をつき合わせたまま、千尋は気圧されたように頷く。満足したようにハクも頷いた。 「いい子だ。さあ、手にとって見てごらん」 手にそっと握らされたものを見下ろして、千尋は驚きのあまりあっと声を上げそうになり、慌ててもう片方の手で口を覆った。 「ーーこれ、なに!?」 「これはね、『蓬莱の玉の枝』というものだよ」 ハクが笑いを堪えるような表情で答えた。千尋の反応があまりに予想通りのものだったのでおかしくなったらしい。 そんなハクにも気付かずに、千尋は恐る恐るそれを目線の高さまで掲げてみる。 それは確かに木の枝のようだった。しかし、ただの枝ではない。枝は白く、小枝には七色に輝く透き通った玉が幾つも連なっていた。花も玉で出来ているらしく、枝をかすかに振ってみると薄い瑠璃の花びらが膝の上にはらりと落ちた。 「きれい……」 花びらをつまみ上げて日に透かしながら、千尋は思わずため息をこぼす。すると、日光を浴びた花びらは瑠璃色の小さな蝶となって二人の周りを漂い始めた。 「帰り道に、蓬莱山に立ち寄ったんだ」 蝶の姿を目で追う千尋を、ハクは横から愛しそうに眺めながら言った。 「蓬莱山、って?」 「不老不死の仙人達の棲む山だよ。東の海にある。いつでも行ける場所ではなくて、時々気まぐれに現れるんだ」 ハクは枝から下がる琥珀の玉を指ではじいた。しゃらん、と涼やかな音が鳴る。 「蓬莱山の清らかな空気にあたると、若返るような気がするよ」 千尋が小さく吹きだした。軽い冗談かと思ったらしい。 「ハクって若いのに、時々すごくおじいさんっぽいこと言うよね?」 「おじいさんは酷いな」 ハクは思わず苦笑する。 「けれど、千尋から見れば私も立派なおじいさんかな。なにせ龍は何百年、何千年も生きる生き物だからね」 じゃあ、ハクはいくつ?とは聞かないことにした。とんでもない答えが返ってきそうで恐ろしい。 「ハクも不老不死みたいなものだね。すごいなあ……」 そんな呟きに、ハクは少しまじめな顔をした。 「龍は厳密には不死ではない。けれど、確かに滅多なことでは死なない。老いるかどうかも自分で選べる。だから、かぎりなく不老不死に近い存在ではあるだろうね」 いいことばかりではないよ、とハクはこぼした。 「一人で生きていけるうちはいいけれど。誰かと生きる喜びを知ってしまったら、同時に孤独も知ることになるーー」 千尋はハクの横顔をまじまじと見つめた。この人が弱味を見せるのは初めてのことのような気がした。 「これを食べれば、わたしも不老不死になれる?」 枝に連なる玉を指さして千尋は聞いた。分からない、とハクは首を振る。 「でも、食べない方がいい。きっと後悔する」 「それはわたしにしか分からないよ」 千尋は首を伸ばして、ハクの頬に唇を押し当てた。不意をつかれたハクが転げ落ちそうなほど目を丸める。 「これ、ハクが持っててくれない?いつかわたしが、食べるか食べないか決められる時がくるまで」 軽やかな音を立ててハクの手に収まる玉の枝。瑠璃の蝶は彼の肩に止まって一休みしている。 ハクはなんだかしゅんとしている。やっぱり落ち込んでいるらしい。 「ねえハク、元気出して?」 「こんなものを持ち帰ったせいで、そなたを悩ませる羽目になるとはーー」 仕方ないなあ。千尋はため息をつくと、ハクの頬を両手ではさんだ。目と目が合い、ハクが何かを言う前に、唇を重ねる。はじめは啄むように。 長い口付けが終わるのと同時に、千尋の腹の虫が鳴った。 ハクは赤面している彼女の手を取って立ちあがらせた。慰めの甲斐あって、今はすこぶる機嫌が良さそうだ。 「私の部屋においで。一緒に何か食べよう」 千尋の目が輝いた。 「ほんと?じゃあわたし、久しぶりにハクのおむすびが食べたいな!」 |