弥彦との稽古の合間に縁側で休んでいた薫は、あたたかな日差しを心地よく浴びているうちにいつの間にかうとうととしていた。
 神谷活心流の未来を担う愛弟子は、このところ上達が目覚ましい。もともと剣術の素質を秘めていたのかもしれないが、その上達ぶりは何よりも本人の努力と師匠である薫の指導に依るところが大きかった。
 とはいえ、頼もしく鍛えがいのある弟子を相手にすると、つい自分の体力もかえりみずに羽目をはずしてしまう。その代償が、こうしてふと気の緩んだ瞬間をねらって薫を見舞うのだった。
「おろ?」
 襷掛けをした剣心が物干し竿からひょっこり顔をのぞかせ、うたた寝している薫をみとめた。
 洗濯物を干している間じゅう縁側から見守る視線を感じていたのに、ほんの少し気を取られていたうちに途切れたので、不思議に思ってみれば俯く彼女の頭があぶなっかしく揺れている。
「薫殿、午睡でござるな」
 忍び足で縁側まで近づき、薫の足元にしゃがみこんだ剣心は頬杖をつきながら彼女の寝顔を見上げた。
 疲れているのだろう。無理もない。あの腕白坊主の稽古を日々決して怠ることのない彼女である。弥彦の相手のみならず、出稽古で方々を歩き回ってまたさらに体力を消耗する。この華奢な身体のどこにそんな体力が隠されているのだろう、と感心を覚えるほどだ。
「無理は禁物でござるよ、薫殿」
 すうすうと安らかな寝息をたてる薫には聞こえるはずもないが、つい声を掛けずにはいられない。いや、むしろ聞こえていないのをいいことに、つい普段なら面と向かっては絶対に言えない本音までもが口をついて出てしまった。
「それに、あまり熱心に出稽古にいくのは如何なものかと……。拙者、お使いの折に度々噂を耳にするのでござるよ。何やら、不純な動機で薫殿に稽古をつけてもらっている弟子がいるとか、いないとか──」
 行きつけの豆腐屋やら八百屋やらが、どこぞから仕入れてきた噂話を剣心の耳に吹き込むのだった。三丁目の某の坊ちゃんが昔から剣術小町にほの字なのだとか、庄屋の倅が薫に稽古をつけてもらう日を心待ちにしているとか。そのたびに表では何でもないような顔をして受け流している剣心だが、内心では薫のことが心配でしかたがない。
「薫殿は、もっと自覚を持つべきでござる。自分が他人にどう見られているかを」
 どこか恨みがましい口調になってしまうのは、日ごろ無防備な彼女にやきもきさせられている意趣返しだった。十も年上の男ならば、それくらいのことは気にせぬほどの器の広さを示さなければと思うのだが。
 半開きの薫の唇をどこか物欲し気に見つめながら、剣心は肩を落とした。
 ──願わくばこの娘には、人並みの幸せを掴んでほしい。人斬り抜刀斎などという忌まわしき悪鬼ではなく、心正しく清らかなどこぞの青年の手をとってくれればいい。
 そんな綺麗事であきらめられる時期は、悲しいかな、もうとうに逃してしまっている。
 剣心は遠慮がちに手を伸ばした。みずみずしい彼女の唇に指でそっと触れると、こぼれ落ちる微かな寝息がくすぐったい。
 そろそろ稽古場で待ちかねた弥彦が、竹刀片手に薫を呼びに来るだろう。こんなことをしていてはあやしまれてしまう。
 頭では分かっているはずだが、身体はいっこうに薫のそばを離れようとしない。
「──愚かでどうしようもない男がひとり、目の前にいるでござるよ」
 本当に、得がたき娘だ。
 罪深き流浪の剣客はうつむき、自嘲気味に笑った。
 



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