死神610号と余命3日の少女 (前編) 【「死神くん」パロ】


 きっと目が覚めれば、またいつもと変わらない明日が来ている。そう信じて疑わなかった。

「おめでとうございます。お迎えにあがりました」
 最初は空耳かなと思った。だから無視していたら、誰かに頬をつんつんとつつかれて、ベッドから飛び上がりそうなくらい驚いた。
 その少年はベッド脇にひっそりと佇んで私を見下ろしていた。赤い髪に赤い目。黒いジャージの上には羽織というアンバランスな格好。見るからに普通じゃない。
「誰ですか?変質者?」
「変質者とは心外です」
 ちっとも心のこもらない声音で彼はいい、ポケットから名刺みたいなものを取り出して渡してきた。
「名乗り遅れましたが、こういう者です」
 私は要りませんと言ったのに、相手がなかなか引き下がろうとしないので渋々名刺を受け取った。
「死神610号?」
「はい。死神、と呼んでいただいて結構です」
「死神って、あの死神?」
「真宮桜さんのおっしゃる死神がどういったものかは存じ上げませんが、そう解釈していただいてかまいません」
「……ちょっと待って」
 さすがに動揺した。私はベッドから上半身を起こして、その自称「死神610号」をまじまじと見つめた。
「死神のあなたが私を迎えにきた。それってつまり、私は死ぬってこと?」
「のみ込みが早くて助かります。真宮桜さん、あなたは、えーと……ああそうだ。三日後の午後五時半、帰宅途中に不慮の事故で死亡することが予定されていますね」
 手帳をぱらぱらとめくりながら死神は事務的な口調でいう。完全に人事だと思っているらしい。その態度に私はだんだん苛ついてきた。
「私にとってはものすごく一大事なんだけど。それをただのスケジュールの一貫みたいに言わないでくれる?」
「ですが、スケジュールであることは確かです」
 死神の声には悪びれもない。端整な顔は驚くほど無表情で、同情の余地なんてみじんもないことをまざまざと思い知らされた。
「じき亡くなられるかたが、この世に未練を残さずに無事命日を迎えられるよう、寄り添って出来る限りの手助けをする。それが死神の仕事です」
 手の平の中で名刺がつぶれた。私はそれを死神に思い切り投げつけた。八つ当たりだった。
「死神なんて絶対に信じない。──だからもう帰って、二度と私の前に現れないで」
 私はふとんを頭から被って目を閉じた。落ち着こうとすればするほど震えが止まらない。私の余命はあと三日?死神に連れて行かれる?そんなことあるはずがない。きっと全部夢だ。目が覚めれば、きっといつもと同じ朝が来て──

 なかった。目覚まし時計を止めて起きあがった私の目に飛び込んできたのは、空中に正座した格好でふわふわ浮かんでいる、あの死神610号の姿だった。
「おはようございます。気持ちのいい朝ですね」
「それ、もしかして嫌味のつもり?」
「心からの言葉なのですが……」
 私は試しに頬をつねってみた。痛かった。昨夜のことは、やっぱり夢じゃなかった。がっかりして俯くと、床に丸まった名刺が落ちていた。
「死亡予定日まであと二日ですね。やり残したことはありますか?」
 死神の声を無視して、私はカーテンを開けた。外はからりと晴れていた。窓を開けると肌に心地いい風が入ってくる。
「着替えたいから、どこかに消えてくれない?」
 死神がドアを通り抜けていなくなると、ようやく息苦しさから解放された気がして、私は深く息をついた。

 朝ごはんの席で、お父さんとお母さんに死神の姿は見えなかった。学校でも、私に付きまとう彼の姿は誰にも気付かれることはなかった。
 一日中、私は自分の未練が何なのかを考えていた。けれどあまりにも唐突すぎて、なかなか浮かんでこない。
 好きなケーキを食べたいだけ食べてみるとか、テストで満点を取ってみるとか、好きな人に告白してみるとか。死神はありがちなことを色々と勧めてきたけど、どれも私にはしっくりこなかった。
「一番の未練は、やっぱりこの年で死ななくちゃいけないってことだよね」
 やけっぱちになって、学校からの帰り道、私は隣を漂っている死神に言ってみた。
「いっそのこと、死なないように努力すればいいんじゃないかな?」
「運命は運命だ。努力したって変わることはない」
 丸一日私の未練について話していたから、もう馴れ合ったつもりでいるのかもしれない。いつの間にか死神の口調が敬語じゃなくなっている。まあ、見た目からして年も近いだろうから気にしないけど。
 私はさらに続けた。
「学校からの帰り道に、私は事故に遭って死ぬんだよね。だったら、あさっては学校を休めばいいんじゃない?」
 死神は相変わらず何を考えてるのかわからないような表情で言った。
「学校からの帰り道、と伝えた覚えはない」
「同じことだよ。その日は外に出なければいいってことでしょ?」
 そう考えると、少し希望が持てた。決して無理なことじゃない。一日中家に閉じこもってさえいれば、「外で事故に遭って死ぬ」という条件を回避できることになるのだから。
「だが……」
「説得しても無駄だよ。私、絶対に生き延びてみせるから」
 死神は口を噤んだ。困っているのか、怒っているのか、分からない。ただ、俯いたその横顔は葛藤しているように見えた。

 気分が良くなった私は寄り道をして、ケーキを買って帰った。二つ買ったから、部屋に上がって死神にも一つおすそ分けした。
 死神はありがとうとお礼を言って、黙々とケーキを口に運んだ。私は紅茶を飲みながらその様子を観察していた。
「おいしい?」
 きちんと正座したまま、死神はこくりとうなずく。
 ショートケーキとチョコレートケーキ、どっちがいい?と聞いたら、彼は少し迷う素振りを見せてからショートケーキを指さした。つかみ所のない相手だけど、案外かわいげがあるのかもしれない。イチゴを最後までとっておくところなんて、子どもみたい。
「そっちも一口ほしいな」
 あーんと口を開けたら、死神は小さなフォークを手にしたまま固まった。目を丸くしている。あれ、これは意外な反応。緊張してるみたい。
「私もあげるから、これでおあいこ。はい、あーん」
 私は自分のチョコレートケーキをひとすくい、フォークですくって彼の前に突き出した。死神はまた少し迷う素振りを見せてから、意を決したように目を瞑って口を開けた。
「おいしい?」
「……おいしい」
「ふふ。じゃあ、今度は死神くんの番ね」
 でも、いつまで経っても死神は、視線をきょろきょろ辺りにさまよわせるばかりで動こうとしない。意外とシャイなのかも。悪戯心を煽られた私は、手を伸ばして、彼が大事にとっておいたイチゴを食べてしまった。
「あ……」
 死神はしょんぼり肩を落とす。そんなにイチゴを楽しみにしてたの?可笑しいやら微笑ましいやらで、私は肩を揺らして笑った。

 お風呂上がり、髪を乾かしているとふと死神が深刻な顔つきで訊ねてきた。
「本当にこれでいいのか。もし万が一、死を避けられなかったとしたら──」
「未練を残したまま死ぬことになる、って警告したいんでしょ?」
 私はドライヤーのスイッチを切って、ブラシで髪をとかしはじめた。
「でも、大丈夫。私は絶対に死なない。そもそも外にさえ出なければ、事故に遭うこともないんだもん」
 ベッドに座って髪をとかす私を、カーペットに正座する死神はまっすぐに見上げてくる。その眼差しが食い入るように真剣で、私は思わずブラシを落としてしまう。燃えるように赤いその目には、いったい何が見えているんだろう。
「──俺がこうしてきみを四六時中監視する理由を、まだ話していなかったな」
 静かな声で彼は言う。突然張りつめた空気に居心地の悪さを覚えながら、私は首を横に振った。
 死神はゆっくりと立ち上がる。彼の足下に、影がない。

「きみが死ぬ瞬間、誰かがきみの死を阻止しようとするからだ」

 私はぽかんと口を開けた。それはつまり──
「その誰かのおかげで、私は死ななくてすむってこと?」
「いや、」
 死神の答えは歯切れが悪い。
「きみが死亡することはすでに冥界の掟によって定められている。それを変えることなど本来は出来ないはずなんだ。だが、おかしなことに、当日何者かがきみの寿命を延ばすことになるという──」
 その救世主が誰なのかは、死神の彼にも分からないらしい。
「で、あなたの役目は、その『誰か』を阻止することなのね?」
「……」
「私が『予定通り』死ねるように、あなたはその人を私から遠ざけなくちゃいけないんでしょ?」
 白い目をする私に、死神は縮こまりながら言った。
「仕方がないだろう。この世にあるべき魂の数は初めから決められているんだ。掟がまっとうされなければ、天界の秩序が乱れてしまう……」

 次の日の午前中、私は一言も彼と口を利かなかった。怒っていたというより、失望していたから。
「ケーキをわけあった仲なのに、あんなのってあんまりだと思わない?」
 昼休み、お弁当をつつきながら誰にともなく愚痴をこぼす私を、友達のミホちゃんとリカちゃんが不思議そうに見た。
「桜ちゃん、いきなりどうしたの?」
「ケーキをわけあった仲って……?」
「友達になれたと思った人に、ひどく裏切られた話。聞きたい?」
 卵焼きを箸でつつきながらふてくされる私を、リカちゃんの背後から死神610号がおずおずと様子窺いしている。朝から話しかけられてもことごとく無視し続けていたから、怖がってるみたい。
「なに、真宮さんの友情を裏切った奴だと!?どこのどいつだ、許せん!」
 と、いきなり脇から割り込んできたのは友達の翼くんだった。がっしりと手を握られて、私は思わず身構えてしまう。
「つ、翼くん、いたんだ?」
「真宮さん、裏切られたってどういうことだい?もっと詳しく教えて──いてっ!」
 翼くんは額を押さえてしゃがみ込んだ。誰かに本のカドで額を打たれたらしく、それが誰なのかはすぐにわかった。
 ──犯人はこそこそと凶器に使った本をリカちゃんの机の中にしまっているところだった。
 私と目が合うと、その『犯人』はばつが悪そうに後ろを向いて、掲示物に埋め尽くされた壁をすっと通り抜けていった。



(続く)

14.06.08
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -