空へ
きみは信じてくれないかもしれないけれど、僕はきみのことをずっと探し求めていたんだ。
千尋という名。遠い夏にどこかで結んだ縁。
自分のことはよく覚えていないのに、きみのことだけはこんなにはっきりと記憶している。
また会えるかどうか聞いてきた時の、きみの不安げな顔。繋いだ手は頼りなくて、遠ざかる背中は小さかった。
何度も夢に見たあの少女が、今ではすっかり大人の女性になって、僕の目の前にいる。
──初夏の街中での思いがけない邂逅。
ショーウィンドーのガラスに反射して照りつける日差しが目に眩しい。車のクラクション、行き交う人々の声が僕達を取り巻いている。
自分のことを明かす必要はなかった。きみは一瞬目を合わせただけで、僕に気付いてくれたから。
「どうせなら、もう少し早いうちに出逢っていたかったかな?」
そう言ってきみは少し寂しそうに笑う。ふっくらしたかわいい赤ちゃんを腕に抱いて、僕を見上げながら。
僕は赤ちゃんを見つめる。赤ちゃんは眠っている。この子はきみには全然似ていない。なら誰に似たんだろう?
「僕を待っていてくれたなら、結婚なんてしなきゃよかったのに」
「……」
「僕の気持ちを知らなかった?あれは単なる子どもの約束だと?それは違うよ。手を離したあの時から、いや、それよりも多分ずっと前から、僕は魂を焦がすほど、きみを」
これは恨み言なんかじゃない。きみを責めるつもりはないんだ。間に合わなかったのは僕のせい。きみはぎりぎりまで待っていてくれたのに。
あと何年か早く生まれていれば──。
「僕のものに、したかったんだ」
また手に入らないのか。時の流れをまたぎ、天界を渡り、形を変え、ここまで会いに来ても。それでも望み叶わず、また手放すしかないのか。
「ハク……泣いているの?」
「──千尋。きみの側にいられないなら、笑いも涙も何の意味もないんだよ。全部同じ。全部、空っぽだ」
きみはやっと見つけた、運命の女。けれど再会の喜びは一瞬で消えた。今はただ、その得がたさに、途方に暮れるしかない。
「ごめん、ハク。ごめんね。でもわたし、今は幸せよ」
きみは笑おうとする。子どもを見下ろす。笑えない。それどころかみるみるうちに泣き出しそうな表情をする。
もう遅いよ、千尋。笑おうと泣こうと、時は逆さまには戻らない。
「願いを叶えられなかった者が、どうなるか知っている?」
──私は負けた。魔女との、魂をも賭けた勝負に負けた。
真実の愛が死の運命を凌駕し、私を生かすはずだった。だが私は千尋を得ることはできなかった。
ぐらり、と景色が歪む。
このまま龍になって青空へ飛び去りたい衝動に駆られる。人間の身体では、逃げ出すこともできないが。
「さようなら、千尋」
千尋は泣いていた。消えてゆく私を見つめながら、涙声で私の名を呼んだ。
私はその声を覚えていたいと思った。だが魂が消滅すれば、記憶もまた消え去るのだろう。
だから、どれほど愛おしくとも、私は永遠に千尋を得ることはできない。