花嫁御寮  9:見果てぬ戦い



 社長秘書というのも、なかなか楽な仕事じゃない。
 外出から戻った青年は、すっかり疲れ切った様子で社長室の固い椅子に腰を落とした。
「恨むぜ、りんね。このおれをパシリやがって」
 若き社長はどこか申し訳なさそうに、くたびれた笑みを浮かべる。
「すまん。お前なら、うまいことあしらってくれると思った」
「ふん。まあ期待には応えたさ。しっかし、何度行ってもあの家の窮屈さったらねえな。──息が詰まるかと思ったぜ」
 少年は背広の内ポケットに手を突っ込み、取り出したものを机に放り投げた。確かな質量を感じさせるそれは、分厚い札束だった。
「何だ、これは?」
 険しい目つきになるりんね。少年は天井を見上げて目と目の間をつまむようにしながら、うんざりといった様子で溜息をつく。
「舅から娘婿への祝い、だとよ。お前が社長に就任してから、今日でちょうど六年だろ?」
 りんねの顔に屈辱と怒りが浮かぶ。震える拳を机に叩きつけて、彼は邪険に吐き捨てた。
「──何が祝いだ。誰のせいでこうなったと思ってる?」
 赤い目に憎しみを燃やし、歯軋りする彼を青年は同情を籠めて見やった。
「本当に陰湿なやつだよな、グリムってのは……」
 ああ、と嘆くようにりんねは頭を抱える。
「六年──六年だ。やつに出会ってから、もうずっとここに縛り付けられている。何もかもが地獄のようだ」
「りんね」
「──翔真」
 りんねがくぐもった声を発した。
「すまん。俺はお前を道連れにしてしまった」
「おいおい……」
 困ったように笑う翔真。
「馬鹿だな。道連れとか縁起でもねえこと言うなよ。お前に巻き込まれたんじゃなく、おれが自分から勝手に飛び込んできただけなんだからよ」
 りんねは悲愴な表情を向けた。
「お前、これ以上俺に協力しても、不幸になるだけだぞ。今からでも遅くない、死神界に戻ったらどうだ?」
「今更何言ってんだよ。馬鹿野郎」
 頭にかっと血がのぼった翔真は、床に落ちた書類を拾い上げて机に叩きつけた。挑むように彼を見据える。
「いいか?誰に誤解されようと、おれたちがやってることは絶対に間違っちゃいない。だから、おれはお前を独りにする気はねえよ」
「翔真」
「おれたちは、一蓮托生だ。──いつか必ず、あのグリムに一泡吹かせてやろうぜ」
「あ、ああ」
 気圧されたように、りんねは頷いた。よし、と翔真が満足げに笑った。
 幼かったはずの少年が、今や死神としての使命感に燃えている。そのひたむきさは、孤独な戦いを強いられるりんねにとっては頼もしくもあり、またどこか羨ましくもあった。


 ──間違ったことはしていない。本当に、そう主張できるのだろうか。
 「グリム」に出会った六年前、りんねは半ば強制的にカンパニーの社長に据えられた。家族や友人、大事な人を人質に取られて。
 間を置かず、今度はグリムの娘と結婚させられた。彼に忘れられない人がいることを知っての嫌がらせだった。
 グリムは徹底的にりんねを憎み、苦しめようとした。憎しみの矛先は祖母や父にまで及び、二人はグリムの有する広大な屋敷になかば軟禁状態となっていた。二人に危害を加えられたくなければ、堕魔死神の仕事を続けろと脅しをかけられ、りんねは身動きが取れなかった。
 とはいえ、黙って従う彼ではない。
 表向きは堕魔死神カンパニー社長として、人倫にもとる非道な行いを容認する。だがその裏で、彼は不当に奪われた魂を救済する活動に力をそそいでいた。
 翔真は死神としての使命感から、りんねに協力してくれている。社長秘書としてあちこち飛び回りながら、架空の書類をでっち上げたり、天寿をまっとうできなかった人々を現世へ送り返してやったりした。
 グリムの目を欺くために、全ては極秘で行われなければならない。
 しかしグリムの猜疑心は強い。これまでも何度か危うい瞬間があり、そのつどりんねは肝を冷やしていた。もし彼の意に反したことをしていると露見したならば、次の朝には祖母か父親の訃報を聞くことになるかもしれない。
 ──正義と保身のあいだで板ばさみとなり、神経をすり減らす日々。
 この見果てぬ戦い。出口は、いつか見えてくるのだろうか。
 りんねは祈るように手を組み、それに額をおしあてる。
「教えてくれ、真宮桜。俺はいまでも、優しい死神の顔をしているか──?」
 目を閉じれば、今となっては遠い想い人の笑顔が浮かび上がった。



To be continued


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