花嫁 - 22 - | ナノ

花嫁 - 22 -




 アシタカは歩き続けた。
 タタラの村を離れて早幾日。雪野原を越え枯れ山を越え、昼夜を問わず懸命に誘拐されたサンを捜しているが、未だに手懸かり一つ得られていない。
 一体どれほど遠くまで連れて行かれたのか。この吹雪の中、あの娘はどこでなにをしているのか──。
 もう何日もろくに食事もとらず、厳しい風雪に晒され続けているせいで、彼は肉体的に衰弱しはじめていた。
 それでも恋しい娘を案ずる思いが、彼の歩みを進めていた。
「連日の悪天候のおかげで鼻が利かない。サンの匂いが全く嗅ぎとれん」
 いまいましげに舌打ちする山犬に寄りかかりながら、アシタカは重い瞼を擦った。
 ふくろうが鳴いている。水気を含んだ雪が頭や肩にしっとりと降り積もっていた。
「サンは、……大丈夫だろうか」
 ぽつりとアシタカが呟いた。首をひねり後ろを振り返った山犬の目に、月を見上げる青年の横顔が映る。
「こんな寒さの中、どこかで凍えていないといいのだが」
 山犬は鼻の頭に積もった雪を振り払うしぐさをした。
「もし凍えていたらどうする?お前がサンを温めてやるか?」
 アシタカは小さなくしゃみを一つして、苦笑した。
「そうだな……そなたほど温かくはないかもしれないが、この私にも寄り添っていてやることは出来るよ。ひとりでいるよりは、その方が温かいだろうね」
 手をすり合わせ息を吹きかけているアシタカを頭のてっぺんから爪先まで評価するように眺めたあと、山犬はフンと鼻で笑った。
「そんな棒切れのような身体でサンを温められるものか。まあ、寝床でというなら別だろうがな」
 どうやら意味を理解したらしいアシタカは、ぱちぱちと目を瞬いた。長い睫毛に雪がくっついている。
「驚いた。私がサンを妻とすることを、そなたは認めてくれるのか」
「……誰がいつそう言った?」
 調子に乗るな、小僧。逆上した山犬は牙を剥く。アシタカは困った顔をした。
「だが、そなたがたった今──」
「うるさい。あれは例えだ、例え。真に受ける奴があるか!」
 アシタカは今にも噛みつかんばかりの山犬の美しい毛を撫でながら、宥めるような口調で言った。
「妹の身を案じているのだな。……大丈夫だ。サンが首を縦に振るまでは、私は決してそのようなことを強いたりはしない。あれはそなたの大事な妹なのだから」
「ふん。信用ならんな。人間というのはやけにせっかちだからな」
「私は待つよ。サンが私を受け入れてくれるようになるまで」
 森のしじまに響く若者の声は、あくまで穏やかだ。
「──そして、そなた達山犬の兄弟が、私を認めてくれるまで」
 山犬は押し黙る。しばらく雪につけた真新しい足跡を見下ろし、それから言った。
「俺はお前を認めはしない。──だが、誰と添い遂げるかは、サンが自分で決めること。それがシシ神であろうと、人間であろうと、サンが決めたことに口出しはしないつもりだ。サンの幸せは、サンにしか分からないのだから」
 矢筒をひっくり返して中に入った雪を落としていたアシタカは、感心したような眼差しで山犬を見た。
「そなたは、まことに良き山犬だな」
「親族を思いやる心がおのれら人間だけのものと思っているのなら、それは驕りというものだぞ」
「いや、そうは思わないよ。げんにそなたやモロは、こんなにも深くサンを思っているのだから──」


 同じ頃、サンも彼を思っていた。
 連れてこられた屋敷は見たこともない立派な造りで、その中の一室に彼女の部屋はある。几帳が立てられ御簾の下がった部屋には品のいい調度がしつらえてあり、まさに「深窓の姫君」の部屋といった趣だ。
 文机に肘を付いてサンはぼんやりと物思いに耽っていた。
 アシタカはどうしているだろう。早く迎えに来てくれるといいな──。
 彼の顔を思い浮かべながら、干し杏【あんず】をひとつまみ口に運ぶ。
 お付きの女童に着せられた装束は、色鮮やかな着物を幾つも重ねたもので美しかったが、重たくて肩凝りがした。めんどうで脱いでしまうのだが、そのたびに誰かしらが飛んできて着せ直してしまう。
 毎日丁寧に湯浴みをさせられ、肌を磨かれているせいで、袖からのぞく手首は真珠のように白くつややかだ。
 外に出ることは禁じられ、ただひたすら書やら楽やらを習う日々。
 ここはとても嫌だった。退屈で、退屈で、息が詰まりそうだ。
 それでも暴れたり逃げ出したりしたい衝動を抑えているのは、ひとえに母と名乗る屋敷の奥方の存在ゆえだった。
 奥方は毎日サンの部屋を訪れた。彼女と文机を並べ、字の書き方や琴の弾き方を丁寧に教えた。それはたまらなくつまらないものだったが、放り出すことは出来なかった。うだつの上がらないサンを横目に、奥方はいつも幸せそうな顔をしているのだ。
「姫、そなたが戻ってきてくれて、わたくしは本当に嬉しい。どうかいつまでも、この母の傍にいてくださいね」
 ふくよかな手で優しく頭を撫でられると、まるで赤子の頃に戻ったような錯覚をおぼえるのだ。
 その手の温もりからは、逃れがたかった。



【続】

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