花嫁 - 21 - がたん、と地面が急に揺れた。 振動で目覚めたサンは、勢いよく立ち上がろうとして頭をしたたかにぶつける。頭を押さえてしばらく苦しんだのち、恨めしい障害物を見上げてみるとそれは異様に低い金色の天井だった。 落ち着いてみれば、そこはごく小さな箱の中だった。畳が敷いてあり、そこに脱ぎ捨てた後のような藤色の衣が広がっている。おそらくサンの身体にかかっていたものが、立ち上がろうとしたときに滑り落ちたのだろう。 毛皮がないので、寒さが身にしみた。サンはそのなめらかな手触りの衣を拾い上げ、防寒具として身体に巻き付ける。 突然、するすると目の前の簾が巻き上げられた。 身構える余裕もなかった。差し込んできた眩しい朝日に思わずサンは顔を背けた。 「──姫様」 誰かが落ち着いた声でそう呼んだ。どうやらサンのことを指しているらしい。 「お帰りなさいませ、姫様」 光に目が馴れると、一人の青年が箱の中の彼女に手を差し出しているのが見えた。 頭に重たげな兜を被り、赤い鎧を身に付けている。 彼と目が合うと、サンは修羅のように顔をしかめた。気を許してなるものか。しかし青年の方は、何故か嬉しそうに笑う。サンにとっては、それがますます腹立たしい。 「誰だ、貴様は」 差し出された手を振り払い、邪険に聞いた。青年は畏まってひざまずき、頭を深く垂れた。 「某、相馬家の景朗【かげろう】と申す者。この度、姫様をかの鎮守の森よりお連れいたしました。無礼をどうぞお許し下さい」 無論、こんな誘拐犯の名を覚えてやる気はない。 「おい、人間。ここはどこだ?今すぐ私を森へ帰せ。さもなくば、痛い目に遭うぞ」 景朗の頭や肩に、はらはらと雪が降り積もっていた。いったいどれほど遠くまで連れてこられたのだろう。 「こちらは姫様の御実家です。森へお帰しすることは、出来ません」 この人間は何を言っているのだ──。サンは眉をひそめた。 「私に家などない。あるのは森の穴蔵だけだ」 「いいえ、三の姫」 突然知らない女の声が割って入った。 景朗が後ろを振り返る。サンも声の主に目を凝らした。 それは妙齢の女だった。雪景色の中で、女の纏う金刺繍の衣が際立っている。頭には笠を被り、笠から垂れている薄い布が顔を覆い隠していた。布の隙間からのぞく唇が椿のように赤い。 「わたくしの可愛い姫──。此処は確かに、十五年前、そなたが生まれた家なのですよ」 「何?」 怪訝な顔をするサンに、女は今にも泣き出しそうに声を潤ませる。 「よいですか、姫。わたくしは、そなたを生んだ母なのです」 あっけにとられるサン。 「戯言は聞きたくない」 「戯言など申しませぬ」 女の声が切羽詰まる。 「そなたはまぎれもなく、わたくしの三番目の姫──。名を付ける前に浚われてしまった、三の姫」 サンは一笑に付した。 「そんなこと、信じられるわけがない」 「……この顔を見ても?」 優しい声で女が囁いた。 サンの頭の中が、女の後ろに広がる雪景色ように真っ白になる──。 笠を取った女の顔は、不思議なほど、サンとよく似ているのだった。 【続】 back |