小舟 ぼく? ぼくは死神だ。といっても、まだ見習いだけどね。 この間、パパに鎌を買ってもらった。子供用の小さな鎌だけど、十分重いし、機能は大人のものと変わらない。悪霊を浄化しようと思えば、そうすることだってできる。 まあ、まだ訓練が足りないから無理だけどね。 ところで、死神見習いのぼくがどうしてこんな舟の上にいるんだろう。 パパと縁日を見ていたら、はぐれてしまった。人が多いから手を離すなよって言われてたのに。出店の綿あめに見とれていたら、いつの間にかパパを見失ってた。 そうしたら、知らないおじさんが急に目の前に現れて、 「きみ、迷子かい?」 って聞いてきたんだ。 背が高くて、ひょっとこみたいなお面をつけて、ほっかむりを被ってる泥棒みたいな人。片手に持ってる綿あめをぼくに差し出しながら、へらへら笑ってる。へんなおじさんだった。 「パパがどこにいるかわからないんだ」 素直に言うと、 「それは大変だ。どれ、おじさんが一緒にさがしてあげよう」 へんなおじさんはぼくと目の高さを合わせて、手を握った。パパの手みたいに大きな手だった。 ーー知らない人についていっちゃいけません。 その時、ママの顔が頭に浮かんだ。ママはいつも口をすっぱくしてそう言ってたっけ。人間だけじゃなくて、知らない幽霊にもついていっちゃだめって言ってた。 けど、渡された綿あめを一口食べたら、なんだか頭がくらくらしてーー 気が付いたら、ぼくはこの小さな舟に乗っていた。 へんなおじさんは、ぼくに向かい合って舟を漕いでいた。オールを動かしながら、暢気に口笛を吹いている。 ぼくが身体を起こすと、おじさんは口笛をやめて「やあ」と親しげに片手を挙げた。 「眠り王子くん、目が覚めたかい?」 白々しく言うおじさんの片手から、ぼくはオールをひったくった。 「あっ、何をするんだ」 「それはぼくの台詞!」 オールを抱きしめたまま、おじさんをにらむ。 「おじさん、誘拐犯でしょ。ぼくのこと、どこに連れて行くつもり?」 へんなおじさんは「誘拐犯」という言い方に笑った。 「心外だなあ。おじさんはただ、きみと二人きりでちょっとお話がしたいだけ。誘拐犯なんかじゃないよ」 「……綿あめに眠り薬までしこんでおいて?」 眉を顰めるぼくに、おじさんは吹き出した。 「なんだ、疑り深さまで父親そっくりじゃないか」 ぼくははっとした。 「おじさん、パパを知ってるの?」 「ああ。よーく知ってるよ」 ひょっとこのお面がまだかすかに震えている。笑っているに違いない。 「じゃあおじさん、誘拐犯じゃないの?ぼくのパパに身代金とか、要求しない?」 「身代金なんて言葉、よく知ってるね」 「テレビで聞いたんだもん」 身代金って何?って聞いた時、パパはテレビの画面を見たまま気絶しかけてた。身代金っていうのは、きっとすごくお金がかかるんだろう。 おじさんは、ぼくの不安を読んだみたいに言った。 「きみのパパからお金なんてもらわないよ。ーー約束するから、少しだけおじさんとお話ししてくれないかな?」 ぼくはまだ半信半疑だけど、しぶしぶ頷いた。いやだと言って帰してもらえなくなるのも困る。 それに、なんだか不思議なことだけど、ぼくはこのおじさんと初めて会った気がしない。なんでだろう? 「……いいよ。ちょっとだけなら」 「ほんとうかい?ありがとう!」 そう言って、おじさんは嬉しそうにピースサインを作った。 やっぱり、へんなおじさんだ。 ぼくたちの乗る舟は、向こう岸を目指そうとはせず、三途の川の流れるままに流れていった。 「ああ、たくさん話ができて楽しかったよ」 おじさんは満足そうに背伸びしたあと、ぼくの頭にぽんと手を乗せた。 「それにしても、きみはパパにそっくりだな。髪も目も、こんなに赤い」 「学校で、みんなにかっこいいって言われるよ。ぼく、ちょっと自慢なんだ」 照れ隠しみたいに頭をかくと、なぜかおじさんも同じことをやっていた。 「……なんでおじさんが照れてるの?」 「いや、自分が褒められたような気がしてね」 アハハ、と笑う。 どこまでもへんなおじさんだ。 「さて。そろそろきみのパパが迎えに来る頃かな?」 おじさんは輪廻の輪のあたりを見上げながら言った。ぼくはなんだか急に名残惜しくなった。 「ねえおじさん、顔を見せてよ」 うん?とおじさんはあいまいな返事ではぐらかした。 「そのへんなお面取ってみて。それつけてると、へんなおじさんみたいだよ」 「これを外したって変わらないよ。どうせ根がへんなおじさんだからねえ」 のらりくらりとかわされて、ぼくはいらいらした。 「おじさんはずるい!ぼく、言うこと聞いて話につきあったでしょ。ぼくの頼みもひとつは聞いてくれたっていいんじゃない?」 おじさんの首に汗がたれていた。 「いや、だめだよ。お面は取れない」 「どうして?」 「きみのパパと約束したのさ。きみとは関わらないってーー」 どういうこと、と聞きかけて、さえぎられた。 パパが呼ぶ声が聞こえた。ぼくらの真上から。声の調子でものすごく怒っているのがわかった。 「やばい!見つかっちゃった」 おじさんは素早く立ち上がると、オールを川に投げ捨てた。 揺れる舟のへりにつかまりながらぼくは叫んだ。 「待って、おじさん!」 「めぐる」 おじさんがぼくの名前を呼んだ。名前なんて教えてないのに。 「今日はありがとう。またきみに会えてよかった」 おじさんはつむじ風につつまれていた。 「ーー待て!」 上から降ってきたパパが手を伸ばしてつかもうとしたら、それはあっという間に消えてしまった。 絶対に怒られる。 覚悟はできていたのに、パパもママもなぜかぼくを叱らなかった。 「許してあげたら?」 おやつのホットケーキをほおばるぼくの頭を撫でながら、ママは笑っていた。 「あなたも私も、誰もあの人の肉親の情を責めることはできないよ」 パパは腕組みをしたままうなっていた。ぼくもフォークを持ったまま、パパのまねをした。 ニクシンのジョウって何だろう?今度魂子ひいおばあちゃんに聞いてみよう。 「まったく。めぐるが危ない目に遭わなかったから、良かったものの……」 ふう、とパパが溜息をついた。 そういえばーーとママが両手を合わせて天井を見た。 「あの時、あの子を拾ってくれたのはおとうさんなんだよね。覚えてる?」 パパは一瞬眉をひそめた。それから、ああ、と何か思い出したように目を見開いた。 「あの、賽の河原の赤ん坊ーー」 パパとママは顔を見合わせて、どちらともなく笑った。二人とも、すごい宝物を見つけたみたいに、なんだかとても嬉しそうに見えた。 「そうか、そうだったのか。あの時の赤ん坊が、めぐりめぐって俺たちのところにーー」 「私、今まで気づかなかった!」 「俺もだ」 二人はくすくす笑っている。ぼくは何が何だかちんぷんかんぷんだった。 「ねえ、何の話?ぼくもまぜてよう」 口をとがらせて言うぼくを、ママが優しく抱きしめた。花の匂いみたいな、甘くていい匂いがした。 なぜか懐かしくなって、目を閉じた。 ぼくは知っていた。生まれるよりも前から、たぶん知っていた。パパのことを、ママのことを、そしてあのおじさんのことを。 この人たちにたどり着くために、ぼくは必死でオールを漕いだんだ。 またきみに会えてよかった。 back |