How to bring up an angel



 私の子供が生まれたのは、一日の中でいちばん闇が深まる真夜中だった。明かりを落とした部屋の中で、産気づいてから何時間も苦しんで、ようやく生まれてきた女の子のような声で泣く男の子。生まれたばかりのその子を、愛する彼は天からの授かり物のようにだいじにだいじに産湯に浸けた。身体の血を丁寧に落としてみると、その子は髪の毛と目の色が赤いことがわかった。
「ごらん、この子はきっと特別な子なんだよ。なんて可愛いんだろう」
 子供が生まれたその瞬間から、彼は親馬鹿になった。そして私にも、すぐにそれが伝染した。
 私達夫婦は、最初にして最後の子供を、目に入れても痛くないくらい可愛がった。愛くるしい坊やは、私達の心をとろけさせる術を生まれながらに知っているようだった。笑うとき、泣くとき、お乳を飲むとき、眠っているとき、どんなときでもその子は天使よりも愛らしかった。サバトなんて悪魔のような名前じゃなく、もっと可愛らしい天使の名前をつけるべきだったと真剣に家族会議を開いたほどだった。私は鯖人から片時も離れず、ずっとそばにいた。仕事から帰ってくると、彼も子供にぴったりくっついていた。二人で鯖人の顔を眺めているのがなによりの幸福だった。
 私達が祝った記念日は、数え切れない。初めて鯖人の首がすわった日。寝返りを打った日。はいはいをした日。つかまり立ちができた日。歩いた日ーー。鯖人はよく笑い、よく泣いた。お気に入りのぬいぐるみを抱き締めて上機嫌になったり、かと思えば出しっぱなしの積み木につまずいてむずがったりした。そのたびに私達はバカみたいに頭を撫でてやったり、あやしたりした。
 そんな幸福な毎日に翳りが差し始めたのは、鯖人が現世の幼稚園に通い出してからだ。人間界で育てていきたいと思って、人間に馴染ませようとしたのが間違いだった。子供達は気味悪がって鯖人に寄り付かなかった。ただでさえ赤髪赤眼という変わった容姿で目立つのに、死神の血を受け継いだ鯖人はふつうの人間とは違い、この世のものでないものが見えた。空を飛ぶこともできた。私という母親に育てられてきた鯖人は、それがおかしいことだとは思いもよらなかったのだ。
「おかあさま、ぼくはどうして友達ができないの?」
 青いスモックを着た鯖人が目に涙を溜めながら聞いてきたとき、私は何も答えてあげることができなかった。私のせいだ、と思った。
 ランドセルを背負うようになると、鯖人は母親の私に依存するようになった。学校でうまくいかないから、せめて家では心の安息を得たかったのだろう。帰ってくると、私の背中や脇腹にぴったりと抱きついて離れなかった。時々友達と遊びに行くといって嬉しそうに出掛けていく日もあったけれど、そういうときは決まって意気消沈して帰宅した。約束をすっぽかされた、といって。そんな日は、宿題にも手をつけずに私のそばでぼんやりしていた。
 このままではいけないと思い、私は徐々に鯖人を突き放していった。でも、いくら厳しく叱っても、鯖人は私の言うことを聞かなかった。恐がりこそすれど、心の奥底では私が鯖人を見放すはずがないと楽観視しているのが見え見えだった。甘やかしてきたつけが回ってきたのだ。私はますます態度を硬化していった。鯖人はしだいに私から距離を置くようになった。
 中学に上がるとき、鯖人は死神界に行ってみたいと言い出した。どうしてと目を丸くして彼が聞くと、いきなり鯖人は声を上げて笑い出した。
「だっておとうさん、ぼくは人間が嫌いなんです。本当に、血反吐が出るほど嫌いだ。おかあさま、あなたのことも」
 無邪気に笑いながらあの子が放った一言が、今でも忘れられない。
 死神界の中学校に入学してから、鯖人はみるみる落ちぶれていった。家に届く成績はいつも最低だった。悪い友達とつるむようになって、ほとんど家に帰らなくなった。学校では女の子にいたずらするようになった。お金にも異常なほど執着を示し始めた。やがて学校を休みがちになり、卒業式にふらりと証書を受け取りに現れて以降、とうとう行方が分からなくなった。
 一度、当局から鯖人の身柄を拘束したと連絡があり、会いに行ったことがある。死神の業務を行う上で重大な不正行為があったため、捕まったという。数年ぶりに私は息子との再会を果たした。ガラスの向こうで、手を拘束された鯖人がのんきに口笛を吹いていた。いつの間にか顔や体つきがすっかり大人びていて、なぜかすこし悲しくなった。いいたいこと、聞きたいことがたくさんあったはずなのに、顔を見て目を合わせた瞬間ぜんぶ頭から消え去ってしまった。
「ーー馬鹿息子」
 本音が思わず口をついて出た。
「あなたがそういうふうに育てたんですよ。おかあさま」
 久しぶりに聞く小憎たらしい声だった。
「保釈金。要求されたわ」
「払ってくれるんですか?」
「払うわけないでしょ。あんたみたいな馬鹿息子、もう愛想が尽きたわ」
 鯖人は笑っていた。
「それは残念。ここから出られたら、孫の顔を見せに帰ろうと思ってたのに」
 耳を疑った。
「今、なんて言った?」
「孫の顔を見せに帰る、と言ったんです。もし、おかあさまが保釈金を払ってくれて、ここから出られたなら」
「ちょっと待って。孫って、いったい誰のこと?」
「誰って、そんなの決まってる。おかあさまの孫。つまり、ぼくの子供ですよ」
 私が驚いたのが、鯖人はよほど嬉しかったようだ。
 結局、私は保釈金を払って鯖人を白い牢屋から出してやった。それにありがたがることもなく、鯖人はすぐにまた行方をくらました。もちろん家に帰ってくることもなかった。もしかしたら孫の話は保釈金を払わせるためのはったりだったのかもしれない。そう思って腹が立ったけど、騙された方がおろかというものだった。
 でも、鯖人は嘘をついてなかった。すこし経ってから、本当に赤ちゃんを連れて家に帰ってきた。鯖人の小さい頃の生き写しだから、あの馬鹿息子の子供なのは間違いようもなかった。名前は、りんね。女の子が生まれても、この名前にするつもりだったらしい。母親については、いくら問いただしても頑として口を割ろうとしなかった。私と彼は、突然現れたこの孫の出自が不幸なものでないことを、ただただ祈るばかりだった。
 りんねを置いて、鯖人はまた蒸発した。予想はしていたから、動揺することはなかったけれど、りんねが不憫だった。大人になりきれていないあの子が父親では、この先の苦労が目に見えるようだった。それに、鯖人は死神界の禁忌を平気で踏みにじっていた。いつの間にか堕魔死神に身を落としてしまったのだ。現世にいた頃の人間嫌いが災いしたのか、それとも単に他人に興味が無いからなのか、鯖人は死ぬべきでない人の魂を狩ることになんの躊躇もないのだった。
 いつまでこんな馬鹿馬鹿しいことを続けるつもり、と聞いたことがある。こんなひどいことをして、おまえは良心が痛まないのかと。
「親愛なるおかあさま、ぼくには心なんてないんです」
 鯖人は笑いながら、責めるような目で私を見ていた。
 どこで間違ってしまったんだろう。あれから何度も同じことを考えてみるけど、彼が亡くなったあとも、りんねが私から離れたあとも、私はまだ分からずにいる。




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