remnant  act.13



「……なあ、あかね。俺、考えてたんだけどさ」
 彼の胸に頬を押し当てて心臓の音を聞いていたあかねは、目を閉じたまま「何を?」と聞き返した。
「けじめをつけたいんだよなあ」
「何の?」
「東風先生とのこと。有耶無耶なままじゃ、駄目だろ?」
 くあ、と喉仏をむき出しに、乱馬が大きな欠伸をする。
「……やっぱ、負けっかなあ」
「何が?」
「いや、なんでもねー」
 あかねが寝息を立て始めた後も、乱馬の目蓋はしばらく下りなかった。


 その日は休診日にもかかわらず、来客があった。
 商店街の肉まんを手土産に携えてやって来たのは、乱馬だった。なぜあかねが一緒じゃないのかと聞くと、あかねには内緒にして来たのだと彼は言った。彼女をまじえず、男同士でしたい話があるのだという。
「休みの日なのに、突然お邪魔しちゃって悪いな。先生」
 二階の居間に通し、座布団に座るようすすめると、乱馬は律儀に頭を下げた。
「いいんだよ、今日はたいして用事もないから。ーーきみひとりでやって来るとは、ちょっと驚きだけどね」
「まあ、用事が用事だからな。あいつがいなくてがっかりした?」
「正直に言うと、そうだね」
「ははっ。すみませんね、俺ひとりで」
「ーーお茶をどうぞ。冷めないうちに」
 無言で茶を啜った後、乱馬が肉まんの袋に手を伸ばした。
「先生も食ってみな。結構うまいぜ、ここの肉まん」
「そう。それじゃ、いただこうかな」
 東風は大ぶりの熱い肉まんを半分に割った。中から沸き立つ湯気が、眼鏡のガラスを曇らせる。
「……おいしい」
「だろっ?」
 素直に褒めると、相手も素直に喜んだ。
 どうも居心地が悪い。
「それで、乱馬くん」
「ん?」
「話って、何?」
 最後の一口を飲み込み、指先をぺろりと舐めてから、乱馬はもう一つの肉まんを取った。
「何って先生、だいたい予想はついてるんじゃねえの?」
「さあ。ーー俺の許婚に手を出すな、とかかな?」
 乱馬は肉まんを頬張りながら、期待に満ちた大きな目で東風を見つめている。
「手を引いてくれるのか?」
「まさか」
「ーーだよなっ」
 東風は苦々しい微笑を浮かべた。
「大人をからかうのはよしたまえ。……僕に何が言いたくて、今日ここに来たんだい?」
 指先を舐める乱馬の目つきが、がらりと変わった。
「けじめをつけに来たんだ、先生。俺と、あんたのな」
「どうやって?話し合いなんかじゃうまくいかないってことは、きみもよく分かってるだろう?」
「ああ、分かってる」
「僕は手を引くつもりはないよ。どんな正論をぶつけられてもね」
 乱馬はゆっくりと頷いた。
「話し合いでケリがつかねえんだったら、残る方法はただひとつ。ーー腕っぷしで勝負するしかねえ」
 東風はレンズを拭くために眼鏡を外した。
「僕に決闘を申し込む、ということだね?」
「そういうことになるな、先生」
「勝算はある?」
 獲物を捕らえる鷹のような目で、東風は笑う。
 一瞬、乱馬は背筋にぞくりと寒気を感じた。
 誰からも慕われる善良な院長には、こんな裏の顔が隠されていたのだ。
「言っておくけど、手加減はしないよ。勝てばあの子を独り占めできるんだからね。もう、きみを許婚だなんて呼ばせない」
「ーー負ければ、永遠に諦める羽目になるけどな」
 東風は不敵に微笑む。
「乱馬くん、きみも本気でかかってくるといい。きみにとって、僕は恨んでも恨みきれない恋敵だろうからね」
「……恨み?」
 乱馬が途方に暮れた顔をした。
「なあ、東風先生。俺、先生のこと恨んでなんかないぜ」
「……え?」
 東風は、かすかに眉根を寄せた。分からない、という表情だった。
「恋敵なのは確かだ。もどかしいし、厄介だとは思ってる。でも、恨んでなんかねえよ」
 乱馬は吹っ切れたような、すがすがしい笑顔を向けた。
「だって、あかねが好きになった男だもん。どんな奴だろうが、心の底から嫌いになんてなれねえよ」



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