小噺集B (お題配布:MH+  「香水の名前で10のお題」より)


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【no secret】 (朧鳳)

 うららかな日差しが眠気を誘いそうな、ある昼下がり。いつも通り花に彩られた美しい庭園で優雅なアフタヌーンティーを愉しんでいた時のことだった。お気に入りの金縁のティーカップを置いた鳳が、ふと小さな溜息をこぼした。
 ビスケットを噛みながら朧は正面に座る主を一瞥した。彼女はアイアン調の白テーブルに頬杖をつきながら、真紅の薔薇の生垣を眺めている。庭師が日頃からきれいに整えているだけあって、相変わらず生垣の高さは完璧に揃えられていた。このお嬢様がいつからか薔薇の花を好むようになったので、庭師も薔薇の見た目には特に気を配っているようだった。
 朧が焼きたてのスコーンにラズベリージャムを塗っていると、鳳はまたも嘆息した。さすがに見逃せなくなり、朧はテーブルに手をついて身を乗り出した。
「どうしたんだ?溜息ばっかりついて」
 鳳ははっと目を見開いて黒猫を見やった。
「私、そんなに溜息ついてた?」
「何か悩み事でもあんのかよ」
 鳳はひらひらと手を振った。
「さあね。あったとしても、どうせあんたには理解できない悩みだもん」
 鼻であしらうような態度に朧はむっとした。曲がりなりにも主従関係にある自分を見くびってもらっては困る。両手で鳳の頬を挟み込んで、顔をぐっと近付けた。
「おれたちの仲で隠し事はなしだぜ?鳳さま」
 突然の意趣返しに鳳は口をぱくぱくさせた。動揺する主を見てようやく朧は憂さ晴らしができた気がした。


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【beyond paradise】 (六道鯖人)

 彼女と過ごした日々は楽園だったかと聞かれたら、迷わず否定するだろう。楽園どころか、むしろ未だかつてあれほどの地獄を見たことはない。
 あの時ほど無力な自分を呪ったことはなかった。
 死神は、死んだ者を救うことはできても、死にかけている者を救うことはできない。
 それがもどかしかった。真綿で首を絞めるよりも針の筵に座るよりもずっとつらく苦しい思いを味わった。なぜ命の短い人間などに恋い焦がれてしまったのか。生きながら火に焼かれるような日々だった。
 彼は墓標を振り返る。未練はあった。幽霊でも構わない、もう一度逢いたいと願った。けれど彼女は未練を残さずに旅立っていったから、所詮叶わぬ願いだった。
「楽しかったよ。ありがとう」
 思い出は美化されるものだ。白かった花がピンク色だったように思えるのも仕方のないこと。きっとこれからも、時が全てを塗り替えてくれる。
 腕の中から子供が彼をじっと見上げていた。その柔らかな頬に彼は頬摺りした。甘いミルクの香りがした。


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【sentiment】 (架れん)

「今度一緒に、お茶でも飲みに行きませんか」
 れんげにそう持ちかけられた時、彼の心にふと忘れかけていたある思いが浮かび上がった。
 学生時代の架印にとって、れんげはある意味特別な存在だった。彼女を見ていると柄にもなくなぜか心動かされた。優しくしてやりたい、いい先輩だと思われたい。他の後輩に対しては決して抱くことのない感傷を、彼女にだけは無意識に向けていた。
 境遇が似ていることから生まれた同族意識だろうと決め付けていた。というより、それ以上深入りしてはいけないような気がしていた。
 この後輩はきっと誰よりも優秀な死神になるに違いない。官職につき、主導権を握って、世界を変えていくだけの才能があるはずだ。夢見ることを放棄した架印は、可能性に満ち溢れたれんげの背を押したかった。
 ――ぼくごときと釣り合うはずがない。
 そんなことを思う自分の心に、架印はしっかりと蓋をした。


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【masquerade】 (魔桜)

「六道くんなら留守だよ」
 クラブ棟を訪ねてきた魔狭人は、ドアに背をもたれている桜にそう告げられて、肩を竦めた。
「りんねくんに、嫌がらせの一つもしてやろうかと思って来たんだけどな」
「ふうん。相変わらず暇なんだね」
 事も無げに言われて魔狭人は大いに気分を害した。
「そういうおまえこそ、ここで何をやってるんだ?ただボーッとつっ立ってるだけじゃないか」
「六道くんを待ってるの」
 桜は手提げ袋を持ち上げてみせた。
「差し入れにクッキー持ってきたから。うちのママ、最近お菓子作りに凝ってるんだ」
 そういえば、と桜は少し眉根を寄せた。
「前は魔狭人くんのせいであげそこねちゃった。ほら、あのパワーストーンの呪いでめちゃくちゃにされちゃって……」
 魔狭人は少しも悪怯れなく言い放った。
「ふん、恨むなら十文字を恨めよ。りんねくんを呪ったのは、僕じゃなくてあいつなんだから」
「翼くんを唆した張本人のくせに」
 溜息をつきながら桜は言った。うるさいな、と魔狭人は毒づいた。
「だいたい、なんでそんなに甲斐甲斐しくりんねくんに世話を焼いてやるんだ?」
「六道くんは貧乏で大変なんだよ。だから少しでも助けになってあげたいだけ」
 ふん、と面白くなさそうに魔狭人は鼻を鳴らす。
「おまえ、好きなんだろ。りんねくんのこと」
「嫌いじゃないよ」
「つまり、好きってことだろう。違うのか?」
 妙なところに食い付いてくる魔狭人が滑稽なのか、桜は可笑しそうに笑った。
「そういう魔狭人くんこそ、なんだかんだいって六道くんが好きなんじゃない?」
 魔狭人は憤慨した。
「好きなわけないだろ!りんねくんのことも、おまえのことも、僕は大嫌いなんだからなっ!」
 肩を怒らせて飛び去ろうとする魔狭人の背に、桜は呼び掛けた。
 怪訝な顔で振り返った魔狭人に向かって、彼女は何かを投げた。それは空中できれいな放物線を描いて彼の手に収まった。透明の袋に包装されたクッキーだった。
 クラブ棟の欄干のところで、手でメガホンを作った桜が声を張り上げた。
「今度は六道くんに会えるといいね!」
「うるさい!おまえなんか、大嫌いだ――!」
 顔を赤らめながら悪魔は言い返した。カラスが寄ってきたりしないように、クッキーはポケットにしまった。


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【eclipse de soleil】 (りんさく)

 その告白は一瞬にしてりんねを地の底へと突き落とした。
「――私、もう六道くんとは一緒にいられない」
 思い詰めた表情で言う桜。この一言を告げるために、どれだけ悩み抜いたかが偲ばれる。
「なぜ、急にそんなことを……」
 肩を震わせて問うりんねを、彼女は悲しげに見つめた。
「私が、六道くんを大切に思っているから」
 全くもって合点がいかなかった。心が通い合っているのになぜ、離れ離れにならなければいけないのだろう。戸惑った表情を浮かべながらりんねは桜の肩に手を添えた。
「分かるように説明してくれ、真宮桜。でないと納得できない」
 桜はりんねから視線を逸らしてぽつりぽつりと語り出した。彼女が自分から遠ざかろうとしたその理由に、りんねは愕然とした。
「六道くんのせいじゃないの。これは私の気持ちの問題だから」
「真宮桜……」
「私じゃなくて、もっとお似合いの人が見付かるはずだよ。――きっと」
 桜はこう締め括り、以降堅く口を閉ざした。つらそうな表情をしたりんねに抱き締められると、彼の胸に頬を寄せて目を瞑った。
 白い校舎の真上に、りんねは雲に隠れた太陽を見ている。まだ夕暮れまでは時間があるのに辺りが薄暗いのは、そのせいだろう。
 彼にとって、いつしか彼女は太陽にも似た存在になっていた。鳥や草花や人間が光を浴びなければ生きていけないように、彼の暮らしには彼女という光が不可欠だった。
 なのに、彼女を忘れて他の女性を探せというのか。生憎だが同じ空に太陽は二つもいらないのだ。心には既に一つの太陽が上り詰めており、他のものが追い付くことなど到底できないほど高い位置で光輝いているのだった。
 りんねにとっては桜こそが唯一無二の存在だった。代わりの誰かを見付けるなど天地が引っ繰り返ってもありえないことだった。そもそも桜に代われる誰かが見付かるはずもなかった。彼を照らす光は彼女でなければ駄目なのだから。
「六道くんは死神で、私は人間。六道くんはずっと若くて綺麗なままだけど、私はどんどん年を取っていく。そのことに、いつか耐えられなくなりそうな気がするの。私、六道くんを残していきたくない――」
 異なる時の流れに身を置く者同士がともに生きるというのは、そういうことだ。同じ位置から歩き出しても、どちらかが着実にもう一方を追い越していく。
 置いていく者は、置いていかれる者に何を残してやることができるだろう。桜はその答えを見付けられずにいる。
 置いていかれる者は、置いていく者をどう安心させてやればいいのだろう。りんねもその答えを見付けられずにいる。
 日が蝕まれていく。彼の目の前が暗くなった。


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【forever and ever】 (零来)

 あれはまだ三代目三日月斎が健在の頃のことだった。カマ打ちなんてやりたくない。後継ぎの零不兎がそうごねた時、先代は彼の姉に縁談の話を持ちかけてきたのだった。
「先代から継いだ由緒あるこの三日月堂を、わしの代でつぶすわけにはいかん。おまえがやらんと言うのなら、姉の来兎に婿養子をとらせて、そやつに三日月斎の名を継がせるしかないじゃろう」
 というのが先代の身勝手な言い分だったが、話を聞かされた当の来兎は、三日月堂を守るためなら見合いをしてみてもいい、と嫌な顔一つせずに言った。姉の家業に対する献身的な姿勢は彼の心を大きく揺さぶった。どこぞの馬の骨に姉を任せてたまるか、と思った。
 自分がカマ打ちをやりさえすれば、いつまでも姉と一緒にいられる。その思いにとらわれた。来兎とは絶対に引き離されたくない。その一心で、零不兎は寝る間も惜しんで修行に明け暮れた。
 三日月斎の名を継ぐために懸命に励む弟を見て、来兎はひどく喜んだ。そんな姉の嬉しがりようは、零不兎により一層活力を与えた。彼は着実に技を習得していき、ますますカマ打ちにのめり込んでいった。
「見とれよ、来兎。おれは死神界一のカマ打ち名人になったる」
「頼もしい弟がいて、うちは一生安心やわ〜」
 月見団子を頬張りながら、満ち足りた顔をする来兎。零不兎は長い耳をぴくぴく動かした。自分が誇らしかった。
 自分には姉とカマ打ちさえあればいい。その二つさえあれば生きていけるから、他には何も望まない。数百年も先のいつの日か、先代のように輪廻の輪に旅立つ日が来るまで、来兎と一緒にこの店を守っていく。
 研ぎ澄まされたカマの刃に映る自分の顔に、零不兎は満足気に笑いかけた。





(2013.04 clap)
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