愛の妙薬 Act.9



「――エクスペリアームス!」
 その一瞬で何が起きたのか、ドラコが理解するまでにはしばらくの時間を要した。
 ハーマイオニーの額に突き付けた杖が、彼の手を離れた。くるくると宙を旋回するそれを見上げた瞬間、彼の身体が勢い良く後方に吹き飛ばされた。薔薇の茂みに背中をしたたかに打ち付けて、芝生に尻餅をつく。微かに呻きながら顔を上げると、今度は彼の額に杖先が向けられていた。
「私に呪いをかけようなんて、百年早いわ。マルフォイ」
 取り上げた杖を後ろへ無造作に放り投げながら、ハーマイオニーは不敵な笑みを浮かべた。
 武装解除されたのだということに、ドラコはここでようやく気が付いた。
「それに、魔法薬でこの私を操ることもね」
 ハーマイオニーが付け足した言葉に、彼は苦しげな面持ちになる。
「操るつもりはなかった。本当だ」
「私だって、操られたつもりはさらさらないわよ」
 怒ったように眉を逆立てながら、彼女は杖先をドラコの額にぐりぐりと押し付けた。彼はその攻撃から逃れようと咄嗟に頭をずらしたが、ハーマイオニーは断固として杖の照準を彼から離さなかった。
「……言っておくけど私、怒っているわよ。とってもね」
 抑揚のない声で彼女はそう告げた。静かな物言いだからこそ、内に秘めた怒りをより一層際立たせるかのようだった。美しいと思っていた栗色の髪が、妖魔メドゥーサの髪のように鎌首をもたげるのを見て、ドラコはごくりと生唾を飲む。
「だ――だから、さっき謝ったじゃないか」
「それで許されると思うの?」
 ハーマイオニーは鼻穴を膨らませた。杖先から火花のようなものがパチパチと飛び散り、彼は慌てて横へ飛びすさった。
「分かったから、杖をしまってくれっ」
「いやよ!」
「危ないじゃないか!」
「あなたに何か呪いをかけてやらないと、気が済まないわ!」
 ドラコは絶句した。とうとうそこまで恨まれてしまったのか――一瞬頭の中が真っ白になった。
「……分かったよ。それで、君は僕に何の呪いをかけようっていうんだい?」
 もう何もかもを投げ出したい衝動に駆られた。
「石になる呪い?足縛りの呪い?しゃっくりが止まらなくなる呪い?頭のいい君なら何でも知ってるんだろう。……何でもいいさ。確かに僕は、呪われて当然のことをしたんだから」
「……ええ、その通りね」
 ハーマイオニーの声には容赦が無かった。彼は芝生の草を握り締める。
「でも、これだけは言わせてくれ。――君はもう、僕に呪いを一つかけている」
 片方の手を自分の心臓の上に添えながら、ドラコは意を決したように顔を上げた。深い夜空に星が流れ落ちていくのが視界の端に映った。視線がぶつかり合うと、ハーマイオニーは微かに目を細めた。怒っているようにも笑っているようにも見えた。
「その呪いは、いつかかってしまったのかしら?」
「……分からない。気付いたら、いつのまにかかけられていた」
「そうは見えなかったけど?」
「そう見えないように、ごまかしていたからだ」
 ドラコは諸手をあげて溜息をついた。
「グレンジャー、やっぱり君には適わないな。何もかも喋らされてしまったよ」
 参ったように苦笑する彼を、にこりともせずに彼女は見つめ返す。
「――あなたには、忘却術をかけようかしら」
 独り言のような呟きを、ドラコは聞き逃さなかった。信じられない言葉に目を見開く彼を、ハーマイオニーはやはり硬い表情で見つめている。
「私のことを忘れてもらうのよ。そうすれば、その呪いとやらも解けるでしょう?」
 ドラコは端整な顔を苦悩にゆがめた。
「忘れろっていうのか?この僕に?」
「だって、あなたもそうしようとしたじゃない。私に」
 ハーマイオニーの杖腕がぶるぶると震え出した。
「忘却術をかければ、全て消せると思ったの?」
 彼女は深く俯いた。一瞬泣いているのかとドラコは錯覚したが、彼女はただかたく目を閉じているだけだった。
「ばかなマルフォイ。何も分かってないのね」
 か細い声が彼の耳をよぎった。
「――私だって、あなたのことが好きだったのに」





To be continued

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